« listen carefully | トップページ | quiet night(中編) »

2011年11月 2日 (水)

quiet night(前編)

10/29(土)。

とてもいい天気だ。
風がなければ、日差しが強くて少し汗ばむ日になったろう。


茨城に行くのである。
演奏は29日と30日の2日間。

29日は”やちよに”の演奏を茨城古河のCafe 5040 Ocha-Nova(オチャノバ)でやることになっていた。

お昼の12時、僕、すなやまけい、松本ちはや、田窪一盛の4人で車に乗り込んで、一路、古河を目指す。
道は思った以上に空いていて、予定よりずっと早い時間で進んできたので、SAでだらだらと昼食をとった。

タクボン以外は沖縄そばを頼んだ。
沖縄そばといえばショウガたっぷりであるにも関わらず、ショウガの嫌いなちはっちは僕の椀のなかに自分の分のショウガすべてを盛った。

よみがえる与那国での悪夢(与那国の子どもが”これが与那国の味”とかいいながら、ショウガしか入っていない椀のなかに麺だけを入れたものを僕に食わせた)。

もはやショウガの味しかしない、、、。


とりあえず、そんなSAで写真をパシャリ。

435675522


Securedownload1




うん、だらだら。


問題なく宿に着いて、そこで東京からのお客さん兼スタッフの、けんちゃん、なおちゃんと合流。


今回の演奏旅行の大きなポイントはここだ。

東京からわざわざ見に来てくれお客さんが他にも何人もいたこと、さらにけんちゃんやなおちゃんのようにお手伝いまでしてくれる人たちが参加してくれたこと。
これは僕ら演奏屋にとってすごく大きなことだ。

メディアまかせで、誰かが自分たちのことを勝手にプロモートしてくれると思ったら、それは大間違いだ。
そもそも自分たちの表現なら、そんなに簡単に人任せにはできないはずだ。
”売れたい”だの、”ちやほやされたい”だの”それで食っていきたい”だの、簡単に言う奴がいるが、己の血肉をそいで生み出した表現なら、そんなに簡単に誰かの手に委ねることなどできないはずだ。

僕は、おそらく長い間、自分の表現は自分だけのものとして、人を信じることなどなかったように思う。

それが去年の半ばぐらいから紆余曲折あって、いろんな人に会い、固まった心が徐々に氷解し始めた。

批難と無理解と衝突によって、もう全てを辞めてしまいたいという気持ちになったことも、そういう出会いの積み重ねで少しずつ癒されて、今ではそれ以前よりもずっと素のままで歩けているような気さえする。


言葉というものは、ほんとにどうでもいい。
誰でも”口にできる”。

が、けんちゃんやなおちゃんをはじめ、こころから僕の表現をフォローしてくれる人たちの言葉は、言葉を超えて、”動き”になる。

場所に足を運び、耳を傾け、体を揺らし、手を差し伸べ、僕に触れる。


僕は常々思っている。
社会的でありたい、と。

そう思えば思うほど、僕の行動や言動はそこからとても遠くにあることを知り、嫌悪感に襲われる。
もはや自分を呪うに近い。

おそらく一般的には、一般的どころか人として”理解不能”な非人道的な行動も自分には必要だと思えば平気でとるし、言葉も然り。
罵倒も踏みにじりも、気持ちのままにやる。

己の心の純化をはかろうとすればするほど、僕の僕に対する理想像からどんどん遠くに遠ざかっていく。

本を読み、人の経験談を聞いても、あまりにもかけ離れた僕の心のあり方の指針になることはないように思える。

それなのに、そのことを許すかのように、あるいはそれは理解なのか、僕に声をかけ、手を差し伸べてくれる人がいることに、僕はようやく気付き始めた。

彼らは僕についてきたのではなく、逆に僕が彼らによって導かれている。

オチャノバは、古民家を改装した素敵な空間だった。
マスターの須藤さんは音楽のことをとても愛している人だ。

この日、やちよにのオープニングアクトを務めてくれたマキノさんとも、ステージでセッションができた。
音は、気持ちがオープンであればすぐに会話にまで昇華する。

やちよにはたっぷりと1セット1時間×2という長い時間だったにもかかわらず、お客さんは帰るどころか、最後まで増え続けた。


オチャノバの場の持つ力と、須藤さんをはじめスタッフの方々の人徳にはほんとにやられた。
こういう場所がしっかりあるんだ。


演奏後もたくさんの人に声をかけてもらった。
九州出身で、今は茨城で働いている方が会社の同僚さんと一緒に見に来てくれていて、熱っぽく僕に話しかけてくれた。

無名に近い僕らを愛してくれる。
それがどんなにあたたかいことか。

こうやって演奏が終わったあとに話すことがどれほど少ないか。
そうそうあることじゃないのに、この場所では至極当然のように起こる。


一方通行の物言いは、僕の望むところではない。
僕が何かを発したとき、誰かが何かを返してくれる。
はたまたその逆も。

そんなコミュニケーションをしたいのだ。


僕も、ちはっちも、すなやまんも、たくぼんも、この夜はほんとによく喋った。
たくさんの人にたくさん感謝の意を告げた。

宿に帰っても、けんちゃんとなおちゃんを加えて、また喋った。


思いを伝えたいと思うだけではダメなのだ。
伝えることに対するリスクを然るべき量背負って、誤解や無理解を怖れず、言葉に、音にしていかなければならない。

異形なのは分かっている。
たくさんのことを飲み込んできたからだ。
一つの素材から一つのものを作り出したわけじゃないからだ。


古河の夜は静かだった。
たくさんの人ととったコミュニケーションをゆっくりと噛み砕くには、この静けさが必要なのだ。


|

« listen carefully | トップページ | quiet night(中編) »

音楽」カテゴリの記事

コメント

お疲れさまでしたconfident
演奏素晴らしかったです(^O^)

今度は九州の話でも
つまみにしながら
一杯やりたいですね\(^o^)/

またきてくださいね!

投稿: がっち | 2011年11月 5日 (土) 19時41分

がっちさん>
2日間、ありがとうございました!
九州の人と会えると嬉しくなっちゃいますね、やっぱり。

またいい音楽を携えて、古河に遊びにいきます。
いっぱいやりましょう!

投稿: よしじま | 2011年11月 9日 (水) 21時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/482886/42819154

この記事へのトラックバック一覧です: quiet night(前編) :

« listen carefully | トップページ | quiet night(中編) »