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2012年7月26日 (木)

reborn

言葉もまた自己表現のツールであって万能なわけではなく、伝えられることも多いが、伝わらないことも多く、誤解も多い。


人はほんとに人同士分かりあえないのだろうか。
多くの経験、見聞をしてなお、理解を深めるに至らない数千年の歴史を見ると、果たして僕らは分かりあえない種ということが出来るかもしれない。

知識や知恵や文化といったものが進化を妨げる原因になっているのなら、僕個人としてはそんなものは捨ててしまいたいが、ご多分に漏れず、間違いなく僕自身もそんな文化の中にあり、知識や知恵に凝り固まり、雁字搦めとなって人に襲いかかる、そんな人間である。


暇人がまるで世捨て人のように、自国に対してふと考えたことがある。
この国は幼稚化してるのではなく、老人化しているのだと。

”人にやりたくないことを押し付け、自分はやりたいことをやる”。
”これは知ってるからやらなくていい”
このずる賢さは子どもの考えつくことではない。
これは経験を踏んだ老人の考えだ。

全てを知った気になり、己の利益を優先し、自分を中心に置くから他者が見えない。

たとえどんなに長く生きて、どんなにこれまで何かをしてきたとしても、僕らは生きることに対してリタイアすることは絶対に出来ないはずだ。

身体が機能している限り、あるいは思考が機能している限り、僕らは世界との関わりを終わらせることなく、何らかの反応を示していくべきだと思う。

幼児退行は”子ども”にできる仕業ではない。
これは老人に見る症状だ。

次代を担う人がもし、老人のようにリタイアを望み、コミュニケーションを疎んだら、もう人としての進化は末期だ。
知っていることだけを続けることはその末期症状に等しい。

しかし、同じことはある一定の期間、繰り返されねばならない。
それは”訓練”である。
決して”理解しきった”と決めつけるべきではない。

浸透があって初めての”理解”の可能性が出てくる。
それにしたって所詮は土台だ。


様々なものを記録出来る時代はとっくのとうに到来している。
人は何度となく自己の体験のように過去に触れ、検証することができる。
それにも関わらず、人は相互理解をいっこうに深めるに至らない。


誰かがわかりやすく”理解”するということの意味ややり方を説明してくれると思っている。
長く時間のかかる、煩わしいと思われる作業を、誰かに任せている。

そしてそれは僕にも例外なくある。
どんなに必死に新鮮であろうと心掛けても、心身の疲れはあっさりと僕からその心掛けを奪うだろう。

長い前書きだったが、ようやく本題だ。

ある種の突然変異はこの世の環境にはそぐわず、長くそのかたちを保つことはできない。
これは突然変異であるが故の必然だ。
生物に例えて話をするなら、ある日突然誕生したものは比較や検証によって生まれたものではなく、それはつまり長時間かけて変化をしてきたものではないから、微妙な環境の変化を感じられても構造的に対応できない一過性の命となる。
が、大事なことは、この突然変異はそれでも過去から続く流れの中から生まれてきたものであるということだ。

変異体の産出は普遍体の完成の奇跡への第一歩だ。
症例が多くなれば、変異体は一般化されていく。

そういった突然変異は、ほ乳類におけるへその緒のような役割だといえるだろう。
へその緒は一時期に絶対に必要不可欠であり、あっという間にそのかたちは変わる。

cubic star minimal orchestraというグループを長く続けてきて、現時点までで最も長く続いた一つの時期が終わった。
変異体に対する不理解や非難は数えられないほどあったが、現象として徐々に認知されるに至ったことは僕自身がよく感じている。

人が抜けたりすると、理解のできない奴は”それが終わり”だと勘違いをする。
はっきり言って、間違いだ。
それは一時期の”かたち”が次の段階に入ったに過ぎない。


存続に何かしらの意味があるのか?と問うものも出てくるかもしれない。

存続し、進化し続けることに意味があるのだから、それそのものに意味があることに対して意味があるかという問い自体が間違っている。

何かにつけて意味を問うことも、まったく年寄り臭い行為だろう。
子どものときは意味などなくても笑い、作り、興味を持ち、残酷なまでにいろいろなものをもてあそんだのではないか。

無計画な残酷性や攻撃性こそ未熟な子どもの証なのだが、それも精神の成長の過程である。
成長の先にそれらの性質は磨き上げられ、エネルギーは別のものに変換されるべきだ。

そしてまた、その先に繋がる。


現状を維持する知恵と同時に、新しい環境への不安を押さえ込む力が必要だ。
”今”はいつも次の瞬間に消えてなくなる。
即興的な変化への対応とともに先見性も兼ね備えなくてはならない。


人と道を分つことはとても寂しいことだ。
分かりあえないことも寂しいことだ。

こういうと残酷だったり冷めた奴だと言われるかもしれないが、僕はその寂しさよりも、新しい出会いに胸を膨らませるタイプである。
誰がなんと言おうと。


過去は”宝物”であり、宝物は宝箱にしまわれるものである。

僕の創作物は宝物ではない、”生き物”だ。
だから存続することに意味があり、進化し、かたちを変えることに意味がある。

へその緒は僕の命を生み出した大切は僕の一部だった。
それは桐の小箱にでもしまっておくことにする。


僕の次のステップはもう始まっている。
妨げになる予備知識は全く不要だ。

僕は相互理解を目指す。
分かりあえるのかどうかという疑問の答えに一歩近づきたい。


芸術は人の理解力を補完する為の最終ツールだと考える。
どこにあってもそれは人を結びつける力になるはずである。


僕には僕らのグループが変化することを期待する声がしっかり届いている。
そういう人たちに会ってきたし、その人たちも僕らの音楽を創造するメンバーである。

音楽が芸術なら、楽器など要らない。
おそらく楽器が必要なのは、その表現を選んだ初期段階においてのみ。
音楽を作る段階にはそれらは表現者の手足になっている。
つまりは一般化された生物だ。

その進化は”作家”という突然変異を生むに至る。

グループは今、その段階であって、確実に着実に進化している。


生まれたての期待感がある。

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