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2012年5月 2日 (水)

桃色の蜘蛛

5/1は自分の生まれた日だ。

僕は父母が僕を生んでくれた歳を、もう数年上回った。
二人はきっと僕をこの世に送り出す為に、生活の基盤を整え、人としての深い考えを身につけ、努力に努力を重ね、迷いに迷いを重ねたに違いない、とそう思う。


自我が自らに芽生えるというのは神懸かり的なことだ。
それまでの僕はこの世にいながら、僕は僕のことを知らなかったわけだ。

両親は文字通り、僕に”魂”を吹き込んだ。
それが僕の人格である。


創造主は完璧ではないそうだ。
神仏にも葛藤や煩悩がある。

ゆえに、僕には神がおらず、仏がおらず、僕という存在は純粋に遺伝子の継承者であり、遺伝子の継承はすなわち哲学の継承である。

父母が僕を作ったのだ。
それが僕の最大の誇りだ。


生は”絶え間ない創造”である。

死は、命の終わりを意味するものではなく、”人々がそれを継承しなくなったときに訪れる終わり”だ。

つまり、誰かがその人の意志を継ぎ、あるいはそれを元に新たな挑戦を試みるなら、定義として”不断の創造”と内包する生に終わりは来ない。

僕の意志はきっと僕だけの意志ではなく、僕の中を流れる血の意志であり、僕と繋がる人たちの意志の一部である。

大義名分なくしては、もはや自分の動きは何の意味も成さない。
自分がいかなる人間であるかの探求こそ人生であり、それが分かる日にはきっともっと大きな意味を知ることになると思う。


もう10年以上も前の、5/2に散った巨大な創造の塊は散り際に言った。
”涙も雨も砂に飲み込まれる”と。
”生き溺れても、また春に会おう”と。


意志は死なない。
無限に広がり、可能性を極限まで押し広げて、膨張する。


自分の生まれた日に、毎年のように考える。
僕はどこまでいっても、一人の人間である。
また時に、邪悪を信じたくない、見たくないと、目を覆うように一心に地獄に向かって桃色の糸をはき続ける桃色の蜘蛛である。

人の善意を信じたい、真に強靭な生き物であることを信じたいと思うが故の盲目であると分かっているのかもしれないが。


人とは、うまれてくる瞬間を思い出せば、誰しもそういうものではなかろうか。

善意と感謝とぬくもりの中から生まれてくるはずだ。
愛のないものなど、それこそ作り物なのだ。


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