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2012年4月11日 (水)

パラドックスの探求

”かっこわるいこと”とはなんだろうか。
自分の置かれている環境だろうか、誰かが作った与えられる出来合いのものだろうか?

僕は”かっこわるいもの”には絶対に近づきたくないし、”かっこわるいこと”は絶対にやらない。
それは今も変わらない。


ダサいこと、かっこわるいことの、僕の定義は、”負けること”だ。
力のなかったかつての自分は、はなから負けると分かるものには近づかなかった。
”かっこわるいもの”には近づきたくなかった。

泥まみれになるのが嫌だった。
汗をかくことは恥だった。
齧り付いて、出来ないことを必死にやるのを人に見られたくはなかった。

そう思うと、いつも手が止まり、足がすくむ。

”かっこわるいこと”が怖い。
一度かっこわるいことをすれば、もう自分は戻ってこられなくなる。
そう思っていた。


でも、いままで何度僕はかっこわるいことをしてきたのか。
むしろ、かっこいい時なんてあっただろうか。

ピアノは女の子のやるものだと言って、ほんとは練習が嫌だったからやめただけだ。
勉強が嫌で、大学に行くのはクールじゃないから専門的に何かを学びたいと口走った。

いつから変わったのかは分からない。
もしかしたら変わってないのかもしれない。

負けず嫌いだった。
”負ける”のが嫌いだ。
変わってない。


大学を卒業して音大に入ろうと決めたときも怖かった。
周りの受験者は10代。
それなのに20代の半ばの僕なんかより周りはずっとうまかった。

恥ずかしく、怖い。
その場所での僕は途方もなく”ダサい”はずだった。

そのはずなのに、そこで泥まみれになって、一心不乱に練習して、しつこいくらいに自分の曲について先生に質問にいって、とにかく必死に必死に。

若い周りは学生たちはどんどん先へ行く。
僕は牛歩だ。
プライドという言葉はもうとっくに忘れた。

環境のせいにして、戦うことから逃げてきた自分が、どうしてそこまでその場所にこだわったのかはそのときには分からなかった。





分かれ道がくるたびにいつも考える。
”かっこわるいこと”とは何か?

今出せる答えは、”逃げる選択をすること”だ。
売られた喧嘩を買わずに、その場を去ることだ。

もしほんとに己に力があるなら、いかなる環境も場所も人も時代も、必ず変えられるはずだ。
別の力にねじ曲げられることなく、自分がクールと思える立ち姿で立っていられるのではないか。

やりたいことを貫く為には必ずやりたくないことが来る。
が、そのやりたくないことでさえ、自分に力があればかならずクールにねじ伏せられるんじゃないか。

やりたくないことこそ、売られた喧嘩だ。

力でねじ伏せて、時代を変えたい。
夢は夢で終わらせたくない。

僕が、僕らがもし自らの力でそのきっかけのかけらでも掴めたら、きっと退屈な時代は変わる。


逆説こそ信念の先にあるものだ。
泥沼にこそ探していたものが埋まっている。

力があるなら、僕らがいるところが渦の中心で、僕たちが”時代”のはずだ。

その場所は絶対”かっこわるいところ”ではないし、そうあってはいけない。

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