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2014年4月18日 (金)

音はすなわち空である。

2014年もようやく春。



寒いよりも暑い方が僕は好き。

あったかくなると、機材背負って歩くのも少しだけ楽しくなる。


今年は、”演奏したい人と演奏する”っていう目標で、いろんな人といろんな場所で演奏を頻繁にやってる。
特に”演奏屋”ってよりは作家を兼ねた人とたくさん演奏したくて、声をかけては一緒に演奏させてもらっている次第。

そんな活動の中で、思い出したのが”即興演奏”。


20代の後半、約1年半にわたってそればかりをやっていた時があった。

ひょんなきっかけで自由即興の音源ばっかりを買い漁って、いろんな即興スタイルを研究しては、然るべき場所で試すというようなことをしていた。

半年ぐらいが過ぎたある日、当時のフリーインプロヴィゼイション仲間が僕を誘い、某所へ連れて行き、僕を轟音の即興演奏の現場に残して自らはトンズラという、極悪なことをしでかしてくれた。

彼がトンズラしたあとからの1年間が泥沼の活動期間となった。

僕が一人取り残された場所は、まぁ、周りの方々はとりあえずその道では結構名のある人たちではあったのだが、とにかく”音がでか過ぎる”人たちだった。
頻繁に呼び出されてはセッションに加えられ、そのほとんどの日は音の大きさに耳をやられて、結局なんにもできないまま帰るという感じ。

彼らと対極にいる僕のような”微音をこよなく愛する”人間を、彼らはからかうように呼びつけて、とにかくでかくて速くて強い、殺戮兵器のような音で襲いかかってくるのだ。

一年間、大爆音のフリーインプロヴィゼイションのセッションに耐えた末に、僕は彼らからの電話を着信拒否にし、僕をその場においてトンズラした友人とも距離を置き、彼らが好きだといっていた音源のうち僕の持っていたものを封印した。

たとえその音源がどんなに良くても、もう聞きたくはない。
そんなふうに思えるくらい、とにかくフリーインプロヴィゼイションそのものが大嫌いになった。



ジャズにはフリーとまではいかなくても、インプロはつきものだ。

音楽の理解を深めるうちに、嫌いになっていたフリーというスタイルに対する雪解けが進んでいく。

マイルスデイヴィスのビッチェズブリューに見た意識と無意識の境目は、僕にとっては今は活動休止中のcubic starの理想となっていったけど、自由即興と作り込まれた楽曲との境目の消失が自分の中で起っていることに最近気付いた。


一緒に演奏したい人と一緒に演奏する。
それが今の時期の僕にとってほんとに必要だったこと。

完全即興への嫌悪感を取り除いてくれたのは、一人のピアニストと、一人のギタリスト。
その真ん中に挟まるように僕の神さん(よめっこ)。
ジャズへ僕を引き戻してくれた、ピアニストとベーシスト。
僕の曲に興味を持ってくれて、そこに潜む即興性に見事に気付いてくれる演奏者。


”音”はある決まりに従っていると僕は思う。
その秩序を少しでもいいからまずは理解しない限り、自由への道など示されない。
永遠に規則に閉じ込められて、規則の中でのみのパフォーマンスになり、最後には規則に飲み込まれて自分を見失ってしまう。


音の長さは空間を生み、音程は色を生む。
立体構造の中に生きる僕らにとって、作り出すのものは立体化されてこそ真価を発揮するんじゃないかと、僕自身は思う。



封印を解いた音源たちは、小さな音で大事なことを語ってくれるものばかりだった。

僕は、”叫ばない”。
僕はただ、語るだけ。
大きな音は叫びではなく、小さな音は囁きではない。
それは心の触れ幅で、最も大事な音こそ最も小さく演奏される。
僕の得意なことは、このダイナミクスの幅なんだ。
ようやく自分のスタイルに回帰しつつある。

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