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2012年7月19日 (木)

the last conversation

随分と長く一緒にやってきた。

音楽にジャンルは関係ない。
僕の構想は、そこにいるメンバーによってかたちを変え、色を変えて、一つの終着点にたどり着く。

創作物は、よほどに気を使って無菌質状態の一人きりで作らない限りは、何らかの影響を受ける。
絵も音楽も映画も、そのすべてが社会的であればあるほど、その時代、その周囲によってかたちが変わる。


僕は、むしろ、無菌室で作られたものこそ人工的で、無味無臭の人畜無害な”プラスティック”だと思っている。
プラスティックはたしかに生活における利便性の向上を果たしたかもしれないが、決して豊かにはしなかった。
たくさんの贋物を生み、目をごまかし、審美眼を人から奪った。

その存在は、皮肉をたっぷり込めた作品の一部に使われ、一方で今も人をだまし続ける。


僕は、たくさんの意思の影響を受けた。

もともとは閉じた人間だった。
自分が思い描いたもののみを信じ、その閉鎖空間でのみ創造されるものを表に出すことで、それがいつか誰かの目に留まればいいと思っているだけだった。

自分の中の自分だけの言葉は、決して誰にも分からない。
たとえ少ない人たちに伝わったとしても、その人たちだけで作り出す空間はまた閉鎖的だ。

分かっている振りをする。
分かり合えた振りをする。
同類の振りをする。
同じ穴の狢のマイノリティー根性だけむくむくと成長させて、自ら枠にはまっておきながらボーダレスを提唱する。


別に、そういうコミュニティがあってもいっこうに構わないが、僕はもうそこにいるのは嫌だ。
同族で群れることの安心感をまるでクールなことのように装い、理解不能な劣等感をマイノリティーの神格化のように扱う習慣には唾を吐きたくなる。


かつて僕は民俗学を学んでいたが、
”脈々と受け継がれてきたものは今は少なく、だからこそ継承された技術は高価だ。
 時代を超えて人々を豊かにしてきたものが、昨今便利だと思っている石油性のものに劣る訳がない”
と、師は述べた。


良き食器には何一つ意味不明のものなど含まれてはいない。
多くの人に触れられ、比較と検証を重ね、今僕らの手に渡る。

それは僕らの作り出す音楽を含む作品も同じだ。
たくさんの人に触れられ、比較と検証を重ね、自らも社会の一員となって意見を作品に込める。


が、難しいことは、”大量生産”可能なものほど人の手に渡りやすく、比較検証されるという現代の仕組みだ。
大きな母集団を抱えることで科学の力でもって、人の”琴線”をも計算可能にしようとしたではないか。


ビジネスは資本主義における神聖な行動だ。
つまり巨大な利益の産出は、宗教における祈りと同等の行いといえなくもない。


しかし僕の宗教はそれじゃない。
僕は昔ながらのやり方だ。

かつて考えていたように気取ったマイノリティーの考えは捨てた。
もし、自分の手がけたものに自信があるのなら、博物館入りの時代錯誤したものではなく、逆に今を生きる人の手に僕自ら触れ、またそういう人たちに触れてもらわねばならない。

僕が意見を言うのであれば、難しい理屈をシンプルに作り変える力をまず僕が持たねばなるまい。

ただ、そう考えた。


ほんとに長くやってきた。
活動を続ける中で、やれメンバーを替えろだの、あいつが足を引っ張ってるだの、あれがいるからいまいち好きになれないだの、リーダーの僕が思うならまだしも、外からの声を聞いては苦悩して、それでも最後には”じゃあ、やってみろよ”の一言で、心ない言葉を踏みつぶしてきた。

おかげで、今、cubic starというグループはおそらく、ようやくその力を伝播できるようになって、人とシェアが出来る環境の土台を作れてきたのだと思うが。


その段階もすぐに最後だ。
一時代であると思う。
今までのcubic starの音楽は、ある意味では完成を見たのだと思う。
だからこその別離であり、新たな挑戦だ。

僕がこのグループでやりたかったことは、こういうと誤解されるかもしれないが、全くもって”これじゃなかった”。
が、僕の音楽感は、今のメンバーもそうだし、以前のメンバーも含めて、その人たちと関わることによってより柔軟になったし、僕が絶対やらなかったプレイスタイルも思考も彼らから学んだ。
これは、時期における”完成”なのだ。
なければ前に進まない、大事な”形態”なのだ。


僕は人のイメージには絶対に左右されない。

たくさんの人に言われた。
”それはお前のスタイルではない。”
”それはお前に似合ってない。”
”それがお前のやりたいことなのか?”

どれも誰かが作った僕に対するイメージから出たものだろう。
が、僕のスタイルはどこにも当てはまらない。

僕が作るものは、今、そこにいる瞬間に対する意見を経験を通して作品に変えるものだ。
練りに練ったアイディアでさえ、旬なものにメタモルフォーゼが叶わないのなら、僕には必要ない。

僕のスタイルは”今”にある。
それこそ長い時間をかけて比較検証して導きだしたもので、だからこそ人との出会いとシェアを真っ先に大切にしたい。

コミュニケーションが遅いことが最も嫌いなことだ。
便利だと思うものに依存して、現代はその速度を落とし、濃度は水のように薄くなった。
少なくとも僕はそう思っている。

だから、芸術が芸術としてあったもとの場所に、芸術を返したい。

最後だ。
今まで作ってきたcubic starの音楽は、リリースしたものを除けば、跡形もなく消える。
音源はその名の通り、”アルバム”と化す。

現メンバーによる最後の創造の現場に、是非自らの想像力を持って参加しにきてほしい。


パフォーマーが創造主ではない。
空間に存在する全ての人の意思でもって作品は完成する。
僕はそう信じている。

http://www.cubista-minimal.com/


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