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2011年11月 5日 (土)

wanna be a hero

遡る、10/27(木)。


ドラゴンクエスト展を六本木に見に行った。
ゲーム大好きな僕としては、もう夢の世界なんだろうなとワクワクしながら行ったわけだが、、、。
職業病なのか、もはや楽しむというだけで済む体質ではなくなっていることに改めて実感した。


1作目から25年。
堀井雄二と鳥山明とすぎやまこういち。
完璧な力のトライアングルがたくさんの冒険を生み出した。

壁に展示された膨大な量の設定資料やシナリオ。
まだRPGという言葉を知らない日本のプレーヤーたちに、説明書を与えることなく、ゲームをプレイすることで教えるという考えには完全に脱帽した。
1、2、3の三部作に分けたのには大きな理由があったのだ。
見事なまでに辻褄があったストーリーの完成と、”RPGの伝道”という大義を両方こなす大作戦を、堀井さんはやってのけた。
賢者の領域としか思えない。


ドットアートという、ごくごく限られた領域においても表情や色彩の豊かさを失わないように描かれた、シンプルで大胆な鳥山さんの作画。
当時の小さなテレビと限られた色でも、おそらく誰もが個性豊かな怪物たちにワクワクしたり、苦しめられたりしたことだろう。
シルエットだけでもそうだと分かるスライムを生み出した想像力は、このゲームが未曾有の売り上げに至るのに大きく貢献した。

僕は音楽をやる人間だから、やっぱり感動したのはすぎやまさんの直筆の譜面だった。

RPGにおける最も大切な要素は音楽だと僕は思っている。
長い冒険、繰り返される戦闘に常にワクワクしていられるのはそこにいい音楽があるからだ。

カートリッジ容量の関係で三和音が限度という音楽的に難しい制約の中で作られた、わずか二和音の”オーケストラ”。
緊張感あるぎりぎりの戦闘はこのオーケストラによって、異常なまでにリアルに描かれていた。
もう20年も前にやったゲームなのに未だにそのメロディーを歌えるぐらい、僕はどっぷりとその世界の中にいたのだ。

極小の音数で生み出される無限の想像力に胸を打たれて、涙が出そうだった。
たどり着きたい場所であり、一生追い続ける場所がここにもあった。

25年間、ともに考え、苦しみ、それでも新しいものを生み出すということがどれだけ希有なことなのかを考えてみる。
期待も何もないところからのスタート、無理解、ときに批難もあったろう。
彼ら3人はまさに勇者が未知の強敵と戦うがごとく、孤独な旅を続けてきたと思うのだ。

磨き抜かれた緻密さや難解さは、宝石のように純度を増して、普遍のポピュラリティーを生む。
これはまぎれもない事実だ。


冒険をした人の数だけ冒険があって思い出がある。
そんな大作の中に入り込んで、僕はこの日、彼ら3賢者の血のにじむような努力と高い知性を知った。


僕もまた冒険者。
この世界を変えられるだろうかという不安と孤独を常に纏いつつも、仲間とともに邁進する勇者になりたい。

すぎやまこういちの旅立ちのテーマを聴きながら、子どもの頃思った”強くなりたい”という熱い思いを思い出していた。

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