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2012年2月 1日 (水)

豊饒は冷たい雨を伴って。

ブログという手段にプライベートな物言いが許されるものだと思って、書き記しておく。


夢はその日のうちに移り変わっていくけれども、理想は永続的に変わっていくことはない。


パフォーマンスをすることはほんとに驚喜すべきことだ。

なんと言えばいいのか分からない。
が、あの伝播する感じは間違いなく、パフォーマーもオーディエンスもほぼ同等の体感度合なのだと思う。


たった一人の人に自分の想いを伝えることですら難しい。
それがもっと多くの人に伝えるとなるとなおさらだ。

無機質を装い、スカした感じになるのはごめんだ。
熱に任せて、狂気に取り付かれた役を演じるのは大根役者のすることだ。


僕は、このままでいたい。
例えばその日、怒りにと取り憑かれていたとしたら、そのままの気持ちでパフォーマンスしたい。
怒りすらも共有してみたい。

溢れ出るようにハッピーな出来事があったとしたら、それもそのまま。
悲しみに暮れるようなことがあっても、それを隠したくはない。

印象的な物語など、僕には全く必要ない。
わざわざ括弧でくくり出さずとも、僕は”覚えている”。
そんなことは僕にとっては当たり前だからだ。

僕は何があったかを口にはしないだろう。
想いを私物化することが僕の理想ではない。

叩きたいなら叩いてくれていっこうに構わない。

”超少数派の弱きものたちに同情の意を述べて、何を実現させるつもりだ。”

こんなことだけは絶対にしたくない。
弱いけどそのままでいいとか、そんなどうでもいいことなんか伝播させたかない。

マイノリティーは悪じゃない。
孤独を纏った旅人のようなものだ。

マジョリティーは全てを動かす権利を持っているわけではない。
烏合になることがほとんどだ。


ただ、共に行こうと手を差し伸べるだけだ。
己の判断を下し、己の足で立って歩いていこうと促すだけだ。
歩けなくなったら、自分をおいていけというか、それでも自分は行きたいというか、二つに一つ。

前者なら僕は別れを告げ、後者なら僕はきっと身を犠牲にしてでも背負って先に進みたいと思し、その力が欲しいと願う。


今の程度の伝播力で僕は絶対に満足はしない。

”満足したら終わり”だと?
そんな誰でも簡単に口にできるような余計な戒めの言葉なんかいらないんだ。

欲望はそもそも無限大だ。

自己満足は己を認めるために必要不可欠だと思っているから、それすらできなきゃその先は見えない。
そこに溺れてもその先は見えない。
”満足したら”って仮定なんかいらないだろ、満足するはずもないんだから。

心の底から笑ってなんかいられるものか。
僕はまだ攻撃の構えをとっただけだ。

豊饒は冷たい雨を伴う。
身を引き裂くような雨は、いつか大地をしっかりと固める。

享楽の裏には激しい苦しみと苦悩がある。
苦悩の底から、青い空を突き抜けたその先の快楽を、僕ただ見上げているだけだ。

普遍性の共有は、まだまだ遥か空の彼方。

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