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2011年11月

2011年11月28日 (月)

evil

僕は、僕が生きていく道において、後に先にどれだけのものを置き去りにして、切り捨て、犠牲にしていくのだろうか。

いつかそれが終わることがあるだろうか。


先に進むということは、いつもこういうことなのか。


僕は魔人になってやしないか。

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lost in a dream

11/25(金)。

芸術を志す初期衝動は、”憧れ”だった。

ピアノを弾く妹を見て、僕も弾きたいと言い始めたような記憶がある。
そのうち憧れはギターを弾く従兄弟になって、気がついたらドラムになっていた。


ロックだけでは表現に限界があると思ったときには、もう僕は20代の後半。

音大に入ったとき、まだ10代の子たちがびっくりするほどうまく楽器を使っているのを目の当たりにして、自分はこれまでだと、そう思った。
絶望感と劣等感がこの上もなく苦しく、見栄や世間体を省みずにこの道を選んだことを後悔した。


楽器の歴は浅い。
身体能力は高くはなく、むしろ最低のレベルだと、僕は僕自身に評価を下した。

それは屈辱だったのかもしれない。


毎日の悩みのなかで、それでもなんとか音楽を作り出したい、自分の技を身につけたいと思いながら必死に音楽を聴いていたあるときに、ふと気がついた。


ビルエバンスのトリオなんて、ジャズを聴く人に限らず、多くのリスナーが当然のごとく一度は耳にしたことのある音楽だろう。
当たり前のようにそれはジャズであって、その”当たり前”という思い込みによって、僕の耳は聴くべきところにフィルターをかけていた。

それがある時、一瞬のことだったと思うけれども、そのドラマーの音があまりにも衝撃的に耳に飛び込んできた。

”普通”とは一体何だったのか。
常識とは一体どれをさして言うものなのか。

ごく自然にそのフィルターは剥がれて、自分のスタイルに真剣に向き合える可能性を僕は手にした。

ビルエバンスの重要な時期を支えたドラマー、ポール・モチアン。

僕には彼の作り出す打楽器の空間が”あるはずの場所にあるものがなく、思わぬところにないはずのものがある”ように見えた。

唯一無二のバランス感覚と、あまりに少ない、あやういほどの音数。
個性的なダイナミクスの作り方。

何度も何度も聴いてきたはずだったのに、まさにその瞬間まで僕は彼の音が”聴こえていなかった”ことに気付く。

強く、速く、難解、複雑。
そこには憧れを抱かせるだけのものすごい力がある。
それができなければ使い物にならないという、言わば迷信のようなもの、あるいは呪い、あるいは重力。


モチアンの表現はそのすべてから解放されたところにあると、僕にはそう思えた。


彼のたくさんのソロを採譜した。
重力から解き放たれたくて、一心に奏法を研究して、とにかく一日中でも同じ演奏を何回も聴いた。


シンバルの一打から、音楽全体が、森の中か海の中のように、全てが繋がっているように聴こえ出した。

音楽の真実は、憧れの向こう側。
体という制約を超え、心に響くところにある。


今、また悩みの中にある僕は、彼の音に深く沈んでいた。
その矢先、、、。


11/22、ポール・モチアンは80歳で息を引き取った。
彼に会うことは叶わなかった。

いつかニューヨークに行けるときがきたら、きっと彼にありがとうと伝えようと。

エルヴィン・ジョーンズはずっと前に”辛いことがあっても続けるんだよ”と僕の手を握りながら言ってくれた。
熱い熱いエネルギーのようなもの。


ポールは僕に、”音楽とは何か”を常に示してくれた。
苦悩を解決する糸口になるのはいつも彼の音楽。
それは、まぎれもなく”己の表現をすること”。

演奏だけではなく、新しい曲を作り、古い曲を蘇らせ、”今”を表現する。


彼は音楽を通して、生きることの面白さを教えてくれた。
自分のバランスで立って歩いていけ、と、その音が語っている。


ありがと、ポール。
また、いつか。

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2011年11月21日 (月)

nameless

己の進みたい道に誠実であることだ。
小さな欲、不安、欺瞞に人はあっさりと足を掬われる。

僕はこうだと思った道を進みたい。
誰かがそれを野次るかもだし、石を投げつけるように罵詈雑言を僕に吐くだろう。
僕は、少なくとも”普通”じゃないから。

それでもその道を行く。


許されるなら、誰かとともに。

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2011年11月11日 (金)

知足

少し忙しくし過ぎたのか、慢性疲労のよくない波が来ているようで、少なくとも1週間はゆっくり過ごそうと思っている。
その間は寝室でゆっくり書きかけの曲を完成させたり、いろいろ思うことをこうして記事にしていこうと思う。

11/8(火)。
もうすっかり寒い。

9月頃、小学生の打楽器アンサンブルコンクール用の曲として”little alchemists”という曲を書いたのだけど、選考日直前ということで、どうにかスケジュールをあわせて子どもたちのレッスンに行った。

4人のちびっこギャルズがばちや楽器をくるくると交換しながら演奏する様子を見ると、僕の曲はまさにそのイメージとぴったり一致した。

曲の解釈を、頭をつきあわせて考えるちびっこを見ていると、こういう作業こそ僕ら大人がプロの現場でやらなければならないことなのになぁと切実に思った。

真剣な眼差しに心打たれ、その日の体調の悪さも一瞬にして忘れてしまった。


小さな錬金術師たちはどきどきしながら、ときに間違いもおかしつつ、でも大胆に曲に魔法をかけていく。
僕の曲は決して簡単じゃない。
多分大人がやっても難しい曲だと思う。
それを小さな体でイメージを膨らませて、ものすごいダイナミクスの幅をなんとか表現しようとする様子は、まさに大呪文を編み出す錬金術だ。

彼女たちは一生懸命演奏してくれることで僕に”曲を楽しんでいるよ”と伝えてくれた。
指導に当たる先生にも、子どもたちのキャラクターにあった曲をありがとうと言っていただいた。


この機会は、そもそも、その学校のオケのトレーナーを務める、cubic starややちよにでおなじみのパーカッショニストの松本ちはやからもらったものだ。
彼女も、子どもたちのためにアレンジを手がけてくれた。

演奏だけが音楽ではなく、このチームプレイが全て音楽だ。

10月に三井ホールという大舞台で演奏したときも、僕が参加したバンドのリーダーの深山健太郎さんをはじめ、たくさんたくさん、人が手をつないで一つの大きな作品を完成させたと言える。


でも、僕は。
まだ分からないけど、もしかしたら、大きなことを成すのにはほんとは向いてないのかもしれない。

”自立”という責任において生活するためのお金が必要で、そのためには、少なくとも音楽をそのツールとするならば、自分の表現を巨大化させていくか、はたまた音楽そのものを完全に捨て去って他の道を模索するしかない。

人によってはその二択以外に選択肢を持つ人もいるだろう。

だが、僕は何を選ぶにせよ、それに対して自分の体はあまりにも脆く、精神はあまりにも薄弱で、社会性もあまりに低い。

タイニーミュージックを愛し過ぎているし、僕の作り出す作品に大衆性があるとは、少なくとも僕の口からは言えない。
もしもそれを備えていると思ってくれる人がいるならば、それは僕の仲間たちの協力の結果である。

従って僕個人では、微生物一匹ほどのちからもない。

後日、一緒によく演奏してるシンガーソングライターの柳田健一さんに”little alchemists”を聴いてもらった。

僕は柳田さんの曲が凄く好きだし、その類まれなソングライティングに尊敬もしている。
そんな彼がいい曲だと言ってくれた。

絶対にお世辞は言わないし、ひいき目も持たない彼の、素直に嬉しい一言だった。


そんな一言に、僕は感動しすぎるぐらいに感動してしまう。
それでいいと思ってしまう。


先に進むための解決策をはっきりと見出せないでいる。
一体何がこの先の状況を変えていくというのだろうか。

まだ、分からない。


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2011年11月 9日 (水)

living on line

自分は何者かを問う。

10月は、おそらく僕は今までの活動の中で一番他者の表現というものを理解しようとして奔走した時期だったと思う。

中には、短い人生の中で一度もまともに接したことがないジャンルのものもあり、その手法の理解に苦しみ、1週間以上悩み抜いた結果、結局答えを出すことのできないまま終わらせてしまうものもあった。
またそれとは逆に、自分のものでありながら、共演者のそれに対する受け取り方を僕が理解してあげられず、大きくかたちを変えざるを得ないこともあった。

不本意なまま作品が世に出るということはいつの時代にもあるし、おそらくどんな作家にもある。
物事の流れるスピードがテクノロジーの力を借りて速くなれば、なおさらそういったことが起こるだろう。


享受し、食いつくし、飽きるスピードも、それと並行して速くなる。


しかし、どんなに技術が発達しようと、真に”ものを作る”ということにおけるスピードは絶対に変わらない。

インプットの量が多くなればそれだけ咀嚼に時間がかかる。
熱量をアウトプットに例えるなら、僕らが体温を保つためにどれだけの命を飲み込んでいるか考えればすぐに分かるだろう。

人は目の前にある情報の多さにそのことを忘れているように思う。

うまいものを、味わうことなくどんどん飲み込み、まだ欲しいと訴える。
資本主義はこの”飽くなき欲望”によって支えられ、餌を突き出された消費者は考えることなくそれに飛びつく。

バブルが弾けるがごとく、人は体だけでなく精神までもぶくぶくと肥満化させて、見える先はもう言うまでもなかろう。


”楽しみたいだけ”は、罪だ。
楽しみの先に人を見るから、人は豊かになるのだし、だから楽しいのである。
芸術そのものに意味があるのではなく、唯一無二の”人”をそこに感じられるから芸術に意味が生まれるのだ。


果ては芸術に限らず、それはいかなる現場においても同じだ。
代わりがいないから一人の人が愛おしく、その人がいることでその場とその時が成り立つ。


僕は、素材化されて”ありもの”と化したものを、自分の表現媒体にして世に送り出したくなんかない。

その時、その人たちの中で、そこにあるものの中で、自分はいかなる存在であるかを問う。
常に自分のいる意味を問う。

その問いは決して他者に向けられるものではない。
いつも自分だ。

変幻自在の色ではない、無色透明でもない。
僕は常に極彩色でありたい。

極彩色でありながら、ときには色を飲み込み、ときには色に解け合う。


進化の過程の中でそれを身につけた生き物がいるけれど、その能力は一朝一夕で得たものじゃない。
何万何億の時間がそれを可能にした。
ならば、人が”意識”という、未だに解き明かせないハイパーテクノロジーを持っていても、ものを生み出すことには途方もなく時間がかかるはずだ、本来は。

芸術は、楽にはならない。
むしろ磁化や電化によって、悩み苦しむことが多くなったはずだ。
手に余るエネルギーと選択肢を僕らが手にしているからだ。
しかもその歴史を現代人はもはや辿ることはできない。

もし、空を飛ぶことがメインの生き方になったとしたら、僕らは大地を踏みしめた歴史を一生のうちにたどることができるだろうか。
それは確実に無理だ。


開いた目を閉じることはできない。
聴く機能を備えた耳を、自ら閉ざすことも。

自己にすら満足できない自分を許すこともできない。
分かったフリして物事にすぐに飽きてしまう人間に対しても、僕は許すことができなくなる。
その怒りは、おそらく僕の中にある焦りさえも上回る。


手に取ったものを見てみる。
そこに内包されたものに、そのひとの人生が含まれているはずだ。
一体それを作り出すのに、その人はどれだけの時間を費やしただろう。

それを理解するのにどれだけ時間がかかると思う?
はたまた、理解した気になっているか?


時間はかかるのだ。
それもいたずらにかかるのではなく、その時間は、僕の精神を決して止むことなく削り落としていく。

急ぐということはできない。
待つということもできない。


人の思考はネット回線なんかと同じではない。

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2011年11月 7日 (月)

大暴投を魔球に変えるメタモルフォーゼの理論

11/6(日)

とうとう11月。
雨が時折降っているが、あたたかい日だ。

久しぶりに寝坊した。
正確に言えば、早起き過ぎて二度寝した。
毎週見ている仮面ライダーも、駅伝で無し。


日曜日感ゼロの日曜日。
思えば先週も茨城で夜更かしして、朝は絶望的に眠かったような気がする。


この日は北参道のストロボカフェで、羽純ちゃんのレコ発ワンマンをやることになっていた。

僕は基本的に”サポート”としての演奏は断固お断りということを公言している。
音楽の演奏はソロという形態を除いて、本来人が集まっておこなわれる集団による時間芸術のはずだ。
つまり、屁理屈かもしれないが、根本的な意味を考えると”サポート”なんてくそかっこ悪くて鬼ダサい幼稚なボキャブラリーからくる、いかにもお仕事的な言葉は合わない。

演奏は”かっこいい”のが当たり前なのだと僕は思っている。


9月の終わりだったか、演奏の依頼が来たとき二度断ったが、三度、羽純ちゃんは熱意の依頼をくれた。

”三顧の礼”だ。

人は思うところあれば、その日から変われる。
きっと僕のようなドロドロのサイケデリックハードコアなヤンキードラマーに連絡してくるぐらいだから、何か思うところがあったのだろう。

羽純ちゃんがどいういう活動をしてきたのか全く知らなかったが、その日から僕は彼女の活動を少しでも理解できるよう心掛けた。


メンバーは豪華で、数々のセッションをこなしてきた今をときめく手練ばかり。

ピアノは須藤信一郎氏、須藤さん。
ベースは澤田将弘氏、さわくん。
パーカッションはcubic starややちよにでお馴染み、松本ちはや、ちはっち。

みんな忙しく、リハーサルはたった2回しかできなかったが、形になるのはあっという間だった。


お昼間に1時間越えのステージを2回だったのだが、ストロボカフェは1st、2ndともに満員御礼となった。

僕が羽純ちゃんのバンドに加わったのは言うまでもなく初めてで、MCでアナウンスされたり、僕をフィーチャーしたシーンがあったりと、なかなか照れくさいことがいっぱいあった。

たくさんのお客さんが楽しんでいたようで何よりだ。


彼女もそうだが、僕もまた自分がリーダーとなって、あるいはアレンジャーとしての位置につきながら直接的に演奏までおこなう自作自演屋だから、全てを企画し遂行することというのはほんとに大変だということを知っている。
それが僕を単なるセッション屋にしない大きな要因になっている。

常に今を意識する。
譜面に書かれたこと以上に、今起こっていることに忠実でありたいと思う。
それは芸術家としての僕のプライドでもある。


作品を作るときは意識は”時代”に向けられている。
きっと端から見ると、僕の考えは言わばキャッチャーのいない、猛烈な大暴投の様に見えていることの方が多いだろうと、自分自身そう思ってきた。

しかし、それは今変わろうとしている。
受け取ってくれる人からの答えが次第に速く、多くなってきた。

僕は自分の生きる時代に対しての答えを、反発を表現に内包させてきたつもりだ。
世代、人種、文化をいつしか超えたいといつもいつも思っている。

まずは仲間に、そして同世代に、さらには多くの、価値観が違う人たちにも届くことを願っている。


自分がどこかのグループに所属する意思を表明した以上、自分がリーダーであるときと同じように、やっぱりその思想を持って積極的に関わりたい。
波紋を大きくしていきたいし、人として成長し、年を取るにつれて、常に変化していきたい。


もっと自分を磨いていきたいと変化していく人を見るのが好きだ。
自分も常にそうありたい。
今日よりも明日で、明日よりも来月、来月よりも来年と、今という時間を感じながら変化していければ、僕らはアーティストとしてこの社会に何かを残していけるんじゃないかと思う。


まずはもっと同じ世代の人たちが、理解を深め合えればいいとおもう。
僕らの世代の表現を作らねばなるまい。


打ち上げは楽しかった。
また、いずれこのメンバーが集まる日も来るだろう。

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2011年11月 5日 (土)

wanna be a hero

遡る、10/27(木)。


ドラゴンクエスト展を六本木に見に行った。
ゲーム大好きな僕としては、もう夢の世界なんだろうなとワクワクしながら行ったわけだが、、、。
職業病なのか、もはや楽しむというだけで済む体質ではなくなっていることに改めて実感した。


1作目から25年。
堀井雄二と鳥山明とすぎやまこういち。
完璧な力のトライアングルがたくさんの冒険を生み出した。

壁に展示された膨大な量の設定資料やシナリオ。
まだRPGという言葉を知らない日本のプレーヤーたちに、説明書を与えることなく、ゲームをプレイすることで教えるという考えには完全に脱帽した。
1、2、3の三部作に分けたのには大きな理由があったのだ。
見事なまでに辻褄があったストーリーの完成と、”RPGの伝道”という大義を両方こなす大作戦を、堀井さんはやってのけた。
賢者の領域としか思えない。


ドットアートという、ごくごく限られた領域においても表情や色彩の豊かさを失わないように描かれた、シンプルで大胆な鳥山さんの作画。
当時の小さなテレビと限られた色でも、おそらく誰もが個性豊かな怪物たちにワクワクしたり、苦しめられたりしたことだろう。
シルエットだけでもそうだと分かるスライムを生み出した想像力は、このゲームが未曾有の売り上げに至るのに大きく貢献した。

僕は音楽をやる人間だから、やっぱり感動したのはすぎやまさんの直筆の譜面だった。

RPGにおける最も大切な要素は音楽だと僕は思っている。
長い冒険、繰り返される戦闘に常にワクワクしていられるのはそこにいい音楽があるからだ。

カートリッジ容量の関係で三和音が限度という音楽的に難しい制約の中で作られた、わずか二和音の”オーケストラ”。
緊張感あるぎりぎりの戦闘はこのオーケストラによって、異常なまでにリアルに描かれていた。
もう20年も前にやったゲームなのに未だにそのメロディーを歌えるぐらい、僕はどっぷりとその世界の中にいたのだ。

極小の音数で生み出される無限の想像力に胸を打たれて、涙が出そうだった。
たどり着きたい場所であり、一生追い続ける場所がここにもあった。

25年間、ともに考え、苦しみ、それでも新しいものを生み出すということがどれだけ希有なことなのかを考えてみる。
期待も何もないところからのスタート、無理解、ときに批難もあったろう。
彼ら3人はまさに勇者が未知の強敵と戦うがごとく、孤独な旅を続けてきたと思うのだ。

磨き抜かれた緻密さや難解さは、宝石のように純度を増して、普遍のポピュラリティーを生む。
これはまぎれもない事実だ。


冒険をした人の数だけ冒険があって思い出がある。
そんな大作の中に入り込んで、僕はこの日、彼ら3賢者の血のにじむような努力と高い知性を知った。


僕もまた冒険者。
この世界を変えられるだろうかという不安と孤独を常に纏いつつも、仲間とともに邁進する勇者になりたい。

すぎやまこういちの旅立ちのテーマを聴きながら、子どもの頃思った”強くなりたい”という熱い思いを思い出していた。

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2011年11月 4日 (金)

quiet night(後編)

まだ、10/30(日)。

日が暮れてきた。
オチャノバに2日間お世話になりっぱなし。


二階でうとうとしているとコーヒーを出してくれた。

仕事、作業をするときは、コーヒー。
寝覚めの一杯もコーヒー。
さぁ、やるぞと出陣前もコーヒー。
じゃ、寝るかで、歯を磨く前もコーヒー。

要はコーヒー。
須藤さんは職人技でカフェラテにたくさんの絵を描いてくれた。


オチャノバのある古河は、意外と都心からでもすんなり行ける。
足を運ぶだけで幸せになれるだろう。
僕はとても幸せになったから。
http://ocha-nova.com/







17時。
もう日が落ちるのが早くなってしまった。


茨城古河の2日目の夜は、spiderというライブハウスでcubic starのライブ。
昨晩とはうってかわって、大音量の大編成。
オチャノバでメンバーと合流して、ゆるゆるとライブハウス入り。


久々の未開の地。
僕は緊張していたのか、不安だったのか。
サウンドチェックの際の、みんなの音をよく聞き取れなかった。

バランスの指示を出せないでいる僕を、メンバー全員の協力が救ってくれた。

時期もハロウィンってことで、仮装道具を持って来ていた。
無名の僕らにできることは、せめてお祭りをやることぐらいだと考えた。

水戸で3月の震災にあった友人が呼んでくれたのだ、少しでも元気になってほしい。
自分ばかりが不安ではないだろう。
楽しくやりたかった。


思いのほか仮装は評判よかった。
メンバーも対バンの人たちもみんな楽しんだ。


僕らの演奏は1時間のロングセット。
2ndアルバム”promised land”のほとんどの曲をやり、加えてアルバム未収録の”across the Rubicon”(いつも見に来てくれる人の間ではすっかりお馴染みになっているが)、さらにはビートルズのカヴァー”yellow submarine”まで。


サウンドチェックのときの不安が嘘のようだ。

メンバー一人一人のパフォーマンス時の集中力は、かつてないほどに向上している。
難曲を難なくこなし、さらに個々人のオリジナリティーまで叩き込んでくる。

聴いてくれる人も楽しんでくれていて、僕は素直に嬉しかったし、何よりとにかく楽しかった。


昨夜”やちよに”をオチャノバで見てくれたお客さんが二人、また見にきてくれた。
たった一晩、短い時間でありながらも、僕らの音楽に興味を持ってくれた人がいるなんてことは全くもって奇跡だ。

”好きだ”という素直な感想が胸に沁みた。
これだけでいいんだ。
これが言われたいんだ。
だからもっと作り出そうという力が湧いてくる。

感謝のしようがないから、僕らは再びさらにいいものを作って古河に戻ってくることを約束した。


僕を呼んでくれた坂本さんのバンドが場を締めてくれた。
いいバンドだった。


打ち上げもいいムードだ。
誰もが楽しそうというのは、ほんとにうれしいこと。

僕と坂本さんは久々の再会を噛み締めながら、積もる話をした。

作家はいつも孤独だ。
人である以上、無理解は恐怖だ。
全くの他人ならまだしも、メンバーや近しい友人がもしも理解してくれなかったら、一体自分という存在は何なのかと虚しくなってしまう。


日々技を磨き、様々な表現方法を手に入れたいと思うとき、一番に思いつくのはまずはメンバーであり仲間であり近しい友人のことだ。

彼らに認めてほしい。
理解してほしい。

それができてはじめて、僕の想像するものは外の世界の、より多くの人に向けられる。


理解者がいないことへの不安や焦りはずっとずっと感じてきた。
日常生活におけるレベルでそれがつきまとう。
今も、この先もそうだろう。

それでも”理解”を望みたい。
分かり合える時が来る。

ただ、そう信じていると、僕は坂本さんに話した。
彼の孤独も僕のそれとかわらなかった。


相方の太鼓の斉藤功が、僕を指差して笑っている。
”慢性疲労〜〜”だとっ!
どうにもおかしくて、僕も大笑いした。

そういう仲間に恵まれたかったのだ。
深刻なこともあっさりと笑い飛ばしてくれる。


彼らは僕をもう一人にしないのかもしれない。

僕の想像を、誰よりも速く緻密に理解してくれるかもしれない。
そんで、彼らは僕に、彼らの新しい応えを投げ返してくれるだろう。


”いたずらにする? それとも僕らに施し物をするかい?”
はは、化け物は一年中、僕のそばにいたわけだ。

こんなふうに。
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追伸。
3月の震災を目の当たりにしながら、そのとき僕ら音楽家は非力にも祈ることしかできなかった。
水戸の友人を励ますようにと、もともと”祈り”をテーマにして書き上げた”RE: streams from the promised land”を演奏したのだけど、空の彼方まで届いただろうか。

僕がこの曲を書いたとき、僕の精神状態はいろいろな意味で限界だった。
書き上げ、レコーディングが終わったとき、僕はコンソールルームで大切な人の死を知らされた。
祈りだったはずが、いわく付きの曲になっている。

祈りは、生者の傲慢なのだろうか。
今もなお疑問が離れない。
それでやはりまた祈るばかりだ。

変えなきゃいけないものを変えなきゃいけない。


いかされているのだ、僕は。
感謝。

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quiet night(中編)

10/30(日)。

まだ気分は土曜日のまま。
夜更けというより夜明けまでテレビをつけっぱなしにしていると、NHKですごい映像が流れた。

空間が、雲と大地によってきれいに挟まれている。
重々しい雲もまるで地上のようで、どちらが上で下なのか分からなくなるような景色だった。

小さなホテルの一室には子どものときの記憶がたくさんある。

旅行好きの親父と泊まったホテルの記憶。
空気が乾燥するとすぐに僕が風邪を引いて咳が出るので、ユニットの浴槽にお湯を張って、扉を開けたままにする。

親父がやることのまんま同じことを今の僕もやる。

日頃はうるさいと言って絶対にやらないテレビの大音量も、日曜日と旅行先だけは許される。
そのときだけの開放感。

小さ頃は知らないところに行くのがあんなに嫌だったのに、この歳になってみると、当時親父の考えていたことが少し理解できるような気がする。

ついでにいうと、車に乗りながら音楽を聴くことも大嫌いだった。
ビートルズなんかがかかると、即車酔いだ。

ラヴェルとワーグナーは僕の記憶によると、そんなドライブのときにはじめて聞いたような気がする。
何か別の乗り物に乗っているような感覚になって、それが味わいたくて、その後何度もあれをかけてくれと頼んだ。

今ではまるで親父と同じように、音楽を聴きながら車を飛ばして茨城まで出てきた。
似ているなとも思うし、あんな風に偉大な存在に自分はなれないと思っていたら、いつの間にか寝ていて夜が明けた。


現在住んでる世田谷は比較的に朝は静かだが、古河の朝はさらに静かだった。
日曜の朝、仮面ライダーがドタバタと怪人と格闘している。


みんなで朝食を食べて、昨夜やりっ放しにしてきたオチャノバの片付けに向かった。

10時。
のんびりみんな集まって、片付け開始。
人数いるとあった言う間に片付いてしまう。

マスターの須藤さんがコーヒを淹れてくれた。
これでようやく一息ついたと言った感じ。


夕方の入り時間までは何でもできるほどの十分な時間があったので、貸し自転車を借りて大きな公園にみんなで遊びにいくことにした。

田舎は道も広いし車通りもさほどでもないから、さながら自転車暴走族。
心が躍った。

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自転車に乗る姿がヤンキーだと。
ふんっっ。


公園は思った以上に広かった。
のんびりと歩きながら、昨晩のことを考え、また今晩の演奏について考えていた。


僕はもはやどこに行っても音楽を切り離すことができなくなっている。
僕と僕の作るもののどちらが重力でどちらが遠心力かは分からないけども、二つの関係はラグランジュポイントのようで、均衡が崩れればその中心に位置する自我が崩壊しそうだ。


”作り、人に伝える”ことは、僕が健康的に活動できる原動力になっている。
待っている人がいるから、這ってでもそこに行こうと思う。
シンプルなエネルギーのフィードバックだ。


辛気くさい顔をしていると何かとみんなに心配されるので、アスレチックで遊んでみた。
実は、大好きだ。

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公園には手押しのポンプもあった。
実際に水も出る。
昔はばあちゃんのうちのそばにあって、夏にはそれで水の掛け合いをやった。

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こんなに足をあげなくても、簡単に押せば水は出る。
ちびっこのちはっちは子ども仕様ということだろう。

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大人になってから、こんなふうに”みんなで遊ぶ”ということが減ってしまっていくものだけど、僕は逆のようだ。
たくさんの人とお喋りするように、遊ぶようになった。


人は遊びの中で知恵をつけるそうだ。
楽しむためにはどうすればいいか、仲間との駆け引き、ときには冒険のように危険と好奇心に胸を踊らせる。
そこにはたくさんの能力向上要素が含まれていて、遊べば遊ぶほど、コミュニケーション能力と豊かな発想力がつくのだということだ。

現状、多くの子どもがこれに逆行している。
何とも痛ましい。


演奏も、音楽もそう。
くそまじめにやってたって何も生まれない。
たくさんのものを飲み込み、挑戦して、自分に一番あったものを磨き上げる。
それはさながらゲームだ。

新しいルールを自ら作り、仲間とともに完成へと導く。

僕らは遊びの途中。
”〜〜みたいなもの”は絶対に作らない。


夜の演奏の不安が戻ってくる。
ほとんど無名の僕らにどれだけの人が興味を示してくれるか。

異形の表現はどこまで受け入れられるのか。

自転車に乗ってオチャノバに戻る。


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2011年11月 2日 (水)

quiet night(前編)

10/29(土)。

とてもいい天気だ。
風がなければ、日差しが強くて少し汗ばむ日になったろう。


茨城に行くのである。
演奏は29日と30日の2日間。

29日は”やちよに”の演奏を茨城古河のCafe 5040 Ocha-Nova(オチャノバ)でやることになっていた。

お昼の12時、僕、すなやまけい、松本ちはや、田窪一盛の4人で車に乗り込んで、一路、古河を目指す。
道は思った以上に空いていて、予定よりずっと早い時間で進んできたので、SAでだらだらと昼食をとった。

タクボン以外は沖縄そばを頼んだ。
沖縄そばといえばショウガたっぷりであるにも関わらず、ショウガの嫌いなちはっちは僕の椀のなかに自分の分のショウガすべてを盛った。

よみがえる与那国での悪夢(与那国の子どもが”これが与那国の味”とかいいながら、ショウガしか入っていない椀のなかに麺だけを入れたものを僕に食わせた)。

もはやショウガの味しかしない、、、。


とりあえず、そんなSAで写真をパシャリ。

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うん、だらだら。


問題なく宿に着いて、そこで東京からのお客さん兼スタッフの、けんちゃん、なおちゃんと合流。


今回の演奏旅行の大きなポイントはここだ。

東京からわざわざ見に来てくれお客さんが他にも何人もいたこと、さらにけんちゃんやなおちゃんのようにお手伝いまでしてくれる人たちが参加してくれたこと。
これは僕ら演奏屋にとってすごく大きなことだ。

メディアまかせで、誰かが自分たちのことを勝手にプロモートしてくれると思ったら、それは大間違いだ。
そもそも自分たちの表現なら、そんなに簡単に人任せにはできないはずだ。
”売れたい”だの、”ちやほやされたい”だの”それで食っていきたい”だの、簡単に言う奴がいるが、己の血肉をそいで生み出した表現なら、そんなに簡単に誰かの手に委ねることなどできないはずだ。

僕は、おそらく長い間、自分の表現は自分だけのものとして、人を信じることなどなかったように思う。

それが去年の半ばぐらいから紆余曲折あって、いろんな人に会い、固まった心が徐々に氷解し始めた。

批難と無理解と衝突によって、もう全てを辞めてしまいたいという気持ちになったことも、そういう出会いの積み重ねで少しずつ癒されて、今ではそれ以前よりもずっと素のままで歩けているような気さえする。


言葉というものは、ほんとにどうでもいい。
誰でも”口にできる”。

が、けんちゃんやなおちゃんをはじめ、こころから僕の表現をフォローしてくれる人たちの言葉は、言葉を超えて、”動き”になる。

場所に足を運び、耳を傾け、体を揺らし、手を差し伸べ、僕に触れる。


僕は常々思っている。
社会的でありたい、と。

そう思えば思うほど、僕の行動や言動はそこからとても遠くにあることを知り、嫌悪感に襲われる。
もはや自分を呪うに近い。

おそらく一般的には、一般的どころか人として”理解不能”な非人道的な行動も自分には必要だと思えば平気でとるし、言葉も然り。
罵倒も踏みにじりも、気持ちのままにやる。

己の心の純化をはかろうとすればするほど、僕の僕に対する理想像からどんどん遠くに遠ざかっていく。

本を読み、人の経験談を聞いても、あまりにもかけ離れた僕の心のあり方の指針になることはないように思える。

それなのに、そのことを許すかのように、あるいはそれは理解なのか、僕に声をかけ、手を差し伸べてくれる人がいることに、僕はようやく気付き始めた。

彼らは僕についてきたのではなく、逆に僕が彼らによって導かれている。

オチャノバは、古民家を改装した素敵な空間だった。
マスターの須藤さんは音楽のことをとても愛している人だ。

この日、やちよにのオープニングアクトを務めてくれたマキノさんとも、ステージでセッションができた。
音は、気持ちがオープンであればすぐに会話にまで昇華する。

やちよにはたっぷりと1セット1時間×2という長い時間だったにもかかわらず、お客さんは帰るどころか、最後まで増え続けた。


オチャノバの場の持つ力と、須藤さんをはじめスタッフの方々の人徳にはほんとにやられた。
こういう場所がしっかりあるんだ。


演奏後もたくさんの人に声をかけてもらった。
九州出身で、今は茨城で働いている方が会社の同僚さんと一緒に見に来てくれていて、熱っぽく僕に話しかけてくれた。

無名に近い僕らを愛してくれる。
それがどんなにあたたかいことか。

こうやって演奏が終わったあとに話すことがどれほど少ないか。
そうそうあることじゃないのに、この場所では至極当然のように起こる。


一方通行の物言いは、僕の望むところではない。
僕が何かを発したとき、誰かが何かを返してくれる。
はたまたその逆も。

そんなコミュニケーションをしたいのだ。


僕も、ちはっちも、すなやまんも、たくぼんも、この夜はほんとによく喋った。
たくさんの人にたくさん感謝の意を告げた。

宿に帰っても、けんちゃんとなおちゃんを加えて、また喋った。


思いを伝えたいと思うだけではダメなのだ。
伝えることに対するリスクを然るべき量背負って、誤解や無理解を怖れず、言葉に、音にしていかなければならない。

異形なのは分かっている。
たくさんのことを飲み込んできたからだ。
一つの素材から一つのものを作り出したわけじゃないからだ。


古河の夜は静かだった。
たくさんの人ととったコミュニケーションをゆっくりと噛み砕くには、この静けさが必要なのだ。


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