« 2013年12月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月 8日 (土)

cubic starを振り返る

音楽が、
例えば演者のためだったとして。

そのときの鍵になるのはチューニングだろうか、グルーヴだろうか?

例えば聞き手のためだったとして。
そのとき鍵になるのはわかりやすさだろうか?

例えばビジネスのためだったとして。
そのとき鍵になるのは流行だろうか?


2014年、2/16の演奏でcubic star minimal orchestraは活動休止。
その実は一旦”解散”。

2004年にひな形が出来てから、2006年にはベースもドラムも2人になって、2007年からタップダンスまで入って、とにかくチャレンジがしたいと思いながら進んできた。
オルタナのインストバンドから、ポストロックを通って、フュージョン、プログレ、最後にはコンテンポラリーや吹奏楽の領域に入りながら、スタイルの追求をした。


一体感をどこで感じるか。
演奏者も観客も一緒になって踊るダンスミュージックは好きだ。
強いビートと大音量による陶酔感のあるロックだって好きだ。
即興に知性を感じるジャズやインプロヴィゼーションも好きだし。
ジャンルというところで結びつく理解というものが確かにある。

だけど、僕の場合、cubic starは飽くまでも哲学の音楽化だった。
グルーヴ、アンサンブル、わかりやすさ、ビジネス、そのどれもが実は僕の描くcubic srarの音楽の鍵ではなかった。

しかしどの要素もグループを維持するためには等しく重要なことだとわかっている。
ただ、この要素の上には曲が持つ”哲学”がなければならない。
でなければcubicは存在意義をなくしてしまうのだ。

曲は難しくなる一方で、難解さにスポットが当たると中身の哲学が見えなくなる。
かたちの完成を急げば、各々自分のやれる領域だけに固執して、音楽の進化はなくなってしまう。
自由にやるということが本当は難しく、結局は己の檻のなかだけの景色で満足する。
そんな状態になってしまうのが僕にはものすごく嫌なことだ。

譜面を見直しながら、思った。
ゆっくり時間をかけて、やっぱり自分の思い描いたcubic starにしたいと。

演奏者に任せていい部分はいいのだけど、それでオリジナルをやっているとどこかで歪んでしまう。
各々が持っているものだけが出るんじゃなくて、cubic starはちゃんと”研究室”であるべきだ。


最後の演奏を聴いてくれた人はみんな、今までで一番好きだといってくれた。
アコースティックのスタイルこそ、本当はcubic starの本領だったんだろうなと思う。
どんなに壮大に書いても、僕の音楽はやっぱり電化された音ではなく、限りなく生に近い音なんだろうな。
その方が音楽が持つ哲学がきっとみんなに伝わるのだ。


今は出会いのとき。
いろんな人と演奏して、いろんな人にあって、cubic starのあるべき姿での復活を考えようと思う。

オケの譜面もなんとかかけるめどが立ってきたし。
一年後が目標かな。
実際にグループが活動休止になってから、このグループで演奏してみたいと声をかけてくれるイケてる演奏者の方もでてきたので、もう一度夢の描き直し。


必ず1年後に。
、、、いければいいなぁ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年12月 | トップページ | 2014年4月 »