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2012年12月

2012年12月30日 (日)

flame

2012年もおわり。

12/30。




情熱の炎を正しく燃やし続けることは容易ではない。
好きなことを続けることでさえ簡単なことではない。
ひたすら苦しみに耐え、忍耐ということだけが美学として考えられて、打開策もなく流されるだけに任せていることほど莫迦なこともない。


僕は今年何度となくものを作ることに倦怠感を感じ、パフォーマンスすることに嫌気がさし、人の顔を見ることを嫌悪し、人の言葉に吐き気を覚えた。
何もできやしないくせに笑い、何が楽しいのか分かりゃしないのに酒ばかり飲んでやがる。
理想ばかりを口にして、苦悩することもない。
動くことだけに特化して押し流されていることにも気付かない。
それを見聞きするにつけて、反吐が出そうだと。

音楽をやることや作ることは大好きなことである。
同様に好きな人と好きなように語らい、何かを成し得ていくことは大好きなことである。
が、それが全く反転した年でもあった。

情熱は熱量である以上、炎である。
ゆえに燃料が必要だが、くべる燃料を間違えれば赤く燃えるべき炎も不吉な色に変わるものだ。
人は弱かろうが強かろうが、命ある限りその炎を持っているもの。


僕は多分人一倍怒りや憎しみを強く感じるのだと思う。
真っ赤だった炎が、自分の中で真っ黒になっていく様を、静観していたのか。
怒りや憎しみに飲み込まれるがままになっていたようにも思う。

憎悪や憤怒や死の放つエネルギーは、つまり”楽”なのだと実感した。
そういったエネルギーを纏って狂気を振り回すことは、快楽であり、裏を返せば知性ある僕らはだからこそ忌み嫌うものだ。

今のありようのまま、何かの模倣を続け、長いものに巻かれていつからできたのか分からない”常識”という疑うことを拒むシステムを押し付けられて、それでも生きていくのかという、そのこと自体に疑問を持っていたら、全てを投げ捨てて、本気で消えてしまおうと思っていた。


生の裏側に位置する死は、僕にとって全くネガティヴな事柄ではない。
ただ、たとえば”生きたい”という思いや願いがあるならば、それはネガティブなイメージになるだろう。
”生きたくても生きられないのに”ということの真意は、生に対す願いが込められているから尊いのだ。
何かと懸命に戦い、そこで死を迎えるかもしれないというとき、死には果たしてネガティブなイメージが与えられていいものかどうか。

死は前述の通り”楽”に通じる事柄であると僕は思っている。
その場合、むしろ生が”苦”となる。

そんな苦しみの世界に”みんなそうしてるんだから”とか、”それが常識だ”という、本気でどうでもいい言葉で引き戻されるほど、もう僕は生きることを楽観視していなかった。
諦めるということができるならそれはどれだけ楽なんだろうと思うからこそ、楽になりたくてものや人をを次から次に自分から遠ざけようとするのだ。


希望は苦しみである。
諦めとは真逆の位置。

”力を貸してほしい”とか、”一緒にすすんでいこう”とか、そういう言葉を受け取るとき、そこには苦悩があるし物理的な苦しみがあるし、だからこそ希望なわけだ。

自分勝手な奴が嫌いだといいながら、僕が一番自分勝手な奴だ。
でも、そんな中から生み出されるものに期待してくれたり、手に入れようとしてくれたり、仲間に入ってくれたりしてくれる人がほんとに周りに残ってくれて、あるいは集まってくれて、そのことに関して、今までの人生の中で最も驚いた一年でもあったように思う。


難しいものは簡単にはならないと僕は常々思う。
誰かが難しいものを目に見える形にしてくれたとして、それを分かった気になるってのが今の世の浅ましさという奴だ。
くだらない。

シンプルという言葉は”有機的”を意味するといっていい。
簡単とはとても訳しにくい。
有機は複雑さを多分に孕んでいる。


言葉を選び、僕を絶望の縁から引き上げてくれた新しい友人たちやフォロワーのみんな。
陰に潜みがちな僕に強烈な光をいつも当ててくれる先輩方。
迷ったり悩んだりする僕の側を離れずに、もういちど冒険にでようと動いてくれた仲間。
昨年同様、やっぱり思いますよ。



”人こそ世界である。”

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