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2013年6月

2013年6月 8日 (土)

keeper of the key

6月である。

じめじめの季節、でもカタツムリは好き、蛙も。


ここのところ演奏の本番も多いし、普通に生活を支えるためのお仕事系ミックスやら録音やらその他猛烈な業務が続いておりますけども、慢性疲労の悪化による左耳の耳鳴りと慢性胃炎を引きずって、体壊しながら前に進んでおります。

実際のところ精神力よりも、純粋に体が強くないとやっていけない職業だと思う、音楽家って。

僕は演奏メインってだけじゃないので、作曲も編集もマネージメントもやりながらだから、これがものすごく大変で、で、もちろん自分のグループだけでなく誰かのリーダーバンドでも演奏するわけだからリハーサルも相当回ある。

外でばっかり活動してると、今度は今日みたいにすべての予定を断ってでも部屋にこもらないと、編集の納期に間に合わない。

断りゃ食い扶持になる仕事が減る。

無限ループ。


でも、僕は、これがルーティンになって”できることだけでものを作る人間”にはなりたくない。
僕がやりたいのは、”音楽を作ること”。
音楽を”演奏すること”じゃない。
音楽を作り出すことは挑戦である。
新しいものでないといけないっていう、僕なりの鉄の掟がある。
作るってのは、伝えたい人を思い浮かべて曲を書き、一緒に演奏するメンバーのことを思い浮かべては手直しして、書き上げた曲をかたちにするために自らの技術を磨く、ここまで一連の作業。

実際にライブで演奏したって、その曲は完成しない。
今できることのすべてをそこに叩き込んで、また進化させる。
つまり音楽は完成しないけど、自分自身が完成されていき、僕の人生そのものが作品になると僕は考える。
永遠の手直し、永遠の挑戦。

音源なんてのは言ってしまえば、階段の”手すり”。
自分にアイディアがない状態に陥っても階段を上れるようにするためのただの支えだ。
そんなものが全てであるはずがない。

自己満足は階段の一段目。
だから、自己満足して当たり前。
二段目以降の挑戦に、満足なんてあり得ない。
”もっとこう”って思い続ける。


楽しいというだけの時間は、もうとっくのとうに終わっている。
僕は音楽で食べていかなくちゃならない。
もっといったら、ほんとはメンバー丸ごと多少なりとも食えるだけのものを提示していく必要があると思っている。

これは、資本主義の社会に置ける芸術の一側面。
今僕がこの社会に生きていて、この社会を変える仕組みを変えられないなら、とことんつきあって変革のチャンスをうかがうより他にない。
必ず僕なりのバランスの取り方があるはずだ。

芸術の真の表側は、芸術そのもの。
つまり、”僕”であり、僕とともに演奏を繰り広げる仲間の、その人たちの人生そのもの。

世の中では、腹立たしいことに、これが”裏面”の様に思われているようだ。


”面白いってどういうこと?”と唐突にきかれた。
面白いもの、うん、それは特殊なことではない。
少なくとも音楽で面白いものは、ほんとに苦労して努力してやっと手に入れた考え方や方法論でパフォーマンスしたのに、できあがったものが”なんじゃこりゃ”っていうぐらい一見異形のバランス。

つまりはその人の音楽に対する真剣な関わり方と、その人の人生。
決して体がよく動くこととか、そういう馬鹿げたテクニック的なものなどではない。
呼吸にも間にも、音色にも音質にも、それ以前に、定食の皿の位置にも、カレーの向きにも、足の組み方にだってその人の人生が顕われるもんでしょ。

僕の芸術家感ってそういうもの。


活動を維持するためのこの社会に置けるビジネス的な感覚は絶対必要で、これがないと僕らは社会との繋がり保てなくなる。
つまり活動することが不可能になる。

と同時に、やっぱり芸術は芸術たるものがあるという感覚。
どこまでも深くおのれの核を探ること。
ひたむきな哲学とひたすらな人生の錬成。


もう自分なりの答えは出かかってる。
ただ、足並みを揃えることが難しい。
音楽はひとりでやるものではないから。
たった一瞬でも揃えることができる方法論、これが最後の鍵なのだな。


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cubic star minimal orchestra



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梯子ノ上デ

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