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2012年5月14日 (月)

the end

人は人であり続ける以上、体力も気力も無尽蔵ではない。
いつかは力尽き、いつかは灰となる。


”恵まれている”という言葉に腹が立つ。

裕福であるから、環境があるから、その他諸々がそなわっているから我が儘が言えて、我が儘ができるだと。

巫山戯んじゃねぇ、冗談じゃない。


意志があり、言いたいことがあってはじめての発露であり発言だ。
いかなる状況であっても、僕は同じことを言うし、同じことをやるだろう。
それが僕の意志である以上。
それがやれると思う以上。

そうやってやってきた。


すべては葛藤だった。
言葉では言い切れない。

ただただ、違う、そういうことではないと、言い続けて、必死になって走り回って理想を追い求め、ときには自分に嘘をつき、痛みを押さえ込んで、ただ前だけ見ては知ってきたつもりだ。

苦しみは自分だけのものだ。
きっと誰にも分からぬ。
言葉にならないから苦しいのだ。
言うことなど、何もなかった。


もし、終わりが来たら、それはそこまでだ。
僕の力が、才が、及ばなかったということだ。

人を生かし、また、人によって生かされるからから、また人を生かすことができる。

その循環が成り立たなくなったとき、それが僕の賞味期限だ。


つまり僕は”一人”なのだ。
寂しいとか、そういうことではなくて、”何の信頼も信用もない、その人の周りには誰ももういない、手を差し伸べる価値のない、共にいる意味のない”、そういう意味での一人なのだ。

去る時は一人だ。
そこには人はいらない。

人生は個人のものだ。
幸せも至極個人による。

信じるものを信じて生きるべきだ。


僕は、もっと僕自身に対して正直であるべきだった。
ついた嘘が多すぎた。
好きな人すら幸せにできない。
大事な仲間ですら守れない。


我慢は美徳などではなかった。
それは結局自分についた嘘だった。


それが限界なのか。
それが世界の端っこなのか。


あと少し、残った知力と体力で走りきってみようと思う。
それによって起死回生の変化や開く未来もあるかもしれない。

なければ、それで終いだ。

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