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2013年5月

2013年5月21日 (火)

third eye blind

随分と忙しい月になった。

自分の誕生日があるのが5月、その程度でまるで意識されなかったこの月は、まるで積年の恨みと言わんばかりに僕にのしかかった。
3月に結婚パーティーを敢行して以降、ろくに休みもなくあれやこれやと動き回り、気がついたら5月も終わりかけている。



今年のGWは、僕の人生にとって一番深いものだった。

cubic starのメンバーとともに、僕は福島の南相馬、新地町に行った。
偶然知ったボランティアのパフォーマー募集、何かの縁だったのだろう。


僕は現地の状況を何も知らない。
そもそもニュースなどは信じないし、大体テレビが好きじゃない。
それを見たって、結局のところ他人事のようになんだかんだとコメントがなされ、それに対してまた誰かが何か言うっていう図式が延々と繰り返されるだけで、実感など湧くわけもない。


相馬の海岸線は、まるでこれから埋め立てでも行なってレジャーランドでも建てるかのようにきれいに整地されていた。
ところどころに見る瓦礫の山が、僕を現実に引き戻すのだ。

巨大な力が命を飲み込んだあと。
言葉は見つからない。


大阪のボランティアチームであるcross groupさんと、今も現地の真実を伝えるフリーマガジンの”志縁”さんとともに、仮設住宅の集落をまわる。

お年寄りばかりだ。
若い人たちは、この地では仕事を探せない。
復興など何一つすすんでいないに等しいのだ。

真実ってのは、”一見普通”であることだ。
あくまで”一見”であるから、わからないのだ、その異様な事態が。


歌を歌い、体を動かし、楽器を演奏して、僕は僕のできることをやる。
では、僕のできることとは一体なんなのか。
東京のど真ん中で僕らは常日頃パフォーマンスを繰り返してきたが、それが一体この現場で何の役に立つのか。
ボランティアチームの方々が一生懸命に焼くたこ焼きが、じっちゃんばっちゃんの心と体を温めていく。


何を成すべきか、何が正解かはどこにも基準がない。
結局のところ、僕は安定した都会で、守られた環境で、ただ形骸化した芸術に食らいつくようにしてパフォーマンスしていただけだったんじゃないか。
自分の好きなことが誰かを幸せにしたなら、それこそ自分にとっても幸せなことだろう。
革命前夜の若者がバイクで国を旅して、人を知り国を知り、革命家になったことを思い出していた。
彼にとって、”革命”は自分だけでなく、他人の命までをもかけた芸術だったんだろうか。


僕らの他にもたくさんのパフォーマーの方々がボランティアグループと行動を共にした。
僕らみんなは、それぞれのできることをやる。

笑うことが重要なのだ。



言葉に詰まるね、この南相馬や新地町での記憶は、僕の拙い文章でもって書き記すのは難しい。
今の僕には、この状況を何も変えることなんかできない。
真実を知れども氷山の一角。
少しでも変える手は思いつくにせよ、今の僕にはまだ動けない。

言葉がまとまらないのは久しぶりだ。


”across the Rubicon”で踊るばっちゃんを、僕は見た。
僕らcubic starの音楽は小さな波紋になったんだろう。
あたたかい手で、ばっちゃんが握手をしてくれた。
”また絶対に来て”と。


僕は、頑張ってるみんなのことを絶対に忘れない。
もっとたくさんの人を連れて、この地を踏みたい。

人が必要なんだ。
仕事を生み出し、人を繋げ、経済を構築するために、人が必要。
必要なのは都会なんで行なう脱原発のお祭り騒ぎじゃない。
現地で土を耕し、店を開き、人を集めて繋げる、”人”が要る。
歌は人を集めるだろう。
芸術は全ての人に”生きることは何か”を問うだろう。



何もないところから何かを生み出すのが芸術家だろ?

できることできること、それを考える。
ここにいても、何処にいても。

きっと、何かの力が、僕に教えてくれたんだろう、”よく目の前を見ろ”と。



絶対に忘れない。
心の目が曇ってちゃダメなんだ。
ずっと開けてなきゃ。

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