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2012年4月16日 (月)

liberty

見えてくるものには目を閉ざした方が楽で、聴こえてくるものには耳を閉ざした方が楽で、感じるものには不感症になった方が楽で、結局なにも手にしない方が楽で、それに慣れたら飽きることにも飽きる。


刺激を優先する世の中はどんどんエクストリームになって、子どものときはちょっとしたことでも楽しめたのに、年をとれば取るほど周囲のものが当たり前になって、守ることばかりが多くなって、山に秘密基地を作るようなあの未知への憧れはなくなって、与えられるものとできることだけで満足する。

全てが新鮮で、知ることに忙しくて、喋ることに夢中になって、飛ぶように時間が過ぎたあの頃は、きっとほんとに時間が短かったのだろう。


僕は、退屈にはいつまでも慣れない。
やるべきことがただ生きることに直結しているだけの時間がつまらない。


身の危険を知らないわけではない。
それを侵して、進入禁止のフェンスをよじ上り、死ぬ気で遊んで気絶するように寝る時期が僕にもあった。


世界の手がとまり足が止まっているように見える。
反省が生き甲斐で、失敗を怖れ、未知に怯える。
たくさんのことが、今はそういうふうに、僕の目に映る。


僕はテストに悪かったことに一度たりとも反省なんかしたことなんてない。
怒られたってすぐ忘れる。

僕は自分の興味のあることに忙しかった。
その時も、そして今も、それが全てで、邪魔するものは全て排除したいと考えるし、その為にあのときと同じようにフェンスをよじ上る。


人生の上でひたすらだらだらとしている。
目的のようなものは特になく、ただ夢を見ている。
個人の妄想は野生の獣の突発的な行動ように、誰からも理解されないものだ。
テリトリーに土足で入り込んだものに、全力で牙を突き立てる。

それが”解放”というものではなかったか?


感覚は不和の為の存在してるのではない。
慣れる為にあるのではない。

自由を知る為にあるものだ。

欲望にかられたものではなく、束縛の対極にあるものでもなく、真に”自由を求める為の自由”のためにあるものだ。


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