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2011年11月 9日 (水)

living on line

自分は何者かを問う。

10月は、おそらく僕は今までの活動の中で一番他者の表現というものを理解しようとして奔走した時期だったと思う。

中には、短い人生の中で一度もまともに接したことがないジャンルのものもあり、その手法の理解に苦しみ、1週間以上悩み抜いた結果、結局答えを出すことのできないまま終わらせてしまうものもあった。
またそれとは逆に、自分のものでありながら、共演者のそれに対する受け取り方を僕が理解してあげられず、大きくかたちを変えざるを得ないこともあった。

不本意なまま作品が世に出るということはいつの時代にもあるし、おそらくどんな作家にもある。
物事の流れるスピードがテクノロジーの力を借りて速くなれば、なおさらそういったことが起こるだろう。


享受し、食いつくし、飽きるスピードも、それと並行して速くなる。


しかし、どんなに技術が発達しようと、真に”ものを作る”ということにおけるスピードは絶対に変わらない。

インプットの量が多くなればそれだけ咀嚼に時間がかかる。
熱量をアウトプットに例えるなら、僕らが体温を保つためにどれだけの命を飲み込んでいるか考えればすぐに分かるだろう。

人は目の前にある情報の多さにそのことを忘れているように思う。

うまいものを、味わうことなくどんどん飲み込み、まだ欲しいと訴える。
資本主義はこの”飽くなき欲望”によって支えられ、餌を突き出された消費者は考えることなくそれに飛びつく。

バブルが弾けるがごとく、人は体だけでなく精神までもぶくぶくと肥満化させて、見える先はもう言うまでもなかろう。


”楽しみたいだけ”は、罪だ。
楽しみの先に人を見るから、人は豊かになるのだし、だから楽しいのである。
芸術そのものに意味があるのではなく、唯一無二の”人”をそこに感じられるから芸術に意味が生まれるのだ。


果ては芸術に限らず、それはいかなる現場においても同じだ。
代わりがいないから一人の人が愛おしく、その人がいることでその場とその時が成り立つ。


僕は、素材化されて”ありもの”と化したものを、自分の表現媒体にして世に送り出したくなんかない。

その時、その人たちの中で、そこにあるものの中で、自分はいかなる存在であるかを問う。
常に自分のいる意味を問う。

その問いは決して他者に向けられるものではない。
いつも自分だ。

変幻自在の色ではない、無色透明でもない。
僕は常に極彩色でありたい。

極彩色でありながら、ときには色を飲み込み、ときには色に解け合う。


進化の過程の中でそれを身につけた生き物がいるけれど、その能力は一朝一夕で得たものじゃない。
何万何億の時間がそれを可能にした。
ならば、人が”意識”という、未だに解き明かせないハイパーテクノロジーを持っていても、ものを生み出すことには途方もなく時間がかかるはずだ、本来は。

芸術は、楽にはならない。
むしろ磁化や電化によって、悩み苦しむことが多くなったはずだ。
手に余るエネルギーと選択肢を僕らが手にしているからだ。
しかもその歴史を現代人はもはや辿ることはできない。

もし、空を飛ぶことがメインの生き方になったとしたら、僕らは大地を踏みしめた歴史を一生のうちにたどることができるだろうか。
それは確実に無理だ。


開いた目を閉じることはできない。
聴く機能を備えた耳を、自ら閉ざすことも。

自己にすら満足できない自分を許すこともできない。
分かったフリして物事にすぐに飽きてしまう人間に対しても、僕は許すことができなくなる。
その怒りは、おそらく僕の中にある焦りさえも上回る。


手に取ったものを見てみる。
そこに内包されたものに、そのひとの人生が含まれているはずだ。
一体それを作り出すのに、その人はどれだけの時間を費やしただろう。

それを理解するのにどれだけ時間がかかると思う?
はたまた、理解した気になっているか?


時間はかかるのだ。
それもいたずらにかかるのではなく、その時間は、僕の精神を決して止むことなく削り落としていく。

急ぐということはできない。
待つということもできない。


人の思考はネット回線なんかと同じではない。

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