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2012年10月

2012年10月28日 (日)

foot prints

僕は湯の町に育ったが、その昔、じいちゃんに連れて行かれた銭湯の照明があまりにも暗くて、逃げ帰ったことがある。


銭湯で演奏をするという機会、こんなことは考えもつかなかった。
例えば教会、、、あり得る。
例えばレストラン、、、これは最近いろんなところがやってる。

しかし、風呂場と楽器は最高に相性が悪い、本来は。
湿気で楽器がダメになる。
これしか頭に浮かばなかった。
が、まぎれもなく、銭湯で、しかも女湯で、ロックンロールだ。


千葉に住んでから4ヶ月。
僕はまだまだここがどういうところだかを知らない。
東京は金さえあれば住める場所だ。
隣の人は何する人ぞで、近隣に基本的には興味を示す必要もない。
埼玉も横浜もそうだった。

千葉は違うようだ。
どちらかというと福岡の田舎を思い出す。
僕はここにあって全くのストレンジャーである。


ひょんなことから千葉で活動するゴリアカラスというデュオにであって、そこからとんとん、意気投合して、4ヶ月でようやく千葉ミュージシャンデビュー戦で、さらに銭湯。
いろんな意味で、面白い。


85年間の営業をした、船橋最古の銭湯”ときわ湯”。
嫁いできてから60数年、おばあちゃんになるまで切り盛りしてきた、くにさんの守ったお風呂。
ピリオドを打ったその銭湯が、僕らのステージに変わった。
おばあちゃんは再び銭湯に戻ってきた。

落語の名人2人が素晴らしい噺を展開した。
一人芸の名手は、あっという間に浴場をお茶の間のように変えた。
アーティストにとって男湯はギャラリーとなった。
ゴリアカラスにとって銭湯はライブハウス以上にライブハウスだ。

誰もが思い描く、銭湯の壁画”富士”がある。


長くそこにあって、長く続くことは、それだけで地場を生み、それだけで強さになる。

くにおばあちゃんは、ロックンロールに賛辞を贈ってくれた。
何でもありの姿が本来の芸術の姿だ。

長く使われてきたときわ湯は、使われた時間を示す独特の色をしていた。
芸事も、そのお湯にどっぷり浸かると、その人の色に染まっていく。
生きた証となるだろう。


ゴリアカラスに、くにおばあちゃんとその家族の方々に、共に芸術を楽しんだ落語家の方々、アーティストの方々、そしてそれを受け取りにきてくれた方々、その人たちに感謝というよりもむしろ喜びを伝えたくて、その気持ちをこのブログに残しておこうと思う。


そう、これは足跡である。
85年の歴史、86年目からの新しい歴史の一部に、その場を共有した人たちと一緒になれたことが、とてもとても嬉しい。

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2012年10月25日 (木)

great deceiver

もう11月が見えている。


涼しさも通り越して随分と寒くなった。


10月も最後まで、僕はいろんなジャンルの音楽に携わらせてもらうことになる。

ジャンルというと視覚的に区分できるぐらいの”しきり”になるのだが、実際のところ、僕の中にはまるでそのしきりはなく、僕という演奏家ないし作家のスタイルのあり方は、現場を共有している人によって面白いように変わるから、僕自身がそれを楽しんでいる。


共にパフォーマンスをしたり、ものを作ったりする人によって自分から出る音が変わるということはとても創造的だと思っている。
もちろん”僕”という人間はそこにもしっかり残っている。
ただ、僕の耳がそこにある音をとらえたとき、僕の身体はそれに対する音を出すということだ。


発生した音は、必ずしもその音楽にあうものとは限らない。
そして、僕自身もその音楽にぴたりと合うものが出てくること望まない。

”何かが起こること”こそが望むものだ。


知っているものに対する期待は何もない。
知っていてもできなかったことに期待があって、その先に創造を夢見る。

憧れや模倣の中には偉大なる嘘がまぎれている。
”こうであるべき”、”こうだったはず”、”こうすればいい”、そういった類。

知らず知らずのうちに先人たちの作品を手本として、自分を磨いてきたわけだが、よくよく考えてみればいずれの手本も、その人たちがその人たちの作るもののために築き上げたバランスだ。
それはまんま今の僕らに、当然あてはまるわけがない。

インプロヴィゼーションすら、もはや模倣の域だ。


僕らは先人たちの偉大な作品の”虚像”を追っている。
追うという行為は追う対象があるときのみ起こる行為であるから、僕らは追っ手である以上、追われる側にはおそらく一生追いつけまい。
簡単な話だ、先駆者は先駆するものであるから。


作ることは、流れでありながら、その多くは突然変異であるといつも思う。
当然模造品でもなく、亜流でもないから、本来ジャンル化されようもない。


偉大な先駆者は、その強烈な個性で偉大な嘘をつく。
誰かが作った、異常なまでに立体化した音像。
極度にひずんだ音。
コミュニケーションのやり方。
形骸化した芸術そのもの。


パフォーマーであり、作家である僕らがやるべきことは、名盤や名画を”懐古”したり”復元”したり、発掘したりすることなんかじゃない。
これは”学者”のやることだ。
”この作品が最高に良いからこの方向のことをやろう”とその完璧な模造品を作ることでもない。

どこから派生したのか分からないが似てくるものはもちろんあるだろう。
環境を同じくすればそういったものが生まれるのは、生物学的にも証明されている。

ただ、僕らが知力を使って流れを引き寄せられるなら、意思の力で新しいものを新しく作り上げることができるのじゃなかろうか。


これが頂点というものは、言わずもがな、存在しない。
ベストのものが世に出回っているわけでもない。

しかしながら、もし、自分たちの作り上げた物を自分たちの手で世に知らしめようとしなかったら、生み出した命を生み手が自ら絶ってしまうことと同じだと僕は思っている。


僕らにとって、僕らの手で作ったものこそが本物だと思っている。

自分で生み出した虚像に偏愛を抱き、区分にだまされたまま、終わるわけにはいくまいよ。

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2012年10月 6日 (土)

誰が囁いたのかは知らないけど。

随分と長いこと、ブログをお休みしていた。

特に書くことがなかったといってしまえばそれまでなんだが、相変わらず言いたいことが山ほどあることには変わりなく、でも言ってもどうしようもないことはどうしようもないので言わないと思っていたらこのていたらくだ。


僕はどう転んでも器用な人間ではないので、一つのことをやると、片手間でもう一つのことをやることはさっぱりできない。

音楽を”やりたい”と思えば”やる”ことしかできないし、”作りたい”と思えば
”作る”ことしかできず、それが”仕事”なら”仕事”しかできない。


思考のループに疲れた。

人が多かろうが少なかろうが、僕にできることは演奏に限らずその場で持ってること全部出してパフォーマンスすることだから、毎回魂をちょっとずつ消費しているような心持ち。


昨日(10/5)の柴さんのチャリティーイベントなんか特に、本気以上に本気にならないと、見ず知らずの子どもたちのためにお祭りって感じにならない。
不幸は分かち合えないものだと僕は基本的に思っているから。

誰かのためにとか、何かのためにっていう精神よりも、柴さんが僕らに直接声をかけてくれたときにぼそっと言った”楽しんで、続けたいって思うことこそ、本来のチャリティーだ”って言葉が僕はほんとに好き。

もちろん声をかけてもらえただけでもものすごく光栄なことだと思うけれど、地位にも名誉にも全く疎い僕は、その柴さんのつぶやきがなかったらあっさりとグループに参加することを断っていたと思う。


感謝はするべくしてするものだ。
僕はそう思う。
こういうと”こいつは驕っている”と思われる方もたくさんいるだろう。
いっこうに構わない。
ただ、何でもないことにでも僕は感謝をするし、手に余るほどの施し物を受けても僕は全く感謝しない。
愛には見返りがないと信じているからだ。

莫迦は人の手助けを”先行投資”だと言いやがる。
くだらない。


ちょっと前に自粛とか我慢とか、流行文句のようになっていたが、その行為が身の丈にあっているならそれでいい。
我慢することで生み出されたエネルギーは波紋となるだろう。
楽しみたいといつも思っている人の気が波紋となるのと同じように。
やりたいとほんとに心から思って、ほんとに楽しみたいって思って、またはここは耐えるところだって本気で思って、そこで生まれた気のかけらを、火種のようにして苦しみの中で生きる人に渡す。
僕のチャリティーの精神はこれ。
それは継続可能でなければならない。
それは本気でなければならない。


やりたくないことをやるのは何の美徳でもない。
日本の精神文化は耐え忍ぶ文化と、これまたどっかで聞く話ではあるけれども、それは表面だけだ。
なぜ耐え忍んだかを見ずして、簡単に文化にしてしまうもんじゃない。
一族の繁栄が”夢”であるからだ。
それこそ目指すものだったから、だから”耐える忍ぶ”のだろう。

耐えることも楽しむことも表裏一体である。
楽しむために訓練する。
耐えた先に理想がある。

目指すものが”楽しいもの”であるなら、誰もが笑顔であることが目標であるなら、それを掲げるものは常に楽しまなくてはならない。
作り笑いは嘘つきだということになる。


むちゃくちゃな人生で人でなしだったり強力な自分勝手だったりして犯罪を犯さないだけましな僕のような歩く産廃でもさ、バチさえ握れば少しぐらいはなにか残せる。
申し訳ないほどに楽しんだから。


”先輩たちの胸を借りた”などという言葉は失礼至極になりそうで、心情的には嘘をついているように、僕個人としては思う。
そんなどうでもいい、誰でも言えるありがちな台詞より、僕自信の言葉で言うなら、”作家として時代を築いて、多くの人に力を与え、今もなお感動を生み続ける人の姿勢に触れる”ということがシンプルな事象であって、それはめちゃくちゃ嬉しいことなのだ。

巡り合わせの奇跡に喜びがあって、それを求める人たちに対して感謝があって、その現場に居合わせた人の起こすアクション全てが自発的な奉仕で、それが創作の場に変換されるという、いくつもの偶然で世の中は回る。
方程式にはなりえない。

だから戦略だなんて言ってたら盲目になる。



アマゾンでチョウチョが羽ばたいたぐらいで、地球の裏側では雨が降るのだ。
誰が囁いたのかは知らないけど。

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