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2013年3月 3日 (日)

永遠の記憶の先に

3月。

三寒四温まではまだのようだが、震えがるような寒さが過ぎようとしているようだ。


3/1の久しぶりであり、cubic starの完全復活ライブの満員御礼、足を運んでくださった方々、また来場できなくてもたくさんの方々からのレスポンス、ほんとに感謝感謝でした。


さて。
とりとめのない話題をするのがこのブログ。

”永遠に記憶できる”ことについて。
今の世で、おそらく記録できないものはないと言える。
本来なら流れていって忘れ去られてしまうものも、半永久的な記憶が可能だ。

僕らにとって”新しいもの”というものはニアリーイコール”知らないもの”である。
巨大なデータベースがあったとしても、自分の力で検索できなかったり気付かなかったりしたものは、発見したときに”新しい”と思うだろう。
が、そのものは自分が気付かなかっただけですでにそこにあったもので、誰かがすでに作り出したものである。
もし、そういった創造物が記憶されることなく忘れ去られてしまったとしたら、可能性として、その数年か、数十年か、数百年か分からない後に、きっと誰かがまた同じか、あるいは似たものを作るだろう。


僕は学生のころ、ジャンル的には文化人類学をやっていたのだけど、卒論の際に調べた書籍に、記録を拒む民族のことが書いてあった。
興味深いことに、特に記録されることを拒んでいたものは、”音楽”である。
もう詳しい族の名前は忘れてしまったけど、彼らは音楽を譜面などのような記録媒体には記さないというようなことだったように思う。
音楽は口伝であり、演奏の形式や形態、メロディーやリズムの詳しい構造はほとんど伝えないと書かれていた。
ここで重要な要素は、そういった口伝だからこそ起こる”忘却”と”勘違い”である。
この要素こそ、この部族の思想の核なのだ。
”忘れる”から新しくなるということをシャーマンはたしかに言っていた。
もちろん部族の外には伝わらないため、この文化そのものが消滅する恐れもある。
が、大事なことは、常に新しく生まれ変わらせようとする思想である。

僕らの時代は、基本的に”蓄え”を旨としているから、できる限りのものを記録し、記憶し続けようとする。
物質は時間とともに朽ちるが、データは時間とともに朽ちたりはしない。
つまり、人類が地上から消え失せない限り、例えば一昨年に起こった震災の映像は半永久的に残る訳だ。

絵においても、写真でも、今のものは消そうと思わない限りこの世から無くなることはない。
音楽においても同じだ。

ここから先の世で、これだけの記録の蓄積を前にして、僕らは、文字通りの”新しいもの”を作り出すことが限りなく不可能な状態になってくる。
あくまでも限りなく不可能であって、決して0%ではないが。

大きくその輪を広げながら発展してきた音楽は、巨大なデータベースに押しつぶされ、新鮮という状態をおかされる危険性が出てきた。
それでも新しいものを作ろうと僕は思うのだけれど、それがどういったものかは実のところはっきりしない。
ただ、一つ言えることは、今の時代を生きる人は、残された記憶の時系列を辿ることができるということだ。
これは、前述のシャーマンと全く逆の考え方だ。

時系列を”知る”ことによって、時系列を組み替えることが可能になる。

また、記録された時代の俯瞰は文化の捏造を可能にする。
地球の裏側同士の情報を一つの鍋で料理できる訳だ。
このことをして新しさと言えるのではないかと僕は考える。


cubic starの音楽を作るにあたって、僕は僕の知る限りの様々な文化的な差異を、音楽という鍋に突っ込んで料理するようなイメージを持っている。
細分化されたジャンルや文化は、みじん切りにされたキャベツや人参のようなものだ。
それらを鍋に入れて火をかけ、己のセンスというスパイスで味を決める。

今にあったものを作るということは、ビジネスにおける作業であって、実際のところ芸術とは何の関係もない。
ただ、自分のペースで過去から今までの流れを見ていくと、今自分が作るべきものが見えてくる。
そこにはもちろん自分の作家やパフォーマーとしての挑戦もあるだろうが、何よりも”時系列の整理”として作品が機能し、作品そのものが自己の知識や技術の整理となり、僕の人となりや、ともにパフォーマンスをする仲間のパーソナリティーを浮き彫りにするツールとなる。
さらに大きくとらえると、受け取り手とのコミュニケーションツール、つまりは人の繋がりをより深くするものになる。
それが芸術の真の姿で、元あった場所ではなかろうか。
まあ、飽くまでもこれは僕個人の考えだけれども。

先人たちの作品と現在を結ぶようなイメージ。
過去への敬意。
さらには今を生きる人を結ぶイメージ。


僕にはジャンルはない。
ただ単にジャンルとしてではなく、言葉の真意としてのプログレッシヴな感覚があるだけだ。
考古学を楽しみながら、未来を夢想する。


そういった音楽を仲間と作れたらいいなぁと、そんなふうに思う。

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