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2012年8月

2012年8月30日 (木)

師、曰く

先日、銀座のバーで演奏した。
ジャズのお店といってもいいだろうが、最近のお店はいろんな演奏をやっているので一概にはそういえないかもしれない。

僕がジャズの生演奏を初めて見たのは、新宿の、今は無くなってしまったジャズ喫茶だった。
そこでお師匠とあったのだけど、その頃のお師匠さんは、今の僕よりも少し年上というぐらいだった。

決してたくさんのお客さんが入っているわけではなかった。
いわゆるスタンダードはその夜は演奏されておらず、レコードなんかで聴いた僕の知っているジャズとは全く違う趣きの演奏だった。

ヘヴィーメタルやパンクばかりやっていた僕はそのお師匠さんにストーカーのように何度も電話をかけてようやく弟子にしてもらった。
僕はしばらくお師匠に”メタリカ”と呼ばれた、、、今もときどき、、、。

まだ莫迦田大学の学生だった僕は、弟子にしてもらって、たくさんのお師匠さんの演奏を見に行った。
どこもお客さんはそう多くなかったように思う。
ときには僕が素晴らしい演奏を独り占めするときもあった。

でも、いつ見ても、いつ聴いても、お師匠さんの音楽はかっこ良くて、僕には常に新鮮だった。

何年もそうやってお師匠さんとの付き合いを続けていくうちに、お店にはお客さんも少しずつ入るようになって、場所によってはお店の常連さんに会ったりもした。

スーツの男性、OL風のねえさん方、カジュアルな服に身を包んだ音楽好きの若者。
お酒を飲みながら、ご飯を食べたりして、各々好きなスタイルで音楽を聴いていた。

今、僕はあのとき会ったお師匠の年齢に随分と近づいた。
ステージから客席を見ると、お師匠さんが一生懸命活動して、少しずつお客さんが集まってきだしたときのことを思い出す。
僕が客席から見た当時の景色を、今度はステージから見ている。
景色がとても似ている気がした。

僕はお師匠のお弟子さんのなかでは一番の異端かもしれない。
お弟子さんはお師匠のスタイルを受け継ぐ優秀な演奏家ばかりだが、僕はありとあらゆる反則技の数々を尽くし、お師匠さんのスタイルから一番遠いところにいってしまった。

そんなインチキなスタイルになっても、”音が聞こえるまで待つ”という、お師匠さんがいつも僕に言ってくれたことは大事に守っている。

回り道をしたり、遠くに来てしまったりしたようでも、似た風景を見ることで、お師匠がなみなみならぬ努力をして踏み固めてきた道と同じ道を、やっぱり僕も苦しんで迷ってしながら踏み固めて歩いているのだなと思う。


充分すぎるほどに不良な弟子だが、この景色もしっかりとお師匠が教えてくれた道だと思う。

これでいいのかもしれないな。
自分らしい道も、きっとそんなお師匠あってのことだろう。

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2012年8月26日 (日)

It's up to me

前の記事からすっかり1ヶ月が経ってしまった。
引っ越しやら、あたらしいグループの方向性を決めることやら、エンジニアの仕事やら、結婚やら、なんやらかんやらで、どうも落ち着かない日々となった。

あ、そうそう、そういえば結婚した。
これに関してはこれ以上何も言うことはない。
僕にはハッピーということがどういうことか分からないし、知りたくもなければ、”愛”についてのその中身の言及は個々人によって違うものだから、このことに関して”おめでとう”などという言葉の意味すらも分からないからだ。

そんなことより、一番に心配なのは、親族を含む関係者各位に、これまで独り身だったことで自分だけならどうにでもなるとかき捨ててきた恥やかけ続けた迷惑をかけやしまいかということのみ。

本来僕は絶対に集団行動には向かないし、例えば音楽をやるとかイベントごとをやるということ以外、協調性は0の人間だ。

まず誰かとともに計画なんかは苦手を通り越して、できやしない。
人生設計なんて、死のうと思ったときに死ねばいいからする気にもならない。

というのが、本来の自分。
ところがそれが伴侶としての、いわゆる自分の半身のような存在ができるとそういうわけにもいかん。
こりゃ、なかなか難儀なことだ。

が、幸い、相手方のご親族の方々はどの人も明るく、わんこと暮らしていたり(僕は犬が好き)、職人気質なひとたちであったり、野菜を育てるひとであったりで、これまでのように眉間にしわを寄せて生きる日々は多少緩和されたように思う。
あとは鬼嫁の鬼説教に負けずに、野に咲く花よろしく、草の根の精神でたくましく生きていけば良いだけである。
自分のペースができれば、これまで以上に豊かな創作活動ができるだろう。


常に”音楽から身を引くか”ということを考える。

才能というのは誰にでもあると僕は思っている。
しかし崖っぷちを慎重にすすんでいても、その才は発揮されることはない。
不安が無くなれば、きっと僕はただのゲーム大好きなゲーマーか、シンナーまみれでプラモデルを作り続ける人間になるだろう。
大好きなゲームやプラモデルなんかを、稼いだお金で買い漁ることは多分”幸せ”なんだろうし、そういう楽しみにお金を使えるように働くこともありと言えばありだ。

芸術を続けることは大変なことだ。
ものを作るという喜び以上に、この世界は妬み嫉み、しがらみ、つまらな苦古くさいルールのかたちをした嘘、そんなものの方が多い。

不安も孤独も僕にとっては創造に駆り立てる源だ。
安定した生活はきっと僕から”怒り”を奪うだろう。
何かに対する反発や怒りが、僕にとってはものを作る源。

出来上がってくるものがむちゃくちゃであることも、意味がないと思われることも、僕自身のことで、そりゃ他人には関係ない。
が、そう思われる時点で僕の世界観は伝わっているのかもしれない。
なぜなら、僕の世界には意味もボーダーももともとないからだ。
そこらへんを歩くアリンコに生きる意味を問う痴れ者はおそらくほとんどいないだろう。
それと一緒。

意味付けはあと付けだ。
だから、僕は作り上げたものに対してだけ意味を”足す”。
歩いて来た道にその名前を付ける。

真に新しいかどうかは分からないが、自分にとっての知らないこと、これから挑戦することのみが僕にとっては新しい。
それは僕を知らない人、これから知る人、または知っていた人にとっても同じことが言えるだろう。
僕がこれまでにやらなかったことは、僕がこれまで発露しなかったことは、新しいものとして認知される。
それは”この人にとって””新しい”と。

新鮮であるということに僕はいつもこだわりたい。
素材は一緒でも、まだ作ったことのない料理を作りたい。
うまくいくかどうかは分からない、これが”不安”の正体。
美味しいと言ってもらえるかどうかが分からない、これが”孤独”の正体。


久しぶりに文章を書くとすっきりする。
ブログは僕にとってはセラピーである。
病むほど文章を書きたくなり、病むほど創造をしたくなる。

病み過ぎたこの一ヶ月はその気にすらならなかったのだけど、演奏をし、それをみんなが楽しみ、いい顔で話しかけてくれると、やはり元気になる。
ノーマルな病みに戻る。

これが作家の呪縛だろう。
身体が弱いことも、社会不適応も全ては呪縛だ。
直そうと思ったら、僕そのものが灰のごとく消えるに違いない。
与那国でいつだったかお祈りを受けたときに、身体が焼けこげる感じがしたのは気のせいではないのだろう。
笑い話だ。


てなわけで。
こんなに長い間、ここを留守にしていたのに、どういうわけか毎日のようにアクセスはたくさんあるようだった。
それはきっと何度も繰り返し読んでくれる人がいるということなのだろうし、最近あう人あう人、”ブログ読んでます”と言ってくれるので、僕は惚けた返事のみの痴人になっているのだけれど、なにはともあれ、心の中ではとても感謝している。

おいしそうな料理の写真が載るわけでもなく、かっこいい演奏の動画があるわけでもなく、音源がアップされてるわけでもなく、これといって特に謳歌するようなポートレートもここにはない。

ただただ文字のみである。
それでも僕の人となりを知ろうとしてくれたり、あったこともない人がこのブログをきっかけにメッセージをくれたりすることは、これはネットが中心となった現代においての、まさに”新しい”感動かもしれない。弊害はあるだろうが。


今日はこれでおしまい。
最後まで読み進めてくれてありがとう。


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