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2011年12月

2011年12月30日 (金)

世界

時間というものは、語弊があるかもしれないが、僕は”万人にとって公平ではない”と思っている。


年がまた明けようとしている。
もはや2011がどのように始まったのかを忘れかけているのだが、悪夢のような大震災が起こったのも今年であると考えれば、この1年は時間という概念を破壊して、いまでも昨日のことのように思わせられることの多い年だった。


この国の平和神話も安全神話も脆くも破壊され、価値観も変わろうもんなのに、僕らはもう”忘れている”。
日本人ってのは、よくも悪くも、なにかと”忘れやすい民族”なのだそうだ。


今年、僕にはいろんな変化が起きた。
たくさんの人に会い、また、たくさんの人と別れ、きっと今までの人生の中でそれが一番多い年でもあったし、今年からそれがさらに多くなるという前兆でもあるような気もする。


哲学や生き方は、指針はあれど、きっと将来も完璧に定まることはない。

人生は荒波を越える舟のように例えられる。
波に翻弄され、風を受ければ簡単に転覆する。
そんなアンバランスの中で、たった一人、櫂もなく、己の手で漕いでいかねばならない。

海原の真ん中で人に会えば、舟をつなぎ、ともに漕いでいくことができよう。
波にも風にも強くなるだろう。

が、ともに生きるということが孤独を解消することに直接繋がるわけではない。
ただ、生きるということの本質である孤独を束の間和らげ、日々を豊かにしていく。
そして和らいで豊かになった頃には、また別れが来る。


自分なりの”真理”の様なものをもとめて、”常識人であろう、もっと知識を身につけよう”と思えば思うほど、僕の今の立ち位置は常識からはほど遠く、知の高みから見ればあまりに蒙昧で小さな存在だ。

個人の夢とも集団の夢とも分からぬ程度で、これは一体なんなのかと考える間に日は暮れ日は昇り、ただただ己を犠牲にすることでしか、その代償を払えない己の力の無さに辟易した。

時間は矢のごとく過ぎる。
一日なんてのは、考え事から始まって考え事で終わる。
しかも僕の無能な脳みそは、そんなに短い時間では解答をたたき出すに至らない。

毎日がこれの連続。

それがこの一年だった。


情を持ち続けるから人であり、恩を忘れぬから人であると父に諭されても、一歩踏み外せば気持ちは鬼と化してしまいそうなことは何度となくあったが、苦しい葛藤の中に今もありながらも、どうやら2012年の幕開けに手が届きそうだ。


とにかく、僕がたくさんの経験と考えを持てたのは、全て”人”によるところだ。
僕の元にいてくれる人にも、哲学が違い道を同じくできなくなってしまった人にも、出会った人全てに感謝したい。


今年最後に。
僕の好きな孟嘗君が残した言葉を借りて締めとしておく。

”人こそ世界である”

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2011年12月20日 (火)

反旗

打楽器に対する世の中のイメージがどんなものかははっきりと分からないが、音楽に熟達しているとおぼしき連中でさえ”リズムマシーン的”だったり、”雰囲気作り専門”だったりのイメージが大半なようだから、それとさほど変わりはないだろう。

弦楽器全般、はたまた管楽器奏者に対して、打楽器奏者はいつも”うるさい者”扱いされ、不当な差別を受ける。
そこには旋律も無く、ハーモニーも無く、叩くという行為のみをあげて野蛮なものとみなされる傾向があるんじゃないか。


日本は、実のところとにかく複雑で多種多彩な太鼓が存在し、リズムも複雑なものが多い、太鼓大国である。
その数や歴史は調べあげればアフリカにだって劣らない。
つまり、本来打楽器に関する認識は、他のどの国の人たちよりも幅広いもののはずだ。

ならば、いくら西洋楽器が音楽の主を締める時代なったとて、その日本人としての感覚は体のどこかに秘めているはずなのに、それは西洋楽器を通してにじみ出てくるはずなのに、あっさりとなくしてしまっている。


12/18(日)。
起きたのは朝5時。
まだ夜が明けきらず、暗くていい天気かどうかも分からない。

千葉県の代表を決める、”アンサンブルコンテンスト”の県大会がこの日に行われ、僕はあるチームを応援しにいくことになっていた。

ふとしたきっかけから、小学校の打楽器アンサンブルの作曲を依頼されて作ったのだが、まぁ、僕の曲はいわゆる音楽エリートの作る曲では、当然ない。

不良の曲だと自分では思っている。
型にもはまらない、これといって作曲の勉強をしてきたわけでもない、掟破りぎりぎりのものだったろう。


僕は打楽器が好きかと聞かれれば、十中八九、そうでもないと答える。
理由は簡単で、全部同じような曲ばかりで、最後は筋トレのごとき、脳みそまで筋肉の高速連打に陥り、莫迦丸出しになるのが十中八九だからだ。

誤解の無いように再度言うけれども、飽くまでも例の莫迦丸出しは”十中八九”だ。

つまり十中一二(そんな言葉があればだが)は凄まじきほどにまで磨き上げられた個性と感性とを表現したものだということで、それは言うまでもなく、僕は大好きである。


打楽器に関する認識や理解は、管弦に対するそれに比べて数段落ちる。
メロディーやハーモニーは基本的に管弦のために研究され、逆に言えば管弦の構造によってメロディーもハーモニーも進歩していたと思われている。

クラシックでも、打楽器の導入は歴史的に浅い。

吹奏楽における打楽器奏者の扱われ方も、何となくそれなりのように僕には思える。
オーケストラのシンバル奏者がネタになるように、どこかその評価は低めだ。


曲を作るにあたって、you tubeなんかで、どんな曲が大会で演奏されるのかとかを調べてみたが、はっきりいってどれもつまらなかった。
管楽はとてもいいものが結構あるのに、打楽器のアンサンブルはただの叩き合いだ。


僕は、だからこそ新風を吹き込みたいと思った。

小学生という年頃は、いい意味で、まだ知らないことがたくさんある。
信じられるものの多くが覆されても、すぐに受け入れられる年頃だと思う。

4人の女の子によって構成されたグループを、僕は小さな革命家に仕立て上げようと、こっそりと計画を練ったわけだ。


曲を作った当初、やっぱり既存の曲とあまりにも違うためにイメージがうまく伝わらず、いわゆる”勝ち曲”にはなり得ないとも言われたが、僕はかたくなにそうではないと信じた。
僕には完成図が見えている。

チームが千葉市の代表に選ばれてから先、演奏力とともに曲の表情は明確になった。
子どもたちも先生たちも、とにかくよく練習し、理解してくれた。

僕の見えていた完成図はおそらく間違っていなかった。
これは”勝ち曲”たり得るし、新しい打楽器アンサンブルの可能性を示せる。


なにより、”小さな錬金術師”と題した僕の曲を持って、まさに錬金術師よろしく、子どもたちが錬金術でもって打楽器アンサンブルの新しい可能性を示す革命軍へと知らず知らずになっていくのが、僕には痛快だった。


県大会。
ホールに学校名と作曲者名、編曲者名がアナウンスされる。
緊張はマックス。

手に汗握りながら子どもたちを見守ったが、当の子どもたちは不安な様子は微塵も無く、堂々とやってのけた。


千葉は吹奏楽激戦区。
その中でも異彩を放っていた。
映画のワンシーンを切り取ったような曲は、彼女たちによって音だけの世界から一気に映像化されたようだ。


緊張は大人だけのもの。
結果発表までの時間が腹を壊しそうなほど長く感じられた。

子どもたちはやりきったといういい表情で、”今までありがとうございました”と、僕らに言葉を残した。
おいおい、これで終わりかよ(笑)!!
必ず先があるぞ!

cubic starのリハーサルが入っていたために、結果発表は移動の車の中で聞いた。
激戦を切り抜けて、子どもたちは見事に千葉県代表に選ばれ、東関東地区大会に駒を進めた。

初出場だったそうだ。
まさに快挙。


結果を聞いたときの彼女らの顔が頭に浮かんだ。
一緒にいたかったな。

そんなわけだから、なんとしても次の決勝で、その笑顔見ることにしようと思う。

決戦は1/21、宇都宮。
狙うは金賞。
約束通り、勝ってみんなで餃子を食べまくるぜ。


既存のイメージに反旗を翻す。

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2011年12月12日 (月)

彩光

12/9(金)

僕らは自分が見えるものを信じ過ぎている。


仰々しく飾られた、中身のない箱。
より鮮明に、よりリアルにと、”解像度”という呪いをかけられた映像。
四角い無味乾燥の枠にはまった、どこかの国の誰かの動画。

それらの多くは、いったどれだけの真実をはらんでいるのか?

切り取られた時間や景色は、いつから別世界として扱われるようになったのか。
痛みや苦しみも消え、そこに生きる人々の息づかいもかき消され、”意識のふりをした”情報という魔術で目がくらむ。

写真展を見に行った。

僕は、知ってる人は知ってると思うが、見たいものしか見ないし、聴きたいものしか聴かない。
付き合いなんてのは、苦手というより嫌いだ。

そんなわけだから、”ほんとに見たい”と思って見に行った。

ある日、すなやまんがちょっと見せてくれた猫の写真がどうにも気になっていたのだ。

猫の写真なら、結構どこにでもある。
が、見せてもらったものは、少なくとも僕の中では”異質”に見えた。
そのときにはその理由が分からなかった。

銀座の眼鏡屋の通路を利用して、その写真家さんの写真は展示してあった。


僕には、写真に対するたいした知識もないし、これといった先入観もない。

モロッコの通りを映し出した1枚。
何気ない通りの写真のはずだが、僕の目には明らかに見えないものがそこで時間を止めている。


写真は、写真家の”目”であると僕は思う。
つまり、”見えている”のだ。


突拍子もない話の飛び方をするなら、”物に気が宿る、その気をまさに無造作に掬ったような”と言えばいいのか。

そして、それは僕自身の体験のように、”見える”のだ。


まさに自分の目で見た物のように、疑似体感する。
空気を感じる。

猫の写真で僕が気になっていたことは、まさにそうしたことだった。
気配、それがある。
すなわち、気があり、それは呼吸し、生きている、ということ。


画竜点睛はなっていて、それはいつでも動き出せるはずなのに、あえて息を止めてるかのように、そこに存在する。

素人質問を恥ずかしがりながら、ちょぼちょぼとしてみた。
丁寧で、熱のある説明を聞いたが、それも飾らない言葉。
芸術は磨き抜かれ、鍛え上げられた普遍のポップセンス。
発する者の人生を映し出し、受け取る誰かの人生を豊かにする。


自分の目では決して見えなかったはずの物を、写真を通して、一人の芸術家の目を通して、僕は見た。

それだけで、もっと世界はカラフルになる。
豊饒な精神を生む螺旋ができていく。


自分に見える物が全ての世界ではない。
真実を知るきっかけになる。
魔術が解ける。

そうそう、だから現実は残酷であったり孤独であったりもするけども、こんなにも美しい。


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2011年12月 9日 (金)

view point

差し伸べられた手を見る。

僕が助けてほしいと思っていたのに、逆に”ありがとう”と言われる。
それがどれほど価値のある言葉か、胸が苦しくなるほど感動した。

音楽を作り出すことは、やはり特殊技能だ。
これを続けるうえで、何も犠牲にせずにやっていこうなんて、そんな考えはとうに捨ててる。
多分僕の捨てたカードは”真っ当な人生”だったろう。


人に莫迦にされることには慣れた。

芸術は仕事になるのかという質問に対して、僕はいつも”ならない”と答える。
なぜなら、その場合の”仕事”はルーティンであり、嫌なものであり、消費され、替えがきくものであるからだ。
人生をかけるものとしてとらえられず、生計をたてるものとして扱われる。
すなわち資本主義の中核。
貧富の格差を生むもの。

そんなもののために人生はかけられないから、僕のそれは”仕事”ではない。


じゃ、なにか?
文字通り、僕にとって音楽を生み出すことは、僕が”人ととして生きる”道だ。
だから、これをして人と繋がる。

それこそ僕の大義名分。


”己も、また誰かの人生さえも、豊かにする”という点が、集約されるべき場所。

他人には分かるまいと思っていた時期もある。
が、いま差し伸べられている手は、”ありがとう”という言葉ともにだ。

いつも周りが僕を変えてくれていると思う。
僕だけでは変わることはなかったろう。


だから感謝するわけだ。

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2011年12月 5日 (月)

足下の機

12/2(金)。

いくつかの演奏の日記を吹っ飛ばしている。
別にその日の演奏が悪かったとか、そういうネガティヴな理由で記さないのではなく、ただ単に己の器量を大幅に上回った事柄が起きた結果、意識的に記憶喪失にしてしまえというご都合主義的理由であると、言い訳にならない言い訳を誰にともなくしておくことにして、、、。


非常に寒い日だった。
朝から天気もすっきりしない。

曇天という言葉の響きの通り、僕の頭の中もど〜んと考えることが山積みで雲がかかっているようだ。
もはや午前中に何をしたか覚えていない。


昼からcubic star関連で事務所のレコーディングスタジオにミーティングに行った。
来年3月にシングルを出すという計画について、リミックス、新録、プロモーションの方法、ジャケットの案、経費、その他諸々、、、。

もはや僕の梅干し大の脳みそではパンク寸前である。
それでも、リミックス用のトラックごとの書き出しは予定がついた。

1曲を構成するトラック数は、、、思い出したくもない。

夕方、久しぶりに小川くんとリハーサル。
この日、深夜に町田のイベントに出演することになっていたが、そのためのリハーサルの日程を全く組むことができず、当日にばたばたと合わせをやった。

ま、おそらくいつもの曲をやるだろうし、さらっとおさらいするぐらいだろうと高をくくっていたが、僕は小川くんがどういう奴なのかをすっかり失念していた。

小川:今日、今までの曲のアレンジ違いを持ってきたんですよ。
僕 :ほうほう。
小川:打ち込みなんすけど。
僕 :どれどれ、聴かせて。
小川:はい、こんなふうにやって下さい。
僕 :、、、、こんなんできるかっっ!

といいつつも、できないというのはプライドが許さず、たった1時間半のリハーサルで鬼のようなブレイクビーツをやることになったわけだ。


最近練習している”プリペアドドラム(あらかじめスネアやその他の太鼓に何らかの仕掛けをした状態で演奏する)”がうまいこと機能して、まるでサイボーグのような音色が出来上がったところでリハーサル終了。

連日の疲れで、もう車を運転するはなからねむくてねむくて、、、。
ワーグナーを大音量で聴きながら町田に向かう。


演奏会場はいわゆるライブハウスで、BGMでメタルがかかっている。

僕と小川くんのデュオは音がとても繊細なので、マイクに音をのせる場合はPAとのやり取りが鍵になるのだけれども、BGMに似つかわしくないとてもいい腕と耳をしたPAさんでほっとした。


深夜のイベントにでるのはもう何年もなかったが、夜を支える演奏者たちは腕がいいというのを漠然とだけど常識だと僕はとらえていて、この夜もその通りだった。


後で聴いて驚いたんだが、この日のお客さんたちの大半がライブハウスに演奏を見に来たことのない人だったとか。

でも、音楽のことはとても好きで、当然お金を払って見に行くんだから良いものが、あるいは楽しいものが見られるという意識の元で集まっていた。

超満員のお客さんに、マニアックな演奏だったが楽しんでもらえてよかった。

いつも言ってることだけど、表現する側と受け取る側はその対ではじめて一つの存在だ。

パフォーマーはまず己の状態を常に分析しなければいけない義務があるし、またコミュニケーションである以上、そこに確固たる意志がなくてはならない。

受け手も同様に自らの意識を試される。

芸術は”ファッション”ではない。
それをやるやらないに関係なく、哲学として自分の中に取り入れることで人生が豊かになる、”理念”だ。

分かる分からないも関係ない。
触れて考えることで、少しずつ人生は豊かになっていってるはずだ。

”商品価値”というのは飽くまでも副産物で、そもそも宗教と同じように、芸術も本質的には資本主義にのせるものでものれるものでもない。


僕にとっては、言葉と同じように、ただ伝えたいことを日々の努力によって純化して発するだけだ。


苦悩し、辛いことがしばらく続いていたから、この日の小川くんとの演奏はこの上もなく楽しくて、心が少し軽くなった。
何気なく声をかけてくれた人たちの言葉もすごくあたたかいものだった。


膝をつき、もう駄目だと思うたびに訪れる、僕をここに引き止めるような出来事。
今までどれだけ見逃してきたんだろうか。

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2011年12月 1日 (木)

solitary

いつかそんな日が来ることがある、と、気持ちの上では、あるいは頭の中ではわかっていた。


僕らは”個人”という一人の人間である以上、出会えば別れが来る。

一時的なものかもしれない、また道の先で再び同じ道を歩くこともあるだろう。
あるいは、ここから先はきれいに二手に分かれてしまって、平行する時系列の中でお互いに生きていくのかもしれない。


過去はもはや手のつけようがなく、未来は一刻一刻姿を変えて、掴みとることはできない。

長く苦楽をともにしたキーボーディストの毛利くんが、cubic starから抜けた。
彼は彼の進むべき道を選び、僕もそれを尊重した。


正直そのダメージは僕ですら自分のことなのに計測できず、ただいるべきところにいるべき人がいないという混乱は、グループの終わりを意味するのではないかと、独り思った。


どれだけのことを彼と一緒に考え、どれだけのものを彼と一緒に作り上げてきたかを考えると、もう何もかもやめてしまって、ただ一人だけで静かにゆっくり消えていきたいと思った。


僕抜きでのcubicのメンバーミーティングがおこなわれ、メンバーは一致団結して僕に続ける意志を伝えてくれた。

新しい演奏者が、テストリハーサルを見事にこなして選び出された。
数々の演奏をこなしてきた、岩島のぞみが加入してくれることとなった。


人が変われば音楽も変わる。
そうでなくてはならない。

過去にとらわれるなら、僕は一切の表現活動をやめなければならない。

翼をもぎ取られて飛べなくなったと、僕は思っている。
今も。
が、飛べないなら、今度は地面を這ってでも進まねばならないと決心した。

僕と毛利くんがともに考えて作ってきたものは”音楽”そのものではなくて、新しい地平に向かおうとする哲学だったはずだ。


仮に今、僕が倒れて動けなくなったとしたら、僕の考えをメンバーの誰かに強力に押し進めてほしいと思うし、それができるのはもうこのメンバーしかいない。
若くて、腕が立って、未来の不安に苦悩しながらも、彼らは戦っていける人間だと、僕は信じている。

先に進んで、僕はもう一度毛利くんと合流したい。

彼が去るのを引き止めるだけの力が今の僕にはなかった。
前任のドラマ−であるしょうごがグループを去るときもそうだ。

僕は同じ過ちを2度犯している。


始めっから、”次”なんてのはない。
何事も一度きりだ。
やり直しはきかない。
変わっていくものだから。

変化の先で、再びあいたい人に会う。

そのための力が欲しい。
他に望むものなどない。

孤独は消えることはないのか。


理想郷など存在しない。
この手で生み出さない限り。


神様、、、。

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