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2012年4月 8日 (日)

幼い頃は、与えられたものを一心にこなし、それをクリアすれば次のステップがあった。
いわゆる”努力が実る”という状態だ。
できる=クリアの式が成り立っている。

不安は、”できるようになる”ことで解消され、それによって自分の成長が分かる。


大人になるとそれはない。
たくさんのやるべきことがあり、一つのことのみに集中する時間もなくなり、努力すれどもすれども成功は遠く、そのうちに自分のやってることが分からなくなる。
こなすことで精一杯になれば、あるいは目先の利益に飛びつけば、己の価値を自ら貶め、気付けばもはや這い上がることも叶わなくなる。


”チャンスは一度”だと、いつも思う。
一瞬噛み合った歯車を見送れば、その輪が大きければ多きほど、つまりそのチャンスの価値が大きければ多きほど、人生においてもう噛み合うときはない。


”才能”は身体能力ではない。
感じ取る力であり、理解する能力である。

誰しも最初はその芽を持っており、環境や経験とともに、”失う”ことになる。
そう、”失う”ものだ。

運などではない。
自分の決断力や直感力の弱さが、その大事な芽を摘み取る方を”選択”する。


間違った選択をおこなおうとしているとき、僕の頭はどこかでひりひりする。
そっちのいってはいけないと、声が聞こえるようだ。
それでも誰かと関わって生きていこうと思えば、自らその危機の中へ飛び込むことが、むしろその方が多い。

誰かのせいではなく、それこそ僕の”選択”だ。

独りを選んで邁進する友人を見ると、羨ましさよりなにより、やっぱり自分自身の心の弱さや力のなさに辟易する。
一人では何もできないという弱さが無性に悔しい。


不安の解消法などない。
”不安のために練習し、音楽を聴くことで癒される”なんてことは、パフォーマーとしても作家としてもそのプライドを地の底まで貶めるような言動だ。

そりゃ、素人の言い分だろう。

不安だから練習するんなら、一生練習だけやってりゃいい。
趣味だ。

聴いて癒されるんなら、そりゃリスナーでいい。
わざわざ人前に立つ必要はない。

ま、いろんな考え方があるだろうが、もしそんなんなら、大事な他人の時間や財産をかすめ取るようにして活動すんなと叫びたくなる。


芸術家はそんなにかっこわるくない。
もっと強く、もっと人に希望を与えられる存在のはずだ。

自らの決断が、誰かのエネルギーに変化されるといい。
そのエネルギーが返ってきてはじめて、力のフィードバックが成立する。


巨大な力は絶対に独りじゃ生み出せない。
が、独りではない選択をすれば巨大なリスクも同時に背負う。

その渦の中でたくさんの意志が消えていくことになる。
自分もその危険性を抱えている。


力が欲しいといつも思う。

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