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2013年3月17日 (日)

world is not mine

3月は僕にとっては演奏本番が多い月だ。


しかもそのすべてが有り難い事に週末にかたまり(金土は特にお客さんが多い傾向にある)、慢性疲労を抱える僕は、週の初めには参加してくれた人たちやバンドメンバーの心弾むような笑顔の回想と、身体の隅から隅まで行き渡った猛烈な疲労感と熱っぽさでぐちゃぐちゃになる。



3/17、今日は久しぶりの丸一日お休み。

音楽が中心の生活になると、休みが半永久的に来ない。
僕は20代の頃そういう生活に憧れた。
お金を儲けるというより、ひたすら毎日毎日演奏に明け暮れて、身体に限界が来るまで演奏のスケジュールが入ってて、みたいな。

演奏の会場はいつも同じ場所ではない。
いろんなところにいく。
行った先々、楽器を持って街を歩いていると、会社で働く人たちとすれ違う。
僕は派手な服、彼らはびしっとスーツ姿。
僕の仕事道具は楽器ケースの中、彼らの黒い革鞄の中には大事な書類。

会社を支える企業戦士たちは、例えば商品を作り、その商品を手に取った人々の喜びに貢献している。
じゃ、僕のような音楽家は一体日々毎日何をしているんだろうと考える。
どう社会と関わっているのか、と。

自分が酷く自分勝手な人間であるように思えてくる。


”なぜ音楽家になったのか”とよく尋ねられるようになった。
僕が天性の嘘つきだから。
これでは答えにはならないだろうか。

音楽が好きだから。
これに関して言うなら、僕なんかよりももっと詳しくて、もっと音楽が好きな人がいると思う。

誰かの喜ぶ顔が見たくて。
それなら、僕はものすごく頑張ってバンダイとかに就職してた。
僕は心底おもちゃが好きだ。

これしかない。
音楽以外に僕ができることはいくらでもあっただろう。


僕は嘘つきであるから、楽しくない事も”ま、それでいいんじゃないか?”というだろう。
ただ唯一、僕自身がパフォーマンスしたり、作品を作るときには、嘘がつけない。
表現者として自分が稚拙である事は、僕がどんなに言葉を尽くして嘘を言ったとしても、そのパフォーマンスや作品に出るから、嘘のつきようがない。

音楽家になろうとした理由は、僕が”音楽をやる事があまりにも下手だった”からだ。
それはつまり、楽しくない事でも”ま、いいか”と自分自身に嘘をつける自分に対して、それでいいのかという反対の意見を持った事の表れでもある。


人生として、真に憧れる生き方は、僕の父の、母の生き方である。
父にも夢があっただろう。
その夢を封印し、僕の人生を、家族の人生を安定に導き、支えるように生きていく。
そういう生き方である。

母のように四六時中家族の身体の事を気にかけ、気にかけ過ぎて自分が参るぐらいの、そんな生き方である。


安いインスタントコーヒーの、コクも薫りもない味気ない、自分の生き方はそんなふうに思えてくる。
で、終いには言い出すんじゃないか、”僕はやりたいから音楽をやってるんだ”と。
絶望的なもの言いをして、自分だけが満足するんじゃないかと。


久しぶりに学生時代の友人たちと演奏をした。
彼らはしっかりと社会に出て働く人たちだ。
音楽が生業ではない。
僕なんか毎日のように練習してもまだこんなもんかと思えるのに、彼らときたら、毎日楽器を触る訳でもないのに驚くようなパフォーマンスする。
こういう人たちだけが”好きで音楽をやってる”って、ほんとに言っていい人たちだ。
僕のような、一つの事さえままならない人間の言える軽率な発言ではない。



こういうと語弊があるかもしれないが、僕には”客を喜ばす”なんて気持ちは、はっきり言ってこれっぽっちもない。
客どころか、自分とこのメンバーでさえも喜ばす気持ちもない。

演出を考えるとき、それは自分が喜べるものである。
曲を考えるとき、それは自分の挑戦である。
つまりそれは、僕自身の表出である。


誰かが、僕や僕を含むグループの作品なりパフォーマンスなりに何らかの質問を投げかけてくれたとき、僕はほんとに嬉しく思う。
”客を喜ばせた”とか”メンバーを喜ばせた”というどうでもいい達成感ではなくて、その人たちと友人になれたり分かりあえたりする可能性を得た事に嬉しくなる。

僕には、だから、そもそも、”お客さん”という分け隔てられた関係性というのがないのかもしれない。
友人あるいは仲間と、自分。
一方的な発信者と一方的な受け取り手という関係が大っ嫌いだと言う事ははっきり言える。
僕はおそらく聞かれた事に対して、何でも答えるだろう。
それは友人や仲間に対しておこなう、僕のいつもの行動である。
隠すべき事もないし、むしろ言葉で補いたい事がたくさんある。


疑問や謎や解決できない問題は、人に”生きる”力を与えるのだそうだ。
学者を意味する”スカラー”という言葉は、本来”暇人”という意味なんだとか。

下手であり、分からない事ばかりで、分からない事に対して人は嘘をつくことができず、なおかつ、分からない事は何の恐れもなく人にそれを問うことができるから。
だから、僕は音楽の、芸術の道を選んだ。

非常識な人間である。
だから人に問う、”常識とは何か?”と、”それは何故か?”と。

不器用なくせに、懸命に社会との関係性を保とうとしている僕は、外から見れば変人か、莫迦者か、非常識人ということになるだろうね。

みんなと同じようにはうまくやれていない事ぐらいは、僕にも分かる。



3/1のcubic starでの演奏、3/8のやちよに、3/9のmaikotobranco、3/10の学生時代の仲間とのHRバンド、3/15のゴリアカラスのワンマン、3/16の梯子ノ上デ、それぞれ参加して、一緒に空間を作り出してくれたみんなに感謝します。


3/24には恥ずかしながら、結婚記念パーティーをそんなみんなともにやることになっている。
これこそ、自分のためにではなく、みんなの出会いの場所になって欲しいと思う。



人こそ世界である。


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