« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »

2013年10月

2013年10月23日 (水)

点と点

今年は随分と台風が多い年だ。

気圧の変化に敏感な僕は、ほぼ毎日のように酷い偏頭痛と耳鳴りに悩んでいる。


10月もいよいよ下旬。
忙しい月になった。
演奏は10本にもなり、単純計算で3日に一度の割合で本番がきて、さらにその間を縫うように仕事が入っているから、体調管理と音楽へのイメージ作りで頭がいっぱいだった。

”役者が役を演じるために、その人物の境遇とできる限り同じ生活をしてみる”という話をよく耳にするが、僕も同じくこれがすごく大事なことだと思っていて、ちょっとしたサポートをやるときでさえ、その音楽と一体となるようにといろんな資料を引っ張りだして読み聴きすべきだと思っている。


先日、先輩と話している時に”珈琲の味はとても複雑で、いろんな味が混じって一つの味にまとまる”という話題になって、音楽も一緒なのだなということで盛り上がった。

例えば一言で簡単にポップスだと言っても、巷で言う、いわゆるジャンル分けされて平均化されたイメージを僕は絶対に信じない。
それがいかなる要素がいかなる比率で混じって一つの音になっているかを分析して、最後には自分の手元に寄せて自分の味にしなければ、音楽というのは単なる劣化コピーになる。
原点を探り、自分のルーツと経過を辿りながら、今いるグループで自分が出すべき音を決定する。
その作業を本番と本番の間に繰り返す。

もしも、単なる”演奏者”というのであれば事はとても楽だったと思う。
その都度現場で現場にあうと思い込んでいるアイディアを出し、主体的な言葉だけでものを言い、本番が終われば、自分自身がどうであったかだけを考えればいい。

昨今、グループに属する人でもこの”演奏者”思考が多く、本番直後はああだこうだ言うことがあっても、その後に全く生かされないという事例が多分にある。


メンバーが3人だろうが100人だろうが、グループとなるとそれは一種の会社である。
アイディアマンを中心としつつも、状態のいい時は”これはみんなで成し得たこと”といい、状態が悪くなると”アイディアマンのアイディアの枯渇とリーダーシップの喪失”というこの上もない無責任な発言を繰り返す、社会の縮図を見ることができる。

己の役割というのはリーダーであれ、いちメンバーであれ、お雇いであれなんであれ、文字通り全身全霊で果たすもので、ときに不可能だと思えることも自ら研究し、まずは率先して自分がどうすればその集団の最良の歯車となれるかを考えるべきだ。
よく飲み込めもしないで、自分の意見を真っ先に言うものではない。

自由は必ず秩序の中にあり、秩序は”集団の中の大切な歯車になる”という覚悟によって成立する。


真の力は力の顕示によって示されるのではなく、全く逆で、”引力”によって示される。
一見では面白さ(ここでは興味深さの意味だが)がわからないものでも、その先に何かあるという考え方が、物事の引力に気づく基礎的な能力となる。
すでに成立しているものに喰らいついて、まるで自分がそれを成立させているかのようなファストフード的な満腹感を味わおうとするのは、芸術家、作家、パフォーマーの卵どころか、もはや癌細胞であり、それに取り憑かれると文化そのものが癌化する。

流行を大通りと例えて、そこが交通渋滞を起こして前に進まないのを今現在としたら、その状況を打開する方法は細い道を通ったり、あるいは遠回りをするという手段が思い浮かぶはずだ。
その道は決して走りやすいわけではなく、快適ではないけれども、新しい道を走るというワクワク感があるばかりか、諸悪の根源である大渋滞の原因を元から解決する新しい方法論に繋がる可能性を見出すことになりはしないか。

細道、迂回、遠回りこそ、”個性”である。
大通りばかりに誘導するナビが今の世の中にどれだけ必要なのか。
発見の手助けとなるのが教育であって、発見の土壌が科学だったり宗教だったり芸術だったりするわけで、それはすなわち長い時間をかけてまさに耕された文化である。



世の中が求めるものとはなんだろうか。
人々が欲するものとは一体何だろうか。
なつかしさか、”既に知っている”という絶対の安心感か、超越者による理解を超えた奇跡か。
いずれにせよ、そんなもののなかのどこに人間の意識の進歩があるのかと思ってしまう。

一点に止まることに飽きて、飽きれば戦争でもするか。
打開策は怒りと破壊でしかないのか。
理解しようともせずか。
何とも幼稚だ。

日々が常の変化だと思っていれば飽和など訪れないと理論的には言えるだろう。
一点に止まり、少なくとも自分だけでも”鉄壁だ”と思えるようなバランスを作る必要はある。
作ったものを途中で投げて、蓋をしたり、スクラップにするものではない。
失敗や実験で土台を固めて、その上に新しいものを作り上げればいい。

その研究というか、作業というか、それを行なう場は、聖域である。
音楽をやる僕にとっては、だから、本番だけでなく、リハーサルの場から聖域なのだ。
聖域に入るのに際して、心を決めずに入ることが許されると思うか。
一分一秒という時間が単なる自然流動だと思っているのなら、それは大きな間違いだ。
僕は場に足を踏み入れたその瞬間から、無駄にはしたくない。
もっといえば、その一日前、その数日前、その数週間前から、無駄にはしたくない。

話が最初に戻るけど、それが日と日を結ぶ僕の毎日だ。



僕には神様はいない。
でも、楽器には、場には神様がいると思っている。
どんな気持ちであれ、そういう神聖な気持ちがなければ見えてこない領域があるものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月 2日 (水)

oceanographers

言葉を探しているとその迷路に迷い込んでしまって、一度迷うと迷ってしまうことになれてしまうから、ものを発せなくなる。


理解とまではいかなくとも、せめて何らかの受け答えがあるならばそれでいい。


そういう気になれた、自分のラジオ番組の初回が無事に終わってほっとした。

世間話や自己紹介などは僕にとってはどうでもよく、ひたすら”音楽”であり続けたいという僕の妄想企画が通った事自体もはや奇跡なのだが、それでもたくさんの人に興味を持っていただいて、ほんとに嬉しく思う。

感謝します、みんなに。



話は前後するのだけど、9月末。
僕は親友と久しぶりにあって、よく喋りよく飲んだ。

不思議なもので、一緒に活動してる時は意識もしなかったが、長い時間はなれていていざあえると思うと、なんだか緊張なのか嬉しさなのか、よく眠れなかった。

彼はいつもと変わらない。

聞き上手で話し上手で、僕らの会話は音楽のようだと、僕は勝手に彼とのことは何でも美談にしてしまう。


秋葉原、お茶の水と、ドラムやその周辺機材を見ながら一緒に試奏をして、音大に入りたての頃を思い出した。

”どうやったら音が聞こえてくるのか”という僕らの議論は今でも全く変わってはいなかった。

僕らは耳に入ってくるものを”聞こえている”と誤解している。
当たり前のように習慣化されたものは、実のところ、知覚していないに等しい。
その話だ。

演奏者は演奏をするという身体的行為にあまりにも偏り過ぎていて、”聴く”ということを忘れがちだ。
僕も彼も同じお師匠の元で鍛えられて、同じように厳しくいわれた。
”音楽が聞こえるまで手を出すな”と。
やっぱりその話で盛り上がる。



彼は海と魚が大好きだ。
僕は海洋学を自己流で一人勉強して来た。

自然に水産の料理屋に入って、彼の薦めるウマヅラ(カワハギ)のお造りを食べた。
くさいものだと信じてた僕には驚きのうまさだった。
そういうサプライズを、彼はいつも運んでくる。

音楽を一緒に演奏する時もそうだった。



会話というのは”聞く”からスタートする。
僕が音楽を好きな理由は、僕がおしゃべりが好きな理由と全くおなじだ。

喋ると同時に聞くことが一番楽しい。
いやな奴だと思うかもしれないが、実は口喧嘩も好きだったりする。
まぁ、なにせ喧嘩っ早いもんで。



とにかく、そんな彼が関東に戻って来たということが僕には大事件であって、ただただ嬉しいわけで、端から見ればそんなたいしたことでもないことをこうしてブログに残すということも、迷う必要もないのじゃないかと思うようになるほど、僕の心は少し快方に向かっているようである。

まだ若干の鬱は残っているが、まぁ、ゆるゆるといい方向に進んでいるということで。


案外、迷うことは僕には必要ないのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年10月 1日 (火)

from the radio

10月だ。


夏の暑さが思い出せないのだから、僕の記憶力なんてそんなものだと思いながら、買ったばかりの秋用の上着を早く着たいなぁだとか、虫の音の響きがきれいだとか、そういう思考を楽しんでいる。



秋は何かをゆっくり考えるにはちょうどいい季節で、もしも僕がいなくなることで誰にも迷惑をかけないのなら、ふらっと何も告げずにどこかに長旅に出てみたりしたくなる。



浪人の時代に、予備校で好きだった人と一緒に夜の散歩をしたのもこのぐらいの時期だった。

ラジオの話になった。

当時の僕は大好きな従兄弟と一緒になって、ヘヴィーメタルやハードロック、ハードコアにパンクと、何かとアタックの強いものばかり聴いていたが、ラジオのパーソナリティーで、いつも僕の知らない、いい曲を流してくれる人がいて、その人の話題になったんだと思う。


音楽が良ければそれで良かった。

たしかに好きなジャンルはメタルだとかそういうものだったけど、父母が聴いていた洋楽は無条件で大好きだったし、”音楽を聴く”ということが人付き合いの下手な僕にとっては人とつきあう唯一のツールだったのかもしれない。

ラジオの話だけで博多駅と予備校の間を何往復もした。
人を好きになると、それだけでその人の持ついろんな情報が自分の中に入ってくる。
僕らは散歩の中でそれを楽しんだ。


番組の中で、何を話すべきかは分からない。
ただ、やっぱりいい音楽が流れててほしいと思う。
そう、僕がラジオパーソナリティーになるってこと。


まだ小さい頃に必ず週末の早朝に流れていたラジオ番組。

両親の部屋で寝ていた頃。

”朝のプロムナード”という番組だったか。

アラーム代わりにセットされたラジオが鳴ると、父は起きて出勤の準備をする。
この番組があるのは週末だから、ラジオが流れ始めても父は起きない。
ジムノペディが静かに流れて、ゆっくり時間が過ぎる。
ときどき入るノイズすら気持ちよかった。


ラジオにはいい思い出がたくさんある。



僕はなんだかんだで、実はとてもゆっくりとしたペースで自分の欲しいものを手にしていってるような気がする。
その速度は僕自身も気付かないくらい遅いもので、だから、端から見るとうまくいってるように見える時でも、僕自身は気付いていない。
知足ということは事を成就する上でとても大事なんだろう。


10月から半年間、飽くまでも予定だけど、川崎FMで22時からラジオパーソナリティーをやらせていただく。
特にコーナーなどもなく、僕が漠然と覚えている”朝のプロムナード”のように、音楽とともに流れていく番組であればいいと思ている。

流れた曲が、好きな人と話すきっかけになれば、そりゃ面白い。


お耳汚しだが、おつきあいいただければと思う。


2013年10月からcubic star minimal orchestra吉島智仁と松本ちはやによる、レギュラー番組。

BIG TIME SCENE『cubic star radio』
第1、第3火曜日22:00~22:30 かわさきFM79,1MHz
万華鏡サウンドの原点を紐解く!
世界の最先端のサウンドをキュービック吉島がゲストを交えながら紹介!

ラジオをお持ちの川崎近辺の方は79.1MHz (大田区、横浜等)

スマートフォンの方は『TUNE IN RADIO』 http://tunein.com/

PCの方は『サイマルラジオ』http://www.simulradio.jp/asx/kawasakifm.asx

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年9月 | トップページ | 2013年11月 »