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2012年5月17日 (木)

liar

思うこと、考えることを、曲げることなくそのままのかたちで外に出すことは難しい。
言葉にしただけでも、もう考えていることとは違ってくる。

内部のものは外部のものに変換するにあたって、たとえば身体能力であったり、語彙力であったり、そういった酷くプライベートなものによって左右されて、それを発する自分ですらもはやコントロール不能となる。


苦しいと思う。
でも言葉にしても、それを誰かに伝えることはできない。

辛いと思う。
もう”辛い”という言葉自体が曖昧で、いくらでも拡大解釈され、あげくそれを受け取る個人の経験によって処理され、”自分も辛いよ”などと莫迦な答えが返ってくる。


糸口を見出すべく発露したものは、同情と同族意識とがぐちゃぐちゃ混ざった、なんだか意味の分からないものに取り込まれて、あろう事か、受け取り手側が悲劇願望を成就して終わる。


手を差し伸べるということは”権力を貸す”ことじゃない。
ぬくもりを伝えることだ。


人はものではない。
植木に水をやるようなイメージで、人という鉢に札束差し込んで投資投資といっても、人なんか育たない。
張り子の虎を作るように骨組みに金銭を貼付けまくっても、人は強靭な生き物にはならない。

それはものの扱い方だ。

ほんとは、莫迦なのは僕かもしれない。
自分に余裕があるわけではないのに、好きなものを信じて、それをやっぱり掬いあげたいと思ってしまう。

自分のことはろくにできないくせに、好きになった人たちの為に、その人が作り上げる世界に一つの夢を抱いてしまう。


生活能力か、あるいは生活そのものの価値観が薄い僕は、多分人間としてはもうとっくに破綻してるんだろう。
ずっとずっと小さい頃から、僕はそういう人間であるということをとっくに知っていたような気がする。

我が儘なんだろう。


辛いことを辛いと言えなくなった。
言ったとしても、なんだか現実味がなくて、まるで挨拶のようだ。
”ああ、すんません、明日からいなくなるんで”程度の、まるで伝える気のない、軽い冗談。


僕が、いかに自分のことをろくすっぽ考えてきていなかったかが分かる。
我慢が身にしみていて、しているときにすらしていることに気付かなかった。
多分今も。

これが嘘の正体なんだろう。

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