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2012年1月23日 (月)

一握の

1月も間もなく終わろうとしている。
寒さは一層厳しくなる。


例年になく慌ただしい1月になっている。
二足わらじというほどはっきりとした成立ではないけれども、4足ぐらい履いてようやく今日か明日かが持つぐらいの、まあ、何とも貧しく余裕のない生活である。

年を追うごとに責任は重くなり、上を見れば見るほどに、そこに手が届くのかどうかということより、そこに果たして自分の理想を実現する何かがあるのかという疑問ばかりが浮かぶ。


孤独な作業は、真に孤独ならとても静かで心落ち着くものだ。
どこにも向かうこと無く、ただ何かを生み出すことに没頭することはどんなにか楽なことだろう。

目を覚まして自らの意志で布団からもぞもぞ這い出て活動するより、暖かい毛布にくるまって横になっている方が快適なように、多くの場合はただ教えられたものだけを信じ、やれと指示されたものだけをやり、何らかの”毛布”にくるまって生きていける。

自らの意志であたたかい場所をあとにして、何かを変えたいと思って動き出すことは、きっと僕が長時間眠れないのと意味を同じくする。
”目を覚ましてしまう”のだ。


今がある意味を考えなければ全てがつまらなくなると僕は思っている。
たとえどんなところにあっても身体全てが反応し、指の先まで気が満ちていなければ、僕は今をとらえ損ねる。


計画性が無いことは嫌いじゃない。
計画を自分の都合によって変えることが嫌いだ。

自分を捨てれば理想はかなえられるのか。
自分を捨てれば、そもそも理想は消失するのか。


いつも葛藤する。


僕の道には、挑戦しか無いようだ。

”ぢっと手を見る”とはよく言ったものだ。
僕も自分の手を”ぢっと見る”ことが増えた。

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