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2014年5月 5日 (月)

don't let me go

私をいかせないでくれとは、おかしな表現かもしれない。

引き止めて欲しい気持ちの裏返し。
徐々に遠のく春と強い夏の狭間。



キースジャレットのことが随分といろんなところで話題になってる。
 
彼はかつて慢性疲労症候群で悩み、一時は活動をストップしていた。
僕もまた、彼ほど重度ではないけれども、同じ病気を持つものとして、彼の気持ちがよくわかる。

誰もがきっと一度は感じたことがあると思うけど、酷く疲れたときに、とても神経が過敏になることってあるでしょ?
その状態が結構長いこと続くと、それはうまく回転させれば音、意識を拡張してくれる諸刃の剣。
肉体の重い疲労感を精神で支えてる。

慢性疲労症候群は、基本、今は治らないとされているいわゆる奇病。
どんなに精神が強靭でも体そのものが機能しなくなれば、人は"動かなくなる"わけだ。

克服したとはいえ、彼はとても繊細な一本の綱の上にいると思う。
まだまだ僕のような発展途上の音楽家でさえそうなのだから、彼の立つ綱はもっと激しく揺れて、細く、茨のような表面の綱に違いない。
あるいは刃の上か。


意識は、実は深いところにステイするよりも、意識と無意識の間に、まるで浮かぶようにステイする方が難しい。
その狭間を水面に例えるなら、その水面は簡単に意識を無意識側に落とし込むように浮力がなく、また無意識の側面から遠ざけるように意識側に人を浮かび上がらせる。
ダリもまたその狭間に居続けようと、いろんな努力をしていたことはとても有名だ。


キースのソロは、トリオの演奏のようなエンタテインメントではないだろう。
きっと少しでも芸術を志した人は理解できるはずだ。
意識が表面にまで上ってきたとき、創造、あるいは想像は中断されるか消えてなくなることを。

その過程を見るのだ。

楽しませてくれるかどうかなんていうショウではなく、そこにいる全ての人がキースを通して出てくる音なのだ。


観客とはこの場合、意識のまだら模様であるといえばいいか。
精神的静謐の中には必ずノイズも潜む。

中断をするキース自身もほんとに悔しかっただろうし、もっともっとほんとは音楽を続けたかっただろう。
僕ならそう思う。


行かないでくれ、か。
遠ざけないでくれ、か。
あと少しだけ、もう少しだけこの場にいさせて、って。

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