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2012年7月17日 (火)

always let me go

特異点はいかなる基準の影響も受けず、過去現在未来を結ぶ唯一の点になる。

どこを通り、どんなことをしても、その点を通らずには時系列を結ぶことはできず、かといってその点自体は時系列を結ぶ為に存在するのではなく、その点そのものがその点であるあるが故に存在する。
なぜそういう状態であり得るのか。


僕らは社会に生きて、人の、社会の、もっと大きくとらえれば、歴史の影響を受ける。
これは必然だ。

カンブリア紀の生命の爆発だって、その全時代には見たこともないような生き物が生まれたが、どのような新種の生命も、突然変異はあれど、その遺伝子はかつての何かからの派生である。

何も見ず、何も聴かず、何も通らずで、何かを作り出そうなどということは不可能だし、それを提唱する偽物に激しい嫌悪感を覚える。

己の満足かなんだか知らないが、孤高の気取りかそれに付随するものか、”マイノリティーである”という認識のひけらかしに無性に腹が立つ。
どうせどんなに括弧でくくったところで、それは特異点にはなりえない。

洒落たふうのことを洒落たふうにやることがものすごく嫌いだし、そういうものの輝き方は途轍もなくいびつで、そのコミュニティーももうどうかしてる。


作りたいものを作るとき、そこには絶対に経過がいる。
つまり”続ける”というなんのことはない、ごく単純で莫迦の一つ覚えのような行動が必要だ。

創造するという行為は連続する時間の中でしか磨かれない。
何か一つでも連続を欠いたなら、もはやそれはものを作るということにはならないのだ。

過去にとらわれることも今や未来にとらわれることも、それは思考の停止であって、連続を断つものだ。


”今のままで満足か”と唐突にきかれた。
答えは2つだ。

その答えの1つは、”今までは”満足していようがしていなかろうが、もはや関係ない、ということ。
時間が経過したという物理的な状況は変えられない。
だが、過去は現在によってその意味や価値を変えることができる。

”今”といった瞬間に過去になるのだから、当然のようにそんなものやことに興味はない。
この瞬間の価値はいつでも変えられる。

そもそも今出来なければ満足する訳がない。
それからこれまでにおこなってきた自分の活動や経験は、それがどんなに糞のようなものでも、それこそその時点からの未来において意味合いが変わる。

はっきり言っておくが、これまでの自分を含めた、誰の何に対する行動や、言動において、僕は一切満足していない。

”今のまま、あるいは今までは満足か”という問いは、幾度となく、いろんな人にきかれてきた。
その度にいつも思う。
”では不満だと答えることを期待している人に、僕が不満だと答えたなら、その人は今のままで満足なのか”。

満足だろうが不満だろうが、どちらにせよそれはひどく主観的な意見だ。
いつ、どんなときにおいても、自分の場所は自分で見つけ出さねばならず、自分の向上と経験とに飢えているべきで、そうあることが作家であって、大体、理想もなければ自分の時代を自分で生き抜けない。


僕は、今の飢えた自分に満足している。
やりたいことだけをやるようなクソガキを一生通していこうなんてさらさら思わない。
僕は見たことないことや知らないことをやりたい。
僕の頭の中にあるものはたくさんの物事の集合体だ。
ひとつひとつとれば、所詮は経験によるパーツだから、どこかで見たことのあるような、または聴いたことあるような、味わったことのあるようなものだろう。

が、集合体は細胞のように新しい一つの生命になりうる。
全ては経験だ。

ただ、僕という核は、僕自身であって、どんな基準にも影響を受けない。
素材を選び、収集し、組み替えていくことは何かの影響を受けることがあっても、そこに何らかの普遍性を見出そうと考えるなら、それは特異点だ。
その複雑な経路こそ僕の核だ。

常にテーマにあるのは”普遍性”なのだ。
100人いたら100人が好きになるものが普遍性なんかじゃない。
時間を超え、思想を超越するのが普遍性であって、様々な哲学を飲み込み様々な側面をみせるから、一験何の影響も受けないように見えるものこそ特異点である。
目に見えないほどの影響は、文字通り目に見えない。
無限大はつまり無に限りなく近い。


僕は、自分で我慢ならないものを自らの手で作り出してきた。
同時に、もう今しか作れないものも作り出してきた。

時間の経過という最後の要因があって初めて完成されるものを作ろうとすれば、上記の2つは同じものということになる。
なぜなら、現在という進行する時間軸の上において、その意味は変化するからだ。


満足などという言葉は、通過儀礼だ。
行き過ぎる道に迷わぬように石を置いただけに他ならない。
これが出来ないようじゃ、まず持ってダメだ。
自己満足すら出来ない人間に、誰が期待などするものか。
己の評価を下せない人間は、つまりは盲目だということだろう。
人には必ず何かしら出来ることがあるはずだ。


そして、自己満足などという幼稚な時期はとっくの昔に過ぎた。
亡者に手を貸す暇はもうない。


次の舞台では僕はまっすぐに理想を追う。
もう誰かを待ったりはしない。

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