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2012年3月

2012年3月30日 (金)

all roads lead to the innocence

重力を振り払うには、途方もない力が必要だ。
人間一人がどんなに頑張っても、当然振り払うことなどできない。


柄にもなくというか何というか、このブログの内容としてはふさわしくないかもしれないけれども、今回ばかりは、この場で感謝の意を表しておこうと思う。
とともに、もしかしたらときには感情的な文章も出てきてしまうかもしれないが、ご容赦いただきたい。


3/27のcubic star minimal orchestraのシングルリリースパーティーに足を運んでくれた皆さん、ほんとにありがとう。


グループの発足はもう随分前になるけれども、何度となくメンバーチェンジがあり、その度にその時のグループにあったものを作り、また壊し、様々な挑戦と苦悩との中で、僕は何度となく諦めかけてきた。

いつかもこのブログに書いた通り、僕が作家であるというプライドは”ものが作れる”とかいう非常に低いレベルのものではなく、常に誰かに向けられたもので、そこに”期待がある”ということがその核になっている。


誤解があるかもしれないが、僕は”自己満足”のできる人間だ。
だから、自分のためだけならあっさりと”これでいいや”と言い放てる。

自分だけが納得するレベルのものなら、僕はすでに生み出せる。
そう思っている。


が、僕が真に作りたいものには、”誰かの期待”という無限大のエックスの要因が必要不可欠なのだ。

自分だけが納得する世界はとても小さく、狭く、寂しい。
そこには自分しかいない。
僕は世界とかかわり合う必要は一切ないし、何も動かず、何も流れない。
出来上がったものが一人歩きすることもない。
成長することもない。


作家としての自分は、あるいは自分の、自分たちの生み出した物は、僕らがこの世界に生きて、人の中で人として歩んでいく以上、やはり何らかの社会貢献をするべきものだと僕は信じている。

誰かの心に響き、人にパワーを与える。

ときには争いの引き金となる力も、かたちを変え、意味合いを返れば、あるいは違う視点から見れば、その大元は善意であり、愛であると思う。


作家という立場の自分が自己を表現するとき、一番に思うことは常に”変革”だった。
これはcubic starを作った最初の最初から何ら変わらない。

僕の物言いは、当時、至極不細工だったに違いない。
己と他との距離感を測れず、ただがむしゃらに”今”を作り上げようとしてきた。
自分の中に没して、他を圧倒する力のみを得たいと考えていた。
少なくとも自分の周りには絶対にないものを作り出したいし、僕自身もそれに包まれていたと思っていた。

自分に大して何らかの危害を加えようとするものへの抵抗だったり、防御だったり、僕の自己表現はそこに止まっていた。

今、ここに来て、誰かが素直に手を差し伸べてくれて、裏表のない純粋な賛辞を贈ってくれて、ともに演奏する仲間が絶対の信頼を僕に置いてくれて、一度に雲が晴れたような、そんな気がする。


”ああ、わかった”
そんな気持ちだ。

何かが分かったからといって、どうやってそれが分かったのか、はたまた、分かったからこれから何をすればうまくいくのかは分からない。

ただ、感覚が”わかる”ことで、道は見える。

誰かを幸せにし、誰かに活力を与えることを、僕は”シェアする”とする。
道を造り、人とともに歩むなら、きっと僕の夢は僕の夢だけでは終わらない。


たとえ自分が力尽きても、誰かがその道の先まで到達する。
僕もまた先人たちの作った道の上にいるからだ。


安定や平穏から、僕はとっくの昔に切り離されている。
自己防衛のために自己表現をしてきた。


でも、今は、純粋に”ものを生み出したい”と思う。
そこに、自分も含め、誰かの幸せがある。
そう思えるようになった。

というわけで、8人のメンバーを中心に、照明、宣伝の2人をくわえた、僕ら10人で、がんばっている。

まだまだみんなの力を借りっ放しだが、今後も変わらず、力を貸していただきたい。
その期待に僕らは200%応えられるよう、さらにスピードを上げていこうと思う。

メールマガジン
http://www.cubista-minimal.com/mail-magazine.html

3/27、cubic starのライブ中継のアーカイブ。 http://www.ustream.tv/recorded/21399991


最後は宣伝のようになってしまって、非常に拙い終わり方で申し訳ない。

でも、ほんとに、みんな、ありがとう。

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2012年3月26日 (月)

40ノットの宇宙遊泳

3/26(月)。
まだ寒い。

疲労の度合いは深いが、今日はcubic starのみんなからパワーをもらった。
新曲も飛び出す、とてもいいリハーサルだった。


明日はいよいよレコ発だ。
おそらく明日は全力でもって百数十名の期待に応えるために、僕は日記を記すことはできないだろう。

今回のイベントをやるにあたって、あふれんばかりの支援で、胸の空くような気持ちのいいソールドアウトをたたき出してくれたみんなに感謝する。


3/27はもう目前だ。
計画していた予定より大幅に早く、今年中にワンマンをやれるかもしれない。


鯨が大海を力強く進むように、歓喜あふれる邁進を、このcubic star minimal orchestraというグループでしていきたい。


では、みんな、宇宙の海で会いましょう。


http://soundcloud.com/cubista_minimal/the-song-of-whales

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2012年3月25日 (日)

clockwise

時間が飛ぶように過ぎていく。
こなす予定というのは退屈だが、人とともに考え、何かを作り上げていく時間はとても有意義だ。


各個人の個性にあったアイディアをパーツとして持ち寄り、組み合わせて機能させる。
こういった行為は”歯車が噛み合う”というふうに例えられるが、、、。


唐突だが、この歯車の緻密な噛み合わせが好きだ。
小さな歯車が階層を重ねるごとに大きくなっていって、それぞれのスピードで回る。
これに、萌える。


古くからからくり仕掛けのものはたくさんあるが、その構造はとにかく有機的で、一つでも歪みがあれば全ては機能しない。

それは自然界の繋がり然り、はたまた人とのコミュニケーション然り。

様々なところで、歯車は回っている。

僕がアナログの時計が好きなことも、これとは無関係ではない。

針の奥で、小さな歯車がしっかりと噛み合い回っている。
一番小さいものは速く、一番大きいものはゆったりと。


初動が最も大きな歯車に伝わるまでのタイムラグにまた萌える。


いかに小さな動きも継続され積み重ねられると、いつか巨大な歯車が回る。
小さな歯車はその速度ゆえに、もっとも摩耗し、もしかしたら力を伝えきる前にすり減ってしまうかもしれない。

が、たとえそうであったとしても、その微動は時間差で巨大な何かをわずかでも突き動かすきっかけを作るはずだ。

時計回りに針が動いているのを見ると、”針の巡りは人の運命のようだ”といつも思う。


僕の中の小さな歯車は、いまは止まることなく回っているように思う。
巡り合わせってのはきっとあるはずだ。

もし、その針が動きを止めたら、僕は全てを取り上げられることになるだろうし、もしもその針が時を刻んでいくなら、僕は常に新しい地平を見続けていくことになる。

きっと。


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2012年3月23日 (金)

詩人によせて

このブログを読まれる方々、、、。
こともあろうに大事な時間をつぶし、さらに読めば読むほど訳が分からず、より一層大事な時間をどぶに投げ捨てることになるにもかかわらず、随分と前から読まれている方々の中には、もしかしたらご存知の方もいると思われるけれども、基本的には僕はしがない音楽屋だけど、ときどき詩を書かせてもらう機会がある。


僕は別に詩人というわけではないけれど、ひょんなことから僕の音楽を聴いた本物の詩人、静野恒一氏が、その歌詞に興味を示してくれて、”この歌詞の日本語訳は詩にならないのか”と話を振ってくれたことがきっかけ、などと、いつ頃だか分からないほど随分前に日記に書いたような気がする。

彼が編纂する詩集”マデ”(唐茄子書房より発行)の記念すべき第一号から、二号、そして今回の四号に、僕の拙い詩が載った。


僕に新たな創作の場所を与えてくれた静野氏には、ほんとに感謝している。

またくれぐれも言っておくけれど、彼の詩はほんとに素晴らしい。
決して世辞ではないし、くだらない身内票なんかではない。
(僕がくだらないと思ったものは、世間様に何いわれようと、糞味噌に叩くのはきっとみんな知ってることとして言うわけだけど。)


彼の詩は著作の関係でここには載せられないので(是非、僕のブログのコメント欄からでもコメントしていただいて、あるいは僕の演奏会場で、彼の”マデ”を購入して読んでほしいが)、僕の詩だけ、少し載せてみることにする。

彼の詩集の評価を下げてしまわなければいいけど、、、。


今回の”マデ”第四号は、静野氏からルールをもらって書いたものだ。


”詩を音楽化する”というもの。
音にするのではなく、言葉を言葉として音楽にする、というとても面白いお題だった。
が、非常に難しかった。

そこで、先にトリックを言ってしまうと、、、


音楽をやる人ならほぼ誰でも分かると思うが、AABA的な、音楽の”構成”をそのまま取り入れて、そこでリズムを作って詩をまとめていった。


以下、四編がその内容である。

総題は”しき”、つまり、”四季”であり、”四気”であり、移ろいゆくものの総称てして、あえて平仮名で書いた。








”喜(ほころび)”

永遠の終わり
全ての始まり

縞縞の脈打つ細い空間を抜け
喜びの声を聞く

言葉にならない己の声でそれに大きく応える

手にしていたものを手放し
パンドラの箱を開く

喜びの対価は愛
愛は怒りと悲しみの種

芽生えは
雨の音を伴って






”怒(ループ)”

手をつなごうと伸ばす手が
届かぬことを知る

想いはループする
熱はそこから解放されない

届かないと思うから
また手をつなごうとする

繰り返す繰り返す








”哀(分岐点)”

いつ、どこで無くしたのか

なぜ知らねばならなかったのか
なぜそれを育てたのか

小さな芽をいつくしみ
花へと変えたいという欲

あのとき手放したものを求めて
再び旅の振り出しに戻ると

孤独

変わりゆく
枯れゆく
消えゆく
落ちてゆく

届かぬことを知っていて、手を伸ばす
そこには振り出し

届かぬことを知って、別れを告げる
ループの重力は遥か眼下







”楽(ジョイフルノイズ)”

重力を振り切るのに、一体どれだけの速度が必要なのか
己の正義を貫くのに、一体どれだけの犠牲が必要なのか
芸術を極めるのに、一体どれだけの精神の摩耗が必要なのか
愛を証明するのに、一体どれだけの傷が必要なのか

その全ては、そもそも無為なものか

人は呪縛によって己を己とし、そのループによって人生を織る

一瞬のループのほころび
音楽が鳴り止んだとき
光が遮られたとき
この命がこの身を離れるとき

楽に至る

ノイズが聞こえる
ループは遥か眼下

全ての終わり
永遠の始まり







以上四編だが、”喜”をAメロとすると、”怒”はBメロであり、リフだ。
”哀”はいわゆるサビで、1括弧ぬけると、Bメロである”怒”に戻る。
さらに”哀”にさしかかり、”怒”とを行き来するのだが、あるきっかけで”楽”に至る。
”楽”はさらに、Aメロである曲の冒頭に繋がる。


こういう構成のトリックによってループする言葉や記号を練り込んだ。

しかし、これは飽くまでも技巧的なもんで、そんなものはただお題をクリアするためだけのトリックにすぎない。

僕は、やっぱり、自分の人生を通して、あらゆる人と語り合いたいし、ときに人に質問し、またときには人に質問されたい。

それが人として生きることにおいて、どんなに豊かなものかをみんなで感じていきたいと思っている。

文学であれ、その他の様々な芸術であれ、それらのものは総じて、人の本質を知る、ほんとに贅沢なものだと思っている。

詩を楽しむ時間は、幸せな時間だ。

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ルビコン河を渡れ。

いよいよ3月もあと一週間だ。
故郷の福岡では春一番が吹いたらしい。


ここ数週間、体調が非常に芳しくなくなかなか調子が上がらなかったが、予定は山積みで、しかもパフォーマーという立場上、替えは当然きかないので、自分を奮い立たせてなんとか乗り切ってきた。


たくさんの人に励まされ、また現場でその笑顔やパフォーマンスに力をもらい、諦めようとするたびに何度も何度も手を差し伸べてもらって、”ああ、まだ続けられるじゃないか”と、すこしずつ気力が回復してきているのを感じる。


レギュラーで活動している柳田さんとのデュオや、梯子ノ上デもめきめきと力をつけてきているし、やっぱりそうなると人との出会いがあるわけで、それもまた原動力の一つとなっている。


僕がまだW大の学生だった頃のサークルの先輩たちと、すごく久しぶりにカバーバンドをやることになった。それも、ほんとに僕の心を躍らせることになった。
みんな、立派な職に就き、忙しく働いていながら、大好きな音楽のために週末までに課題曲をしっかり仕上げてくる。

彼らとのアンサンブルがとても楽しくて、学生のときにいった合宿を思い出した。
たくさん一緒に練習して、飲んで、起きたらまた一緒に練習して、それを延々繰り返す。
いつまでも飽きずに繰り返す。
とても情熱的で、そんな体験があるからこそ、いまも僕は音楽の夢を追っかけられているような気がする。

彼らとは3/24(土)に新宿のマーズというライブハウスにて、コピーバンド大会に出演する。

それから日頃お世話になっている、ベーシストの深山健太郎さんのバンドでも今月末、3/31(土)に代々木のブーガルーで演奏する。
メンバーはしっかりとした大人の方ばかりだから、気を張らずに、ゆったりした気持ちで演奏を楽しもうと思う。

話は前後するが、今月の目玉はやっぱり、3/27(火)cubic starのレコ発だ。
これを成功させるために、慢性疲労を気力で押さえ込んできたようなものだ。

いま、このバンドを成功させることが、この先全てのことに関わってくると僕は思っている。
メンバー全員をはじめ、僕の周りで頑張っているたくさんの演奏家、作家、写真家やら、画家やら、映像作家やら、イベンターやら、それら全ての人にとって、もっともっと彼らが日のあたる場所に出て行けるように、キュービックは8人で力を合わせて先陣を切っていける力をつけつつある。


もちろん、その力をつけるために大切なものをいくつも失った。
気持ちが弱くなったときに、ふとその寂しさがよぎるし、その孤独に簡単に支配されてしまう。

でも、みんなで作り上げたものを何度も聞き直し、見返してみると、いつまでも弱い気持ちに負けていられなくなる。
いま、グループはかつてないほどに強力になっていると僕は思う。


僕らが手を振り、足を踏み鳴らし、声を上げて、音楽を生み出したら、いまなら誰かを幸せにできるよんじゃないか。

”ルビコン河を渡って”、僕らは僕らの時代の自由を高らかに宣言する。
もう少し、その場所まで、もう少し。



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2012年3月20日 (火)

聖域に立つ資格

すっかり3月も下旬。

あっという間に時間が過ぎて、窓から外を見ると、家の前の公園の桜はつぼみを一杯に膨らませて開花のときを待っている。


1月が年の始めではあるが、僕にとっての1年の始まりはどちらかというと4月だ。
つまり、必然的に3月が年の終わりということになる。


1週間ぐらい前だが、詰まりに詰まった合間を縫って、とある演奏を見に行った。

演奏自体あまり見に行くことはないのだけど、その人の演奏はどうしても見たかった。
パフォーマンスを見るということにこれほどの期待と興奮を覚えたことがここ数年あっただろうかと考える。


たくさんの期待。
人が、どれぐらいそこに居たかは分からないけど、間違いなくみんなが彼に期待する。

彼は待ち望まれて舞台に立ち、降り掛かる大きな期待さえも軽々と振り払って、ものすごいスピードで高く高く舞い上がるかのように、身体を揺らし、声を上げ、一瞬にして新しい世界を作り上げていく。

スティックの先がシンバルに衝撃を与える瞬間、彼が息を止めるのと同じように僕も息をのみ、回転して交差する両手が握り込まれるのを見て、僕の手もまた自然とその手にスティックを握る感覚を覚える。

パフォーマンスは、たしかにもともとはその人がやりたかったものなのかもしれない。
音楽をやりたくて、それが楽しくてやっていたに違いない。

が、僕の目にしたパフォーマンスは、自己の感情を完全に外に解放した、”望まれた”ものだった。


たくさんの希望をのせて、そこからエネルギーを得ようとする人の思いに応えるように演奏をする。
しかも彼のパフォーマンスは見事なまでに彼そのもので、”作られた彼”ではない。

ショーマンではなく、彼は瞬時にものを生み出す、まさに真の芸術家だった。

僕は僕のために音楽を演奏しているのか。
誰の期待もないまま、自分がそれをやりたいというだけでステージに立ってきたのではないか。

期待が大きくなるからこそ、ステージに上がり続けられる。
その期待もないのに、ほんとに自分の満足のためだけに、僕はパフォーマンスをしてきたのではないのか。


一体、僕のパフォーマンスのどこが社会に対しての貢献になるのか。


明日への糧となり人生を豊かにするものが芸術だとするなら、僕の作ったものは、僕の出した音は、一体どれだけの人に力を与えられたか、どれだけの人を幸せにできたか。


灰になるまでこの手で己の人生全部を表現するために歩を進めるか。
それによって誰かの日々を豊かにできるほどに、僕は僕を磨き上げていく。

はたまた、ここで終わりだと自ら幕を引くか。
己の欲望で、それがやりたいというだけで、人前にたったふりをし続けて、僕は僕の大好きな音楽を穢したくはない。


ぼくにとって、毎日毎日がその葛藤の繰り返し。
だらだらと続けるという状態は、僕にはあり得ない。

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2012年3月 6日 (火)

遠方より。

メールでのやり取りだったが、久しぶりに父が僕の音楽に関することをいっていた。
なんだかんだで、父はやっぱり僕の一番の理解者なのだなと思った。


僕個人の日頃の訓練は、結構複雑なものが多い。
ドラムが二人いたり、はたまた歌い手とのデュオであったりと、特殊な編成も少なくないから、それにあわせた練習となると少しメニューを考えなきゃならない。

作曲は作曲で、日々聴く中から気になるものをピックアップしては分析して作り変えることから始まって、オリジナルにまで昇華させる作業方法は変わらない。


僕自体はそんなに変わった覚えは無い。
もちろん、できないことはできるようになりたいと毎日努力するだけだし、新しく知ったことはどんどん使っていきたいと思っているが、実際にその心持ちが自分をどれだけ変えてきたのかは正直分からない。


”お前は、聴くものにとって難しい旋律やサプライズでなく、単純明快さを求めているのではないのか”
と、父からのメールに書いてある。


作家一人一人に信条があるだろうが、僕がものを作る際の信条はまさにそれだった。

当然、難しいものに憧れ、驚嘆するものにばかり耳がいくこともある。
今もそれはなくなることはない。

が、僕にとって音楽のあり方の究極は”メロディーとダイナミクス”のみだ。


それは明快であること。
誤解されたくないからいっておくが、明快という意味におけるポップセンスは安物ではない。

きっと何度も述べてきたと思うけど、それは磨き上げられた普遍性を意味する。
誰でも知っているようなことをパフォーマンスとして出すという意味では決してない。

有機的な物質の成り立ちは、表面上はきわめてシンプルにみえるが、内側にはおおよそ科学でも解明できないほどの奇跡のバランスを含んでいる。

だからこそ、目で見るもの、耳で聞くもの、肌で触れるものが、絶対的なリアリティーになるわけだ。


体感できうるものを僕は作りたいと思っている。
僕の身体が感じたものをそのまま作品として作り上げられれば、それこそその段階の僕にとっては、もっとも伝えたいことであり、僕のリアルである。


父には分かってしまうようだ。
遠く離れていても。

久しぶりにレギュラー版のCDを出す。

ご存知の方もいると思うが、cubic star minimal orchestraというグループの、初のシングルだ。
2枚のフルレンスを出してはいるが、シングルという試みは未だかつて考えたこともなかった。


こういった試みも、一つはやっぱり”明快さ”というものに僕が興味をもったことにあるといえる。
(とはいえ、3曲で約25分というボリュームだから、単純明快とはいえないかもだけど、、、)


複雑なポリリズムに固執してきた今までの曲とは違って、メロディーとダイナミクスのみでどこまで作品が作れるのかを試してみたかった。
ようやく贅肉をそぎ落とし、それだけでも音楽を作れる段階にまでたどり着けたように思う。

足し引きのない、今のメンバーでできるオーケストラ感の追求が今の僕のやりたいことだった。

レコードリリースに伴って、それらの曲を演奏するライブをおこなう。

3/27 Tue
cubic star minimal orchestra レコ発イベント
『cubic star e.p. Release Live !! 』@ 田町quarter note
OPEN 18:30/ START 19:00
前売 ¥2,700(ドリンク代別途)*前売りチケット限定80枚にはCDが付きます。
当日 ¥2,700(ドリンク代別途)
出演 cubic star minimal orchestra  小川晃一
   percussion performance players!!
   オープニングアクト: slow tempo(アニメーション)


チケット売れ行きが予想を遥かに超えて早く、定員80は間違いなくソ−ルドアウトすると思われる。

メンバーから直接買ってくれる人も多く、その人たちを優先していると取り置きが最悪の場合不可能になることも考えられるうえ、当然のように当日券は無いに等しいので、興味のある方はこのブログのコメントや、ツイッター、フェイスブック、バンドのHPへアクセスしていただければと思う。

http://www.cubista-minimal.com/

届けられるのなら、渡しておいた方が確実なので、僕が直接渡しにいきます。


是非、たくさんの人の体感してもらいたい。

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2012年3月 5日 (月)

loop

よく降る、雨。


部屋の中に籠ることの多い1週間だった。
もっぱら自分のグループのcubic starのことばかりを考えている。

譜面には書かずともどうすればシーンがうまく変わるかとか、8人だからこそできるアンサンブルの特異性だとかを考えてるうちに日が暮れる。
夜は夜で、どうすれば人に認知され、その輪が広がっていくのか、考えてるうちに今度は夜が明ける。

これがループなら意味が無く、螺旋のように緩やかに回転が大きくなって上昇しているならいいのだけど、当の僕には見当がつかない。


依頼されたミックスの仕事をこなしながら、作詞をしたり、人に会いにいくスケジュールを考えたり、思考の休憩がてらに基礎打ちの練習したり、どうにかこうにか音楽屋らしくはなってきたが、これが自分に合っているのかももちろん分からない。

とにかく何もかもが山積みだ。

作業の中でもcubicのミックスはとりあえず深夜にまで及ぶ大作業で、疲れがピークに来ると、もはや80トラックからなる細かい音を聞き分けられなくなる。
今回のレコーディングはほんとにいいエンジニアさんがついてくれたのだが、彼の素早い判断を持ってしても大仕事で、僕が阿呆のせいでいろいろと迷惑をかけた。

納得の出来になったそんな音源は3/27に出る。

ジャケットも完璧だ。
当初から持っていた、色によるシングルシリーズの第一弾だが、すなやまんが完璧に僕のアイディアを飲んでくれて、さらに彼女の持ち味を120%活かした最高のジャケットが出来上がった。

詳しくはまた後日。

恒例でやっている、学大イタリアンレストランのオステリアジャポネーゼでの演奏も楽しかった。

久々に会う柴さんに元気をもらった。
柴さんと話すときはいつもワクワクする。
きっと時代時代であった出来事がとても興味深いからだろう。


店長のがくさんとも久々にゆっくりと話せた気がする。
レストランにいい人が集まるのは間違いなく主の力によるものだ。
力のある人だなぁと改めて思った。

僕も、僕ができることをもっと増やさなければならない。

で、こう考えて再びループのスタート地点に戻ってくる。

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2012年3月 2日 (金)

I'm so sleepy.

気がついたら3月だ。

あたたかい日が思いがけずやってきては、再び寒い日に変わる。
人の気分なんてのもそれと変わらない。


パフォーマンスをして、お客さんからのあたたかい言葉やエネルギーをもらってほくほくで帰るも、次の日には死んでしまおうかという気分にまで堕ちる。


生きるも死ぬももはや簡単なことのようだ。


反抗や憤怒や憎悪に流されて、それに染まることがとてつもなく楽だと最近は思う。
嫌だと思うことが我慢できなくなり、人の価値観などどうでもよくなる。

と、同時に、これでは何も生み出せなくなるし、何かを生み出す意味も無くなるだろうと怖くなったりもする。

僕は多分、ほんとには眠らない。
起きている方が楽だと思う。

考えなどまとまらない。
状況は次々に変化して、時間だけが迫ってくる。

疲れた。

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