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2012年6月

2012年6月30日 (土)

”ドン”と”タン”

人の代わりは、他人にはできない。
その人はそこにいるだけでその人たりえて、たとえその人が広く多くの人に知られていなくたって、その人はその人で、その人無しでは生きられない人もいて、その人無しではあり得ない時間がある。


ロックンロールは構成要素の90%が”ドン”と”タン”だと僕は思っている。
それなのにその”ドン”と”タン”は人の顔と同じように、みんな違う。


僕は彼が初めて会ったときから好きだった。
同じ九州育ちというのもあったんだろうか、外っ面物腰柔らかくても、プライドが高くて、いつも一生懸命で、一人で孤独も悩みも抱え込んで、とにかくスピードを落とさないように命を燃やすかの如く走っているように見えた。
それが堪らなく魅力的だった。

彼もまたドラムスの奏者。
僕にはないものを彼がもっていて、僕が欲しいものを彼がもっていた。


同じ”ドン”でも同じじゃない。
同じ”タン”でも全く違う。


彼は自分のことを”喧々”と名乗った。
”ケンケン”のけんの字は喧嘩の喧のけん。
彼はそういった。
はは、僕と同じだ。

無論、本名とは全く違う。

僕は、僕の力でもって、表現を、楽器を、音楽を、ねじ伏せてみたかった。
当然、僕にはそんな力はなく、神様もそんなものは僕には与えてはくれない。

彼にはそれがある、と僕は見た。


楽しげで優しげな笑顔の中に、黄色い憂鬱が混じっている。
笑いながらも入る眉間のしわのはいる彼の表情が、僕は好きだ。


不慮の事故から怪我をしてしまった彼の代わりに、僕が代役を担うことになった。


人の影を追う。
人の影を背負う。

演奏者というパフォーマーの分類は、影を追うものなんじゃなかろうか。
それはいつかの時代の先人であったり、どこかで聞いたことのあるものであったり。


僕は作家に逃げているのかもしれない。

彼のとったパフォーマンスを追いながら、僕は彼のことを何も知らなかったことに気付いた。
彼は影を振り切るように、スピードをフルにして戦っていた。
僕には出せないスピードだった。


たった、”ドン”と”タン”だ。
たかがロックンロールだ。

でも彼は彼だ。
僕にはその領域を指先一つ侵すことはできない。


芸術はやはり哲学だ。
哲学が間を生み、メロディーとなって、心に届く。
肉体労働ではない。


哲学を知ったとき、その人のことをその人だと知る。


僕が作ったものは贋物で、彼の影だった。
でも、歌に救われる。
彼が相方とともに作り上げた歌が、僕の作り出す嘘を中和してくれた。

僕は音源を聴いて、メロディーでもリズムでもなく、”歌”を覚えた。


歌は不可侵にして、不思議なことに全てを包み込むパワーがある。
その二面性は他のパーツにはないものだ。

デュオの構成を成すそのユニットのピアノボーカルの子が歌う歌は本物だった。
本物が嘘を見事に中和する。


本当なら中和ではなく、見事な化学反応が起こっているはずなのだ。


人はそこにいるだけで、”誰か”であり”何者か”である。
だからこそそれだけで意味があって、だからこそ愛しいものである。

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2012年6月26日 (火)

thanks for kissing my name

6月ももう間もなく終わる。
梅雨が明けていく。
性急な台風が前線ごと吹き飛ばしたのか、東京の方はたいした雨は降らなかったようだ。
部屋の中で見る雨は好きだが、停滞する前線におし込められているのはやっぱり好きではない。


閉じているという感覚が、僕は嫌いだ。

”自分だけの”だとか、あるようでない”こだわり”だとか。
そんなものは幻想である。

社会的通念に則って潔癖な生き方を全うしているような者は単なる”人畜無害”であって、そういう奴に限って”自分だけの”とか”こだわり”とかを口にする。

ばかばかしい。
背徳行為など日常茶飯事であるくせに、自らの罪を人の罪によって覆い隠す。

それが退屈だ。

演奏の前、もうどうしようもなく一人になりたくなった。
建物の非常階段で煙草を吸おうと動き出したところで、携帯を見ると着信がある。

大切なメッセージに、僕はまだ自らアクセスする能力を持たない。
だから必ず向こうからやってくる。

友人の声はいつも明るさとけだるさの真ん中で、その裏表のなさに”こういう人間が自分の周りにいる以上はまだ自殺の必要はなかろう”と、あっさり思いとどまれるというものだ。

とにかく、僕は退屈持ちだ。
が、その友人の思いつきはどんな時も想像を絶していて、不可能に挑戦するという、退屈とは真逆の莫迦な自分を思い出させてくれる。


”ニューヨークに行こう。”
以上、終了。


僕は、どちらかというと理屈屋だから、いつものように、行く理由を探す。
で、探してるうちに電話越しの友人はものすごいスピードで、僕が国外逃亡する理由を次から次へとあげつらって、最後には僕に、うん、いこう、を言わせてしまった。


僕は、”僕だけのもの”が嫌いだ。
正確には、ある日を境に嫌いになった。

だからといって、何でも喋ったりはしないが。
だって、めんどくさい。
自ら薄っぺらな人生を話す必要もないと思うし。
ただそれだけ。
聞かれれば全部話す、その質問に応じてなら。

”自分だけのもの”などというものなど、この世には存在しない、容易い理解だ。


世界のコアの一角を担うニューヨークには、”自分だけのもの”という概念を思い切り拳でたたき壊せるだけの”シェアの精神”がある。
意志も哲学も芸術も文化も言語もことごとく粉々にされて、さらに再構築され、世界に向けて発信される。


僕なんかが言うことではないかもしれないが、言論の自由が許されているという大前提で言うと、今の日本には大戦後に起こした強力な磁力のような意志の団結はない。

絆という言葉で罪を覆い隠し、デモの体裁で祭りをやる。
最悪のモラルの低下だ。
見ているだけで胸くそ悪い。

正義の名の下で、よりによって人ごときがまるで神のように裁定者気取りで、その下で力を尽くし苦悩する人間が、あるべき位置を退き、はたまた命を絶つ。

”自分だけの”やりたいことの為に、言いたいことの為に、自らの罪を覆い隠して。


シェアは苦しみも憎しみも”シェア”だ。
怒りも悲しみもシェアだ。

甘い汁ばかり、都合のいいことばかりのシェアなど、”自分だけの”だろう。

”あなたの音楽は世界に響くよ”と友人はいつも言ってくれる。
その人のことばに僕は何の疑いも持たない。
掛け値無しの言葉を発する人は、そうそういない。

開演前、たくさんの仲間が駆けつけてくれた。
その日の集客のことを皆口々に心配してくれた。

僕らが立つような場ではないからだ。

場違いな場所にいることも、意にそぐわないことをしたことも、僕は知っている。

分かっているからこそ、だからこそ”自分だけの”場所でないところに立って、そこでもバトルしなければ、僕も、僕らも、もう変わらないと考えていた。


変化のない閉塞感が堪らなく嫌だ。
なぜ安住しようとする?
なぜ戦わない?
なぜフロンティアを目指さない?

出来上がった土地で出来上がったものを出すだけのそんなパフォーマンスも姿勢もくそっくらえだ。


自分の場所だけを守らずに攻めに出た結果が、そうやって心配の声を掛けてくれたり、どんなところにでも駆けつけてくれる人との出会いなんじゃなかろうか。
僕の内側にあるコアな音楽には一切の言葉はない。
それでも手を伸ばし、それを掴もうとしてくれる人がいる。

その人たちがどこにいるかなんて、僕らが安住の地にいては永遠に気付かないだろう。
気付かないまま生きていくのなんて、とにかく嫌だ。


待ってるんじゃなくて、先導することが、作家だし、オピニオンリーダーだし、それこそ芸術の持つ最大の力で、それができるのは政治家や著名人なんかじゃなくて、”芸術家”だけだ。

自分のやりたいことだけを守るのは芸術家のやることじゃない。
人の意志の、あるいは歴史の、時流の、巨大な器となるのが芸術家であると僕は思っている。

他人の欲望を満たすんではなく、人の革新を先導することこそだ。


人が嫌いであり、人が好きだ。
みんなが幸せになればいいと口にするだけの奴が嫌いであり、みんなが幸せになればいいと願い地べたを這いずり回る人が好きだ。


変えたい。
自由は歯車のように緻密に噛み合って成立するもので、無秩序を意味する言葉じゃない。


まだこんなところで弱くはなりたくない。


特に理解されようとなんかしない僕に、それでも理解をしようとしてくれる人に、ほんとに心から感謝している。


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2012年6月23日 (土)

go from the inside

東京に戻ってくると、まぁ、いろいろと大変だ。


僕の活動の半分は演奏に費やされている訳だから、そも練習は当たり前だとして、”企画された演奏を成功させる”という義務を背負わねばならない。


自営業なもんだから、読んで字のごとく”自分で営業をする”、そんな具合だ。


音楽に限らず、芸術作品を売り歩くのは、未開の地にコーヒーを売り歩くのと同じようなことである。
知らないものを知らない人に知ってもらうというのは、新しいものを作っている以上当たり前のことで、これが食べ物なら味わってまずけりゃもう誰も口にしないで終わるが、作品ってのはまず手に取るという初動にまでに持ち込むことすら大変だ。

地下でなんだか怪しげな儀式のように耳なじみのないことをやってても、そりゃ誰も食いつきゃしない。

とはいえ、求められたものだけをやるとろくなことはない。
求める側にも、こう言ったら何だが、程度というものがある。

流行ものを追う人々は提示されるものを享受するだろうから、そもそも新しいものを求めるというよりは、出され続けるものを手に取り続ける。
で、多くはこの層に属しているから、流行ものは流れ、また流行ものに変わる流行ものが生まれる。

ここは自転車操業という訳だ。


しかし、普遍的なものを生み出した場合、何によって普遍的になるかはわからないので、正しく言うと作ったものがうっかり普遍的になる場合、ここにはやっぱり作り出した者の”自営業”がある。


作った本人がその作り出されたものの意味を一番よく理解しているはずだ。
が、たとえそんな雲の上の作家であろうと、それが永続的に愛される代物であるかということまでは知ることはできない。
自己判断は困難だ。


それでも作品を抱き、人前に立つ。
僕はそれが一番大事なことではないかと思う。


作ることに満足するならば、別で財を成し、それを糧として生きていくべきだろう。
あとは気が済むまでつくりつづけりゃいい。

が、僕にとって、作ることが僕を満たす訳ではなく、”作ったものが誰かにあうツールとなる”ことが僕を満たす。

僕は作ったものの先に夢を見る。
だから、演奏をいくらやったって何にも満たされやしない。
今日いい演奏ができたっていったって、もし誰も見てなかったら自己満足にもほどがあると、しょんぼりする。

人前でパフォーマンスすることが好きかと聞かれたら、いつものように”そこまで好きではない”と答えるが、それで人が踊るなら、笑うなら、声を上げるなら、その場を作るギアに自分がなっているのなら、それは大好きだと答える。


自分の音楽の追究はつまり、人とともにある。
例えば何らかの革新的なものを作ったとしても、そこに誰もいなかったら、僕は躊躇せずにあっさりゴミ箱にその譜面を捨てるだろう。


自分の”好きなもの”というのが自分のやりたいことではない。
はたまた、自分の得意なことだけが自分のやりたいことではない。

僕自身が下手であってもビジネスにも芸術にも学問にも僕は興味があるし、そういう意味で社会的でありたいなぁと思う。


落ち着いて何か一つのことに打ち込めるなんてそんな甘ったるい社会ではないから、全ては同時進行で、目が4つか5つぐらいないと周りで起きていることから切り離されるかもしれないというストレスや不安の中でものを作っていかねばならないが、それでもやりたいと思うのだから、その気持ちは本物なんだろう。


ときどき、自分は何をこんなことをいつまでもやっているんだと思ったりもする。
流れに乗っかれば楽なんだろうとも思う。
でも、どうもそれではなんだか生きてる心地がしないようなのだ。


逆説を体現することは難しいことだ。
かっこ良くない場所ででも自分たちのやることはかっこいいと思わせたり、自分に合わないことをやっていてもそれでもマッチさせよと試みることが新しいことに繋がってきたり。


僕はやっぱりそういう冒険が好きだし、仲間もみんなそうならいいのにと思うが、うん、まぁ、難しいことなんだろう。


飽きるくらい連続する安定したミニマリズムを、人は幸せと呼ぶのだし、平和と呼ぶようだから。

万年戦争屋の僕にはきっと一生無縁の言葉だろう。
どこかで野垂れ死にすることになると、そう決まっているようだ。


台風の目が青空をみせるように、そこは安定の場所。
でも僕がいる所は、その少し外側。

自分のコアに戻る時は、自分が死ぬ時だけでいい。


日常が騒がしかった分だけ、
きっととてつもなく静かだろう。

だから、今は外に出て行くのだ。
安定はやっぱりいらないや。

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2012年6月21日 (木)

帰郷

何年ぶりになるだろうか、用あって故郷の福岡に帰省した。

大きくなる所は大きく、その逆にもと栄えていた場所は小さくなっていた。


豊かさとは何かを考える。
資本に基づいて建てられた巨大なショッピングモール、たくさんの人が住める巨大なマンション。
いずれもとても便利だ。
もうこれだけのものが揃えば、人はこの土地を動く必要もない。
そこにすべてがある。

が、そこは僕の知っている場所ではない。
かつて遊んだ広場や田んぼは見る影もない。
家族と行った商店街の夏祭りも、もう催されることもない。

そら寒いというか、なんと言うか。

それ以上に、町の生活の速度に今の環境があっていない。
結局、福岡という都市は東京ほど速くはないのだ。

ゆったりと培われ、だからこそしなやかで強い独特の文化があるのだと思う。
都市のかたちも、だから東京なんかの真似をしなくてもいいはずだ。

しかし、そこにあるものはもう東京のものとさほど変わらない。
画一化というのは一種の癌化であると僕は思っている。

父の書斎と母の料理と妹のゆるさとばあちゃんの饒舌、博多のラーメンの味が変わっていなかったことにほっとした。


そんな故郷でならどうにでも生きていけるだろうと思うことには、我ながら恐怖を覚える。
なんだかんだで戦争が好きなのだな、僕は。

都会に舞い戻って、怒りや反発で血がたぎっている方が、結局似合っているようだ。


ろくな死に方はしないだろう。

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2012年6月16日 (土)

coming home

暗闇に向かってパフォーマンスし続けることが嫌だった。
マイノリティーであることを鼻にかけるように、マニアックな性質のせいにすることも嫌だった。
地下におし込められてその文化の中で満足することも、自己の追求だとかぬかしてぬるい自己陶酔に浸る自慰行為も、吐き気がするほど嫌だった。


”落ち着く所”はそこにいるだけで満足できるあたたかい場所であると同時に、そこでならそれなりにやっていけるという甘い思想に野心を絡めとられる場所でもある。


2011年の5月に、僕は、正確には”僕ら”と言った方がいいだろうが、cubic starはホームを離れ、業界に近い所で接近戦をすると宣言した。


辛い戦いとなった。
もしかしたら、本来は営業活動のようなものをきちんと時間をかけておこないながら活動してこなければならなかったのかもしれない。

外に出てみれば、僕らのことはほとんど誰も知らなかった。
どんなに修練を重ねても、どんなに曲を作っても、どんなにライブの本数を入れても、僕らのことを知らないのだから、誰も見向きもしない。

そもそも僕の友人ですら僕の活動を知らなかった。

僕は一体これまで何をしてきたのか。
いいものを作れば、もちろん評価はされるであろう。

が、それは”人に知られれば”の話だ。
知らないものに誰が評価を下す?
それはこの世に存在しないものに等しいかったのだ。


音楽は、おそらく絵画や写真と違って、”演奏する”という行為そのものにも肉体的快楽があるものだ。
誰かがそれを見てようが見ていなかろうが、”ライブをやる”ということでだけで満足ができる。
いや、満足だと錯覚できる。


目を凝らすと、フロアは真っ暗だった。
狐につままれたように、幻視していた受け手や理解者は脳内の中だけのものだった。


素晴らしいパフォーマーを擁した自分たちのグループが、なぜ誰からも支持されないのか?
なぜ、メンバー全員が愛されないのか?
僕は、ほんとにそれが嫌だった。


僕のそんな過剰な思いは、メンバーに重責を課すことになったのだろう。
彼らは音楽を演奏するということ以外に力を使い、きっと酷い疲労に見舞われたに違いない。

この一年間で僕はたくさんのものを失った。
大事な理解者は僕の元を去り、心優しき仲間もたくさんいなくなった。
人と激突を繰り返し、葛藤し、決断を迫り、無理難題を押し付け、僕自身も続けられなくなるかもしれない崖っぷちに立った。

ただ、そんな中にもひとつだけ、ずっと思い続けたことがある。


革命が起こるときは、無傷で済むものなのか?
平和解決ができるほど、今の世の中は柔軟なのか?

思い続けてきた思いはいつも振り出しであって、いつも新鮮なままだ。

”変える”
ということ。


つまりはグループの独立と、一つの生き物のような存在のあり方。
歴史的に見ても、音楽のグループがそこに到達した例はまだない。
僕らメンバー一人一人が”器官”であるということが、変革をなす重要なコンセプト。
器官は一つとして欠けることは許されない。

複合体となってはじめて一人の人となるように、グループが真に一つになることを夢見た。
それでようやく哲学にたどり着く。

芸術とは作品そのものではなく、それをやるための”哲学”だ。

例えば、いい曲はそこに哲学があってはじめていい曲になる。
自分にとっていいものではなく、自己と他者とを結ぶ架け橋である時、しかもそれが日々の研鑽によって磨かれ、社会や思想や歴史を飲み込んで、人をその哲学の渦に巻き込んだとき、その作家ははじめて独立し、その人の生み出したものは社会を成り立たせる一人の人間としての意見の結晶のように芸術品となる。


反発があってしかるべきである。
しかし、同時に旧世代のやり口を自分たちで徹底的にまねてみることも、その弱点をを見つけ出す最も効果的な方法である。


弱きものなどになってほしくない。
自己満足で人生を終えるほど小さな存在であってほしくない。
苦労や苦悩の陰に夢や希望があって、その陰の中から力を尽くして這い出て、光の当たる場所を手に入れるという”夢”を実現させる、その希望を背負えるグループにしたい。

好きなことをやるには、まず自分たちで荒れ野を切り開くことからはじめねばなるまい。

業界は死んでいた。
僕は一年で十分にそれを知った。
代償はとてつもなく大きかった。
僕が焦り、迷ったせいだ。
誰にも言えず、自分は独りきりだと思ったせいだ。


あの宣言をしてから2012年の6/15までの間に、グループは似て非なるものへと姿を変えた。


誰もいなかったフロアに、人が集まり出した。
嘘をつけない正直な熱気がある。
グループ8人が作り出す空間じゃなくて、空間にいる人全員が次の時限の空間を作り出している感覚がある。

パフォーマーはいわば”燃料”にすぎない。
火をつけるのは受け手である。
注がれる火が多ければ多いほど、燃料は強力な放熱をみせるものだ。

もしパフォーマーがそのくべられる火に気づかなかったとしたら、もう莫迦としか言いようがない。
もはやその手段を取り上げられるのを待つだけのみになるだろう。
燃料は燃えるべくして燃えるものだ。

人がいてこその”芸術”なのだ。
”高い芸術性”などという、間違った日本語は捨て去られるべきだ。

僕らは、cubic starは、ホームに戻ってきた。
三軒茶屋のグレープフルーツムーンが僕らのホームだ。

新しい仲間を加えて戻ってきた。


僕という人間は、決して分かりやすい部類の人種ではないと思う。
信頼なんてそう簡単にみんなできるものではなかっただろう。
疑われても当然だった。
なにせ自分のことを話すのが”大嫌い”だ。


そんな僕につきあってくれることに感謝するし、そんな仲間を僕は本当に愛している。

ここはまた新しい旅路の出発点。

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2012年6月14日 (木)

from ideas to actions その5 "Guess at the Riddle"

じめじめの間の晴れ間である。
6月の割には急に冷え込み、また暑くなるという随分とおかしな気候になっている。

ここ数ヶ月、演奏活動も多いが、最近ようやくレギュラーに興したレコーディングエンジニアの仕事の依頼も多く、自分の好きな音楽を聴く暇がないと思っていたが、人ってのは慣れるもんで、ようやくそんな忙しい日々の中でも音楽を聴く時間を取れるようになってきた。

仕事とあわせると、つまりは一日中音楽ないし音を聞いていることになる。
そんな閉鎖的な空間の晴れ間がこのブログであったりもする訳だ。

発表こそしてはいないが、公にしている曲やアレンジの他にも、やっぱりノイズエクスペリエンタルも好きで、自分でこそこそ作ってはこそこそお蔵入りにしてるものがいくつもある。
そもそも、ノイズミュージックは僕にとって二面だか三面だか五面だか、それだけある顔や性格の一側面で、誰の考えも含まない自分だけのプライベート空間のような位置づけだ。

”公表するものはポップでありたい”という考えこそ僕の作家としてのプライドで哲学のようなものであるから、そういった下手するとダークサイドのようなノイズを表に出すことはないと思うが、しかし、そういった側面の研究や創作がなければポップに潜む毒はやはり培われなかっただろうと思う。

ストレートなものは、僕にとっては退屈だ。


そこで今回はこんなアルバム。


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デヴィッド・グラブスの”Guess at the Riddle”である。
ソリストとしてより、人によってはジム・オルークとのエクスペリメンタルデュオである”ガスタデルソル”の名義の方がご存知なのではなかろうか。

ガスタデルソルはエクスペリメンタルというだけあって実験的でもあるけれども、そんな実験的な音楽をまるでクラシック音楽のような深みをもたせたことに大きな意味のあるユニットであった。

が、今作”Guess at the Riddle”は、そんな実験的な音楽とはうってかわって、アメリカの広い大地を思わせるような自由で温かみのある音とポップな曲によってカラフルに彩られている。
周りを固める布陣も、マトモス、アダム・ピアース、キム・ヨーソイと僕の大好きな現代を代表する作家ばかりだ。

まさにこの作品の面白い点の一つはそこにある。
作家が1人に作家を中心に集まってるということだ。
グラブスのポップ感は彼らの手によって極限まで広がる。

このカラフルさは、彼が今までに作ってきたエクスペリメンタルミュージックによって培われたものだということも忘れてはいけないだろう。


ノイズは、正しく解釈すれば”日常にあふれる音”そのものである。
発信される音をエフェクトすることで疑似日常の音を作り出し、額縁に絵を飾るように日常の音を切り取り、暴き出す。

音を特殊化することこそ、グラブスの”ノイズ”であった。
そうやって培われた音はポップな音楽へと昇華される。


音楽は簡単なものではない。
コード理論やテクノロジーによって作られるものではない。
日々の実験、研鑽によって編みだされ、紡がれていく。
思いつきやその場のノリではなく、積み重ねられた哲学が結晶化したものだ。


グラブスの作品は、表裏一体となって、それを僕に示してくれる。


そう簡単にこの音楽は作れやしない。

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2012年6月12日 (火)

from ideas to actions その4 "TinDrum"

いよいよ梅雨に入った。
追われるように生きていると、季節が巡るのは速い。

基本的に家っこの僕は、この時期は、いや、この時期に関わらずだが、家の中でよく音楽を聴いて過ごす。
洒落た音楽は、音の世界に人を止まらせず、空間的、あるいは視覚的な新たな世界へと連れ出してくれるものだ。


80年代の終わり、若かりし彼らがまぶしいばかりの脚光を浴びると同時に、想像を絶する誹謗中傷を同時に受けていたことは想像に難くない。
その音像は今をもってしても確実に新鮮で且つ刺激的でもあるが、光が強ければ強いほど今も濃く影を落とす。


今更と思うか、はたまた、今こそと思うか。
JAPANの”TinDrum”、彼らのラストアルバムである。


Tindrum



生々しさはその年頃にしか出せないものであり、初期揺動は確実に残っていながら、グループとしての洗練が見られるこの作品において特筆すべきは、やはり完璧に彼らの”今”をとらえたものであったということであろう。

奇をてらうことなく、また深くなりすぎず浅くなりすぎず、リアルに今をとらえることは、複製時代の現代にあって、実は最重要事項であると僕は思う。

作家としてのデヴィッドシルヴィアンは、常に今を見つめる人であるということが分かる。

過去を変えることはできない。
未来を見ることも出来ない。
つまりそれは過去に媚びず、自らの手で新しい未来を切り開くということ。
だから”今”がキーなのだ。

今の心象風景をとらえて音に置き換えるのが音楽だとして、流れていく時間を魔法のように意味付けするのがパフォーマーだとするなら、間違いなくJAPANはその両方をこの作品で見事に結び合わせて、時代に何かを訴えかけるものを残したと言えるだろう。


”今”をとらえるのが作家であると思っている。
作品を作る過程で、次から次へと今が過去になっていく訳だが、今を追うというその不可能を可能にすることこそ僕の理想であり、それが僕の芸術感で、”TinDrum”は一つの理想型を成したものだと思っている。


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2012年6月 8日 (金)

be quiet

感謝とは自然で、自発的なことだ。
憎悪とは不自然であるが故に芽生えるものだ。

感謝や見返りを要求されたとき、その不自然さが憎悪を生む。

人は流れに任せてシンプルに生きられれば、どれだけ優しくなれるだろうか。
自分にあったものを探して必死に走り回ることも、あるいは誰かがそれをしていることも、そうやって泥まみれになりながら手探りで道を進む人たちがどれだけ美しいか。

世にあふれるものが模範だと思ったら大間違いだ。
人には人のバランスがある。

世の中と関わらなくなったら人は終わりだし、自己満足に浸ればそれで人は死ぬ。


世の中との繋がり方が下手だからといって、そこに苦悩があり努力があれば、その人はゆるくではあるけれども、緩やかなカーヴを描いて上昇していく。

もう戦後に作られたシステムは、今の世の中を蝕みこそすれ、続けることはできない。
今は今だ。


その仕組みの中に、一体どれだけの人生を巻き込んで、どれだけ引っ掻き回すのか。
それがこの世だとうそぶいて、いつまでこれからの人たちを誑かすのか。

原発も資本主義も団塊も、もう過去のものだというのに、作り上げられた自己満足をゆりかごのように、いつまでもいつまでも腐った羊水に浸って。

滅びるのなら老いと共の滅びればいい。


たとえ肉体が衰えようとも、その意志だけは衰えさせてはいけない。
人は生きている以上、最後まで破壊し、最後まで何度も何度も再構築しなければ。
何度も立ち上がらねば。


東京の生活には正直疲れた。
人はもう”諦めている”。

諦めは感謝を奪い、憎悪を肥やす。


その中心地に、僕は長く居過ぎたのかもしれない。
風をもう一度感じたり、自然にもう一度触れたり、広い空をもう一度見たくなった。

この中心地から少し離れた場所で、分かり合える人と暮らしてみたくなった。

もう僕の中から疲労は一生消えることはない。
不信と憎悪もなくなることもない。
殺意も破壊衝動もなくならない。

全て無くなればいいと思う前に、自分から遠ざかって、静かな場所で、静かに暮らす時間が、今はそういう時間が欲しい。


ただし、僕は復讐を忘れるほど、優しい人間ではないのでね。
その気持ちは、恩と同様、強く強く。
穴二つ掘ってでも、果たすべきものは、必ず果たす。


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2012年6月 6日 (水)

secret beat

自分がいいと判断するものは、決して”いいもの”だけで作られたものではない。

料理をするのが好きだが、美味しいと思うものには必ず”甘い”、”辛い”、”苦い”、”酸っぱい”がバランスよく含まれていて、そのどれかに力が偏るととたんにまずいものになる。


”そんな訳ねーだろ”ってバランスで成り立ってるものは、実はとてもバランスよくて、不思議なことにそのバランスは意図的には作ることはできず、ただ感覚によってなされるものであると僕は思う。


あぶない場所が好きで、でも何にもないものも同時に好きだ。
聴かせどころのない音楽も好きで、何の変哲もない素人の写真も好きだったりする。

なぜそれがこの世に生まれたのかっておそらく僕は考えるから、それだけでそのものが生まれた理由ができる。
僕が価値を与えることができる。

だから名作より迷作を選んでしまうし、完成より未完成で、人生は常に冒険。


ジャンルはいらない。
行きたい場所はボーダーのない地平。
何がしたいのかととわれれば、ボーダーをなくしたいと答える。
どこにでも僕ははまり、その場を愛してしまえば新しい自分自身を見る。


探さなくても自己は自己とともにある。
冒険の中にある。
人の中に僕はいるのだ。
しかも秘密のバランスで。
誰にもそれは解き明かすことはできない。
それは僕から語られることはない。

誰かが僕に何かを思うことで、はじめて僕の口が開く。
言葉もまた自己と他者とのバランスの上に生まれるものだ。

真に互いに興味を抱かない限り、まず発問すら生まれないものだ。
聞かれることが好き、つまりおしゃべりが好き、である。

その関係性は、官能的な秘め事のような、秘密のリズム。

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2012年6月 2日 (土)

try or die

イメージは、パズルのピースのようだ。
物事の核ではない。


経験の先の不確定要素が、この世の構成要素の99%だ。

バランスは誰かが作り上げたものだ。
自分の人生には当てはまらない。


”無茶苦茶”というのも、所詮は相対的な評価だ。
ヤリ過ぎなくらいが僕の人生なんだと思う。


頭がイカレてるってのは褒め言葉である。
そうそう、世の中のほとんどが、間違いなくクソックラエだと思っているから、そりゃそうなる。


誰かをビックリさせることが一番好きだ。
刺激的な日々は待っていてもやってこない。

知らないことに耳を傾けたり、知らないものを探そうとしない日々も人も環境も社会も、ああ、退屈だ。


冒険の匂いがしないなら、とっとと死んでやる。

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