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2011年10月

2011年10月28日 (金)

listen carefully

10/26(水)。


随分と寒くなった。
日頃は吸わないタバコをリハーサルの合間に吸いに外に出ると、寒さで吸う気力が無くなる。


小川くんとのデュオの日だ。

小川くんこと小川晃一は、あるとき偶然ライブハウスで巡り会った唄うたい。
透明度の高いメロディーと詩を、ボコスカと打ち出されるリズムに合わせて(まるで獣に追い立てられるように)歌っているのが印象的で、ついうっかり声をかけたものである。

自信家の一面がある僕は、”これ、絶対僕がバックについた方がいい”と思いながら、去年、ようやくそうなった。

バンド形態をしばらくやったが、小川くん的にしっくりこなかったことが一番の理由で、彼のギターボーカルと僕のドラムのデュオとあいなったわけだ。
ドラムとのデュオというのは多分珍しいと思うのだが、僕自身がドラム奏者だからそんなこと特に気にもとめなかった。

基本、ドラムというとやれドカバキだとか、そうでなければリズミカルなイメージを持つだろうけれでも、平時、エレクトニカやヨーロピアンコンテンポラリーを好んで聴く僕にとっては、むしろリズムばかりを出し続けるドラムの方がなんだか奇妙に思える。

そういうこともあって、小川晃一とはとてもいいタッグを組めるのだろう。


手前味噌な言い方で恥ずかしいけれども、僕はどうも唄うたいから好かれる質の打楽器奏者であるようだ(そんなわけだから、バンドを主体とした、いわゆるバンドのボーカルとは、逆に衝突激突の類が多い)。

この日、下北沢のカラードジャムでの演奏することになっていた。
サウンドチェックのあとに、辛いもの大好きな僕らは、近所の韓国料理屋でスンドゥブを食べた。

唄うたいは激辛に挑戦することなく、僕の方はさらなる高見を目指して大さじ一杯の一味を2度ほど加えた。


ましそよ。

本番はとてもたくさんのお客さんで賑わった。


小川くんと僕の演奏は、極小の音で綴られることが多い。

大切なことは小さな声で語られるべきという信念が僕にはある。

音楽が最も強い力を発するとき、それはダイナミクス的に極小であり、それが持続するときだと僕は考える。


自然な大きな音はリラックスが生むものだが、小さな音というのはそれから考えると明らかに不自然なのだ。
”抑える力”がいる。
この力を得るためにとんでもなく長い時間を僕は要した。


この力を2人で共有し駆使するのは、何ともいえない悦楽の時間なのだ。

2人いるのに、1人以下の音量と音数。
たったそれだけで音楽を成立させる。
そこに僕らのデュオの真価がある。
大きな音でもないのに体の心から熱くなる。

聞き手とパフォーマーが同じレベルで耳を澄ます。
いいコミュニケーションだと思った。


大音量化し、極端にマッシヴな方向に流れていく現在の流行に対して、やはり僕ら表現者はそれを仕方なく受け入れるだけでなく、嫌ならはっきりノーと言わねばならない。
しかもそれは、音楽家なら音楽の力を持ってしてそれをおこなうべきだ。


ただ与えるだけでなく、受け手が考え、補完する、そのスペースをいかにして作るか。
そこまでで一つの作品としてとらえることで、至上のコミュニケーションを生む。

だからスペースさえも作り込む。
完璧だと思って作り込んだものにさえ、いざ本番にはハプニングを起こすべく、再構築にあたる。
時間という要素があるからこそできるパフォーマンス。
それが音楽だろう。


空間を共有する人たちの呼吸さえ聴こえそうな演奏が僕は大好きだ。
だってさ、そのとき僕らが故意に音を出さなくても、全ての音が音楽になるのだから。


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2011年10月27日 (木)

茨城ツアー

10月もようやく大詰めである。
ただいまの時刻は10/26の深夜25時。

数日続いた夏の残り香のような暑さは、一晩のうちに一気に冬へと向かうかのごとく寒くなった。

今しがた、小川くんとのデュオを終えてきたわけだが、それはまたのちに記すことにする。

今週末、つまり10/29(土)と30(日)の2日間で、茨城にツアーに行く。
東京からは少し離れているため、さすがにほいほいと遊びにきてくださいなどと言えないが、それでもすでに”行きます”という、気合いの入ったファンの人たちがいてくれて、何とも嬉しい限りだ。


価値観は人それぞれだが、多くの場合、例えばビッグネームということをプレミアとして、それを動く理由にすることが多い。
そういったことから考えると、僕を含め、僕のバンド仲間のほとんどがまだまだ名の通るようなパフォーマーではないにも関わらず、それを見に来てくれるということは、これはもう、なんというか、気違い寄りの奇跡という他ないような気もする。


が、そういった一種熱狂的ともいえるお客さんというのは、実は真のパフォーマーそのものと全く同種の人間ともいえるのだ。

僕ら音楽家も、いや、全員ではないかもしれんが、少なくとも僕は”熱狂的な音楽ヲタ”であることは間違いなく、端から見ると気持ち悪いと思われるのが当然なくらい、ほんとならヲタトークを炸裂させていたいのだが、そこは猿並みのなけなしの知性で押さえ込んでいるつもりだ。


熱狂的なファンはつまり僕のもう一つの姿であり、僕はまたそういう熱狂的な人たちの分身ということもいえる。


演じ手と受け手との相互フィードバックの関係は創作活動の核の部分だ。
核が形成されていないのに存在するものは、基本的にない。


というわけで、茨城での演奏。
そんな熱狂を今度は茨城で起こそうというわけだが、、、。
茨城観光ついでに足を運んでみてはどだろうか。

宇宙まで飛べるかもしれない。

静と動の、2夜を楽しんで下され。


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10/29(土)
やちよに(松本ちはやvo、よしじまともひとdrs・etc、 ゲスト 砂山けいba、田窪一盛gt)
@Ocha-Nova
Opening Act「Keita Makino」

2000yen| 1D
18:00~23:00

1部20:00~
2部22:00~

お問い合わせ
Cafe5040 Ocha-nova
info@ocha-nova.com
0280-32-5577
茨城県古河市本町4-2-29









Cubicimage
10/30(日)
cubic star minimal orchestra ”茨城ツアー”
@茨城古河spider
茨城県古河市本町1-3-15 小川ビル 1F
TEL & FAX 0280-32-0877


stainlessfan presents
"急展開 vol.3"

19時スタート
1500円+1order

茨城を代表するバンドstainlessfanとcubic star minimal orchestraのガチンコバトル2マン!

cubic starは1時間のロングライブ。
緻密なメロディーとリズムの宇宙空間を体感せよ!

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2011年10月23日 (日)

like a monster

10/14(金)。

長袖のジャケットを羽織ると、うっすら汗をかく。
天気は晴れから夕方には雨になるそうだ、そんな予報だった。


朝が早かったのか、それとも眠れなかったのか。
張りつめていたのだろうか、今となっては分からないけど、寝室から出るのが億劫だった。

何を伝え、何を受け取るのか、何一つ予想が付けられず、自分の価値観が一気に揺らぐ。
そんな経験はそうあることじゃない。
数時間後に僕は、その一番大きな波を受けることになる。


月に一度”深山健太郎トリオ”で演奏させてもらっている学芸大学のレストラン、オステリアジャポネーゼで、役者の柴俊夫さんに出会ったことがきっかけで、柴さんの”こどものための柴基金”によるチャリティーコンサートに出ることになったのだ。

そのお誘いが、5月ぐらいだったか。
あっという間に約半年が経った。

リーダーの健太郎さんは、それはとてもとても責任感を感じていただろう。
なんせ、最終的にはゴダイゴのギタリストである浅野さんまでバンドに加わってしまったからだ。

大きくなっていくプロジェクトを支えるには、相当な体力と気力がいる。

僕は健太郎さんの努力と気合いを目の当たりにして、自分ができることを考えながら、リーダーとしての器の違いを噛み締めていた。


朝11時に日本橋にある三井ホールに入る。

浅野さんと初対面、握手とあいさつ。
あったかくて大きな手、優しそうな笑顔。


機材を搬入するメンバーは他のメンバーよりも入り時間が早く、ステージセットを組むスタッフさんと一緒になって機材を組んでいった。

スタッフさんは、この日舞台をともにする松崎しげるさんのとこのスタッフ。
みんなとても明るくて、さわやか。

ともに今日のイベントを大成功に導こうという思いで一杯だ。


ステージから見る客席最後列はとても遠い。
約700人でこの会場が埋まる。
チケットは完売。





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ステージ組が終わって軽食をとってから、松崎さんのリハーサルを見ていた。
なか音を作るPAさんは若手だったにもかかわらず、松崎さんは熱心に音の様子を伝え、優しく柔軟に対応していく。

若手のPAさんはおそらく、プレッシャーよりも、松崎さんによって導かれながら良い音が構築されていくことに対するワクワクでいっぱいだっただろう。

一流の表現者は、人を育てくことにかけても一流だということを知った。


僕らのサウンドチェックもワクワクだった。
その音のよさも、PAさんが真剣に音を作ったくれたおかげだ。

その後にサウンドチェックをおこなった、元劇団四季の石丸幹二さん、ソプラニスタの岡本知高さんも、ステージ脇ではあたたかく大きな存在という感じだったが、いざステージに上がると、それは表現力の結晶のごとき火の玉のような、まさに怪物と化した。

圧倒的な存在感と放射されるエネルギーをこんな間近で受けられることが、どれほど興奮することか。

子どもみたいにホール探検をしていると、通路で柴さんに会った。
僕が柴さんに会うのはテレビのなかの役者としての柴さんか、いつものレストランでくつろいでいる柴さん。

この日の柴さんは、またいつもの柴さんと違った。
やっぱり、コンサートを成功に導こうという主催者のエネルギーをもっている。

にこりと笑うと、ハグ。
父のような存在感。


出演までの時間のなかで、いろんな人に会った。
それだけでも大きなことなのに、不思議と”もっともっと”と飢えが湧くものだ。


僕らは一番手で演奏。
ステージから客席はよく見えない。
ただ夜の海みたいに、吸い込まれるように、特殊なエネルギーをたたえているという感じ。


緊張は全くなかった。
むしろ、体全体が力を発したくてうずうずしていた。


曲が終わってはじめて客席が見えた。
歓声が聞こえる。
しかもどこから聞こえてくるのか、その場所まで分かる。

錯視かもしれないが、声をかけてくれる人たちの、拍手をくれる人たちの顔がはっきりと見えたような気がした。

”パフォーマーと目があった”って経験を口にする人がいるが、あながち嘘ではないようだ。
僕らはステージに上がり、感覚は異常に研ぎすまされている。

この世界を感じたかったのだ。

意見を言う代弁者としての責任、価値観も哲学も越えて共有する時間。
一体になってはじめて起こるエネルギーのフィードバック。


自分一人が蜘蛛の糸を上るようにこの力を感じていてはいけないと、直感的に思った。
僕も、健太郎さんや柴さんのように、仲間をこのレベルに導かなきゃならない。


曲を追うごとに、より鮮明にこの空間にいる人たちの顔が見えてきた。
学大のコミュニティーが、そのままこの大舞台になったみたいで、嬉しかった。


演奏者である僕らだけがビッグステージに立ったのではないと思っている。
オステリアの仲間全員でこの場に立った、そういうことだ。
そのことがとてつもなく嬉しいのだ。
仲間全員で空間を作ったのだと思うと、そりゃ巨大な力になるはずだ。


僕個人はまだまだアンダーグラウンドで戦い続けることをしばらく余儀なくされるだろうけど、ひとつ、山のてっぺんを見た。
目標をロックオンできれば、そこまでの経路を設計できるはずだ。


絶対にもう一度こういうところに立たなければいけない。
共有こそ芸術の真の姿だ。
再び仲間とともにここに立ちたい。

たくさん良い曲を作んなきゃな。
大人にもならなきゃな。


この日集まった人たちによってなされた巨額の募金は、難病やDVに苦しむアジアの子どもたち、震災で失意のなかにいる子どもたちに送られた。
どうか少しでも平穏な日々が訪れますように。

パフォーマンスは、自己満足が終着点ではない。
日々の訓練によって自分を磨き上げ、意志の力でもって自らの意見を言う。
賛同されればよし、ときには批難のリスクもある。

それでも立ち続けるから、力が生まれるのだ。
もはや自分個人の楽しみではない。
そこに行き着くべきところがある。

行かなきゃいけない、上まで。


責任をもって、たくさんの感謝をしていきたい。
大きな機会を与えたくださった柴さん、健太郎さんをはじめ、共演者の方々、、、。
なんといいますか、その、ありがとうじゃなんか違う感じがするから、え〜っと、、、、。


かたじけない、、、?


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2011年10月19日 (水)

go ahead

10/12(水)。

あたたかい日だ。
たくさんのことがある一週間になりそうな予感がしている。

リハーサルと本番が交互にあって、さらにいろんなことを考えさせられるここ最近の状況からしばらく整体に行けず、偏頭痛も首の痛みも、一番ヤバいのが左手のしびれなんだが、これももう限界。
整体に行き出してから順調に改善してたから、痛みが戻ってくるとこんなに痛かったんだと改めて思い知った。


午前中は、ここのところずっと続いてる”グループに対するあれこれ”で僕はイライラしていたように思う。

一人になりたいと思ってスタジオにこもり、夕方まで基礎打ちの練習をしていた。


夜に、渋谷で大切な友達に会うことになっていた。

もう休止して3年も経つが、thatというバンドを前にやっていて、そこで一緒に活動していたヴォーカルのあっこちゃんこと須田晶子が久しぶりに帰国したのだ。

このタイミングでの帰国に、僕は何か必然性を感じていたが、のちほど、あっこちゃんにしてもそうだったと本人の口から聞くことになった。

19時。
待ち合わせ時間に待ち合わせの場所で会えず、余計にワクワクした。

時間を遅らせてやってくるヒーロー漫画の主人公さながら、彼女は全く変わらない姿で待ち合わせ場所に現れた。

道々、音楽活動のことについてお互いに意見を出してみると、3年前に比べて、僕らはさらに分かり合えるようになっていると感じた。


僕も彼女も辛いものが大好きなので、辛いものばかりをだしてくれる飲み屋に入り、ここ1年の日本とアメリカでの出来事に関する情報を交換した。

地震、宗教、価値観とまじめな話から、ガソリンが入ると下ネタに一気に移行してしまうところもthatをやっていたときと変わらず。

NYを経てさらにオープンになったあっこちゃんは、ほんとにいろんな視点を身につけていた。

そんな彼女がかつて言ってくれたようにこの日も、僕の作る音楽も演奏も絶対に素晴らしいから、だからそのまま、流されることなくそのオリジナリティーを貫いてほしいと再度言ってくれた。

日本にいて、狭い世界で苦悩していると、僕のイマジネーションはどんどん小さくなっていく。

僕は、僕に曲を作る力があることと、僕の作るものがいかに個性的かということを最初に気づかせてくれたのはあっこちゃんだと思っている。

彼女が、僕が思っている以上に何倍にもカラフルに歌うから、僕はさらにカラフルな創造をすることができるようになったのだ。

あっこちゃんが歌うときに、僕の想像力はマックスになる。
それはおそらく間違いない。


彼女の正式な帰国を待ちわびつつ、心のどこかで”ずっとアメリカにいるべき人だ”と思ったりもする。
もっとこの国の音楽が創造的で、自由にならない限り、いずれは音楽だけでなくその他のことも閉鎖的になって、最後はこの国に希望を抱かなくなる。

比較の対象を持った人にその絶望感を味わってもらいたくない。

素晴らしい才能を持った人たちがこの国から出て行ってしまうのが僕には悔しくてならない。
どうすることもできないと、ただ流れに身を任せることもプライドが許さない。

ほんとに僕らの世代は”生み出せない世代”なのか。
媚びを売ることに終始し、長いものに巻かれることを無意識にステータスとしているのではないのか。
世にあるもののほとんどが自分にマッチするものではないと僕は思う。
自分の言葉や体に合わせて考えて作り変える、これが文化の基礎となるものではないか。

古きことから学び新しきを知ることで新陳代謝が生まれ、それが結果普遍性を帯びると僕は信じている。


あっこちゃんは、僕の大きな迷いの隅っこを突き崩してくれた。
僕もチャレンジを続けなきゃならない。
自分にとって新しいことをやり続けなくては。

またともに活動する日が来る、そのときのために。

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2011年10月17日 (月)

tide

10/10(月祝)。

疲れは連日の演奏とリハーサルで頂点に達していた。
持病の慢性疲労は容赦なく襲ってくる。
集中力を奪われる。

あたたかい一日だった。


前日のお昼のリハーサルがうまくいかず、14日の大舞台に備えた夜のリハーサルはプレッシャーでくたくたになって、結局数時間しか眠れなったために午前中はほとんど横になって過ごした。


グループのあり方について考えだすと、とてもじゃないけど眠っていられなくなる。

いつまでもアマチュアではいけないと、あるとき決心して、音楽でなんとか食べていこうと動き出してから、少なくとも自分がリーダーのバンドに関してはメンバー一人一人の人生まで考えるようになった。


10/14に備えてリハーサルをやったバンドは、いつもお世話になってるベーシストの深山健太郎さんがリーダーをやっているわけだが、その責任感と比べると、なんと僕の小さいこと、弱いこと。

誰一人、日の当るところに連れて行けていない。

そんな考えの中で、お昼過ぎ、もぞもぞと起き上がった。

夜は池袋の鈴ん小屋で演奏することになっていた。
梯子ノ上デでの演奏だ。

渋滞の中をビョークの新譜をだらりと流しながら、気のないドライヴで池袋に向かった。

サウンドチェックを終えて、デールとけいちゃんと僕で珈琲屋に入る。
(*デールは梯子ノ上デのリーダーでギターヴォーカル、けいちゃんこと砂山けいはこのバンドの”番長”でウッドベース、ここには出てきてないタクボンこと田窪一盛はギターで、やつは一人楽器屋に行った。)


激しく手書きの貼り紙が壁にべたべたはってある店内。

”電源で携帯充電するな”
まぁ、しませんよ。


”こども入店お断り”
僕らは見た目だけ大人の、グランバンビーノだが。


”べんざ”
ん?
便座にべんざって書いてある!
書かなくても分かるわいっ。

しかも”用を足したら次の人のために便座をあげておいて下さい”とな。
んんん?
普通、淑女のために便座は下げておくものではないのか、、、?

てな話題でデールと大いに盛り上がり、、、。

鈴ん小屋に戻ると、入り口でいつも来てくれる向後さんとなおちゃんに会った。

彼らがいつも楽しみにきてくれるのを見ると、”やらなきゃ”という力が湧いてくる。

もしかしたら自己完結できるパフォーマーというのは、実はとてつもなく強い人間なのかもしれない。
誰も見に来てないのに、誰かに好きだと言ってもらうこともなく、持ち時間を一人で強靭に支配していく。
それは、もしかしたらもの凄いことなのかもしれない。


が、僕は基本的には弱虫野郎で歩く生ゴミなもんだから、誰もいないところで演奏なんかやりたくはない。

というより、正直演奏はそもそもそんなに好きじゃない。


じゃ、何が好きかと言ったら、それは人との対話である。

繋がりのない自己完結に耐えられず、しかも耐える必要もないところで、一人で一体何をやろうというのか。
下世話な言い方で、よく独りよがりは”自慰行為”に例えられるが、そんな行為も華麗にやれば商品になる世の中だ。

何が正しいかは分かる気も起きないが、ただ僕は”人に会いたい”。
ひとりぼっちの時間は、欲しいとき以外はいらない。


知らないことを知り、発想の自由と可能性を模索するには、やっぱり人との繋がりってのがマスターピースなのだ。


”自分が有名になりたい”かどうか、いつかどこかで聞かれたような気がするが、そのときの答えは間違いなくノーだった。個人に興味はないからだ。
その人を中心にどんな人が集まっていて、どんなことが起こりそうなのか、そのワクワク感が好きなのだ。

だから、もし僕を含むコミュニティーが有名になるなら、それはとてもいいことだと思う。


向後さんやなおちゃんは、僕を通して僕が属するコミュニティーに興味を持ってくれた。
そして彼らもコミュニティーの一員になったわけだ。

個人が作り出すバーチャルな世界観は、そういった理解者がいてこそはじめてリアリティーを纏うものだ。


この日の僕の演奏の状態は猛烈な疲れで散漫気味で、お客さんにもメンバーにも非常に申し訳ないことをしてしまったが、それでもそこで発せられた音楽の本質を見抜いて支持してくれるみんなにさらに力を分けてもらって、僕ははっと目を覚ますことになった。

心から感謝をすることがほんとに多くなった。
エネルギーが澱むことなく自分の中を流れているのに気づいた。

4日後の14日、そのエネルギーを持って、僕は一つの重要な経過点にたどり着くことになる。

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2011年10月16日 (日)

失念

10/8(土)
曇りときどき雨。

朝は憂鬱な講師の仕事。
別にこどもに勉強を教えることが憂鬱なのではなく、むしろ親御さんに現状を把握してもらうための面談などなどが憂鬱なのである。

大体、最近の親ときたら、もにょもにょもにょもにょもにょ、割愛。

こんな忙殺のされ方は予兆だったのだろうか。
この日、僕は自分の至らなさに大いに反省することになる。

夕方からmaikotobrancoが中心となったイベントを下北沢で行うことになっていた。

下北沢は車移動を余儀なくされる僕のような太鼓屋にとっては魔の地区で、駐車場は高いわ、道は狭いわ、とにかく僕は、”演奏で行く下北沢は地獄より嫌い”といってはばからない、ことにしておく。


small finger recordsという自分のレーベルの名を冠しての初めての試みということで、出演はmaikotobrancoに加えて、僕がしょっちゅうデュオをやってるシンガーソングライターの小川くん、それから、8月にアルバムをリリースしてツアーから帰ってきたばかりのhoneydewの3バンドで構成された。

他のことで忙しかったという、まさに言い訳的な大人げない最低の理由で、僕はこのイベントに関して、珍しくというかなんというか、あまり突っ込みを入れず、特にこれといったアイディアをださなかった。


各グループ、それぞれの特徴をいかした良い演奏をした。
これは間違いないことだ。


が、僕はここんところ特に、その先を見る。
繋がりのない”イベント”のかたちをした”自主イベント”はパーティーにすらならない。

生温いことを言ってその場をやり過ごせるほど、僕はもう素人ではないし、そうではいられない。

赤裸々に話すからブログの意味があるのであると僕個人は思っているから、これはしっかりと日記にしておこうと思う。


イベントと銘打ったのにも関わらず、集客にあまりにもちからが入っていなかったこと。

これは言わば僕の責任だ。

僕の驕りであり、もろに足下をすくわれたかたちになった。
よりによってノウハウを知らない仲間に丸投げしてしまうという大失態だ。

結果、バンド同士の連帯感は、これは飽くまでも”ビジネスにおいて”だが、0に等しいという事態。


僕は人の集め方をみんなに具体的に伝えるべきだった。
または僕が呼べる人たちにもっと積極的にアピールするべきだった。

cubic starや僕個人の活動に関して言えば、とてもありがたいことに確実にそのコミュニティーは大きくなってきているから、そのことに僕が甘えたのだといえる。

まだ、この場はそこに至っていないのだという認識が僕には欠けていたのだ。


自分個人の演奏家としての活動が、あるいは自分リーダーのバンドがうまくいき出したことが、すぐさま他に伝播するわけではない。
常に、そのグループに応じた、僕的にはリスタートを切ることが大事なのだということをすっかり失念していた。

場に応じたことをすることこそ、パフォーマーの基本だ。

もう一つ。
アンダーグラウンドでの活動というのは、少なくとも”ゲリラ戦”に近い。

そこに”馴れ合い”を持ち込むべきではなかった。
これこそ僕が提言しなければいけないことだったのだ。

痛みをシェアできなければ、得たい効果は得られない。
それでは変革は起きない。

戦いの場に烏合はいらないのだ。
徹底的にテコ入れするべきだった。

良いことをやっているなら、胸を張って集団を巻き込むべきだ。
それができないなら、”負ければ賊軍”の汚名を自ら着ることになる。


僕は死んでも”音楽で生きたい”のであって、しかもそれはオリジナリティーを全面に押し出した、”僕らの音楽”によって、だ。
既存のものに寄生して焼き増しを作り続けようなどと、さらっさら思わない。


この汚名は、必ずどこかで返上せねばなるまい。

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変身

10/6(木)。
忘れかけた天気はいつも”曇り”ということにしている。


もはや、これは日記の様相を呈しておらず、忘れかけた人生の1ページを記すほどの大きな意味を持っている訳でもない、本格的にだらだらと生きる飲んだくれ音楽家のボケ防止訓練になりつつある。

よって、ライブレポートなんかでもない。

江戸川橋という駅からが一番行きやすいと思われる、”水道カフェ”というところで、果敢にも平日の昼に梯子ノ上デでライブをした。


水道カフェは、ランチ時はカフェ営業をしており美味しいお昼ご飯が出て、夜は”酢飯屋”というイカした寿司屋になる。

僕らは、その真ん中の時間帯、普通なら営業していない仕込み時に演奏をさせてもらった。

お店のうちの半分のスペースはもともと豆腐屋だったらしく、その形状には豆腐や独特のかたちが今も残っている。

残り半分は、こういう下町にふさわしく古い民家をそのまま使ってて、襖が入っていたはずの戸口はきれいにくり抜いてはあるが、その低さは僕がほんとに小さかった頃のおばあちゃんちを思い出させた。
で、これにデールが頭をぶつけることを期待したわけである。
(結局この日、デールは華麗にそれをかわし続けた。)

幅が狭く急な階段もそのまま残してあった。

おばあちゃんちの急な階段で、僕は何度か転げ落ちた。
おそらくそのときに頭を強打したせいで、間違って音楽家になる人生を選んでしまったと思われる。
本来、もっと賢かったに違いない。

増幅されていないアコースティックの演奏が、僕は好きだ。

誤解されないように言っておくと、僕は大爆音の”かっこいい”ロックは間違いなく好きである。
が、最近とんとそんなものに巡り会わない。
その理由は簡単だ。

演奏が胸くそ悪くなるくらいに下手な奴らが多過ぎるからだろう。


だいぶ昔にさかのぼるが、六本木をふらふら歩いているときに、偶然来日中のMEGADETHのギターボーカルのデイヴ・ムステインにあったことがあって、僕は大興奮で声をかけてところ、”今からハードロックカフェでアコースティックライブをやるから見に来れば?”ということでついていったことがある。
なんと彼は、機嫌がよかったのか、僕のことを友達だとかなんだとか言って店にするすると通してくれた。

そのときの演奏は鮮明に覚えている。

MEGADETHの名曲をアコースティックギター1本で次々と歌うデイヴの声は、いつものあれではなく、ほんとに甘い声で、ギターもまるでカントリーのように表情豊かな音だった。

イメージの力が、ときに表現を拡大させ、ときに表現をものすごく狭い檻に閉じ込める。
しかし多くは檻に閉じ込められてしまうのが現代のあり方のように思う。

曲は”哲学”というフィルターを通過して、大から小へ、ジャンルからジャンルへ、本来なら容易くメタモルフォーゼ出来るはずだと、少なくとも僕は信じている。


その日の演奏の良し悪しは、そりゃ調子があるから悪いときだってあるけど、だからこそ良いときがある。

でも、哲学はそんなことのもっと前段階。
つまり”日頃”だ。


梯子ノ上デの演奏をしながら、僕は思っていた。
ここでは僕は自然でいられる、と。


もはや小利に執心する亡者どもとは一緒に演奏できない。

人にウケるなんてのは所詮小さな利益だし、そんなものは哲学にもならない。
だから、それにとらわれれば表現はメタモルフォーゼを生まず、最終的に且つ最悪的に自らの意志で自らの表現を檻に閉じ込める。


僕にとっての大義名分は、”調和”なのだ。

おのれの損得に縛られるような人間は傍には要らない。
”自分は演奏者だ”ということで高をくくる怠惰な人間もいらない。

ちいさなスペースで少ないお客さんでも、表現者の表現と、それを望むお客さんの期待が互いにフィードバックを起こしたとき、一体誰がその場の主人公たり得るのか。
そこにいるもの全てが、その”場”という生き物を形成する歯車になる。
僕らもまたメタモルフォーゼする。


そのときの時間軸に沿って動く表現と、毎日の中で形成される哲学によって生み出される、飽くまでもさりげないものがミックスされてできるもの、これこそ芸術の真価である。

最小にして、それは最大ともなる。


梯子ノ上デはまだまだ小さいながらも、核に”真価”があるとこの頃感じられるようになった。

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2011年10月 9日 (日)

happy hour

10/5(水)。

秋の天気は変わりやすいそうだ。
よく雨が降った。

午前中は出かけ先から雨に降られつつ、買ったばっかりのビョークのアルバムを聴きながら走って帰ってきて、昼にはスタジオにこもって10/14の大舞台で演奏する曲のおさらいをしていた。

夕方18時。
学芸大学にある、隠れ家的な素晴らしいスタジオに、深山健太郎さんを中心に僕らは集まった。
シンガーのmyuさんの曲が2曲、チックコリアのスペイン、それから、なんといってもゴダイゴの浅野さんと一緒に演奏するビューティフルネーム!


役者の柴俊夫さんのこどものためのチャリティーコンサートとビューティーフルネームは奇跡の組み合わせだろう。

僕がおそらく一番若いということもあって、なにげに緊張するリハーサルだった。
今回はダブルドラムで、カワサキヒロさんが軸になるビートを務めてくれているから、どう絡んでいくかが僕の課題。


メンバー一人一人のグルーヴをよく把握して、効果的に音を入れる楽しさと難しさ。
邪魔することは当然御法度で、意志のない音も許されない。

抑制が利いていて、かつ主張ある音が要求される。
グルーヴのねじれを生かしたエフェクティヴな演奏はとても楽しいものだった。


ダブルドラムならではのソロトレードはヒロさんのカッチョいいソロにやられっぱなし。
やっぱり経験の差ということを痛感、、、。
自分らしさというものをどこでも発揮できるように、もっと精進しなければいかんなと思う次第だった。


リハーサル後は、毎度おなじみのメンバーでオステリアジャポネーゼで食事となったわけだが、行ってみると、先に柴さんが来られてて、場はいい具合に盛り上がっていた。


柴さん、ほんとに気さくな方で、あれやこれやと面白い話を僕に振ってくれる。
僕はもぐもぐと美味しいカルボナーラを食べながら、今度は柴さんにやられっぱなしで、ご飯を食べてるのだか、受け答えに一生懸命なのか。

完全にみんなのイカしたパパと化した、そんな柴さんだった。


このレストランで繋がった縁が、大きな場所に飛び出していく。
今度の三井ホールの演奏は、僕らはこのコミュニティーみんなの代弁者だ。
たくさんのお客さんと、震災に見舞われたこどもたち、難病に苦しむこどもたちに向けて巨大なパワーを注ぐ。


人がいて、そのときその場の全員で巨大な力を作り出すとき、音楽は真の姿を見せる。

このメンバーが揃ったことは偶然ではなく、運命なんだろう。


とても幸せなこと。

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2011年10月 6日 (木)

時限爆弾

10/2(日)。

前後する日記が多くなってしまった理由は、単に思考を熟成させてるだけであって、決して、間違っても、怠慢などではない。

むしろ日記はできるだけ毎日付けておきたいぐらいで、今日何々があってどう思ったこう思った等々、意外と書き留めておくとしっかり生活してることが分かって、なんというか、こう、”あ、意外と頑張ってるじゃん”的な解釈がとれないでもない。


そんな10/2の夜は、サックスの東金城こと、きんちゃん(逆か?)のイベントにmaikotobrancoで参加することになっていた。
もう1年ぶりぐらいになるだろうか、久しぶりに彼に会い、また彼のバンドメンバーのとよちゃんに会い、たいばんであるバンドのメンバーなど懐かしい面々にあった。


きんちゃんのイベントは、音楽のジャンルを超えたところで集まるというコンセプトがその根底にあるようだ。
彼のリーダーバンドは僕の聴きなじみのあるコンテンポラリーなジャズのサウンドで、たいばんの三谷さおりちゃんのバンドはブラジリアンテイストなポップチューンによって構成されたパフォーマンスを見せてくれた。


maikotobrancoはご存知の人も多いと思うが、もともと爆音バンドだ。


音量の差というものは、音楽性云々を一足飛びに飛び越えて共存を許さなくする最大の問題点なのだが、今回のイベントに参加できるほどにその問題をクリアできてきたのは、経験によるものか、それとも年齢なのか。

少なくとも”うるさい”という感覚に関していうと、”その場にそぐわない”という意味がその構成要素の90%であると思われるから、そういう意味ではそこで演奏を許された僕らの演奏はうるさくはなかった、はずだ。

懐かしい仲間にあったときに必ず思い出すのは、音大入学時のこと。
ただの音楽好きだったはずが、自分でもっといろいろ作りたい、知りたいっていう欲と、このままつまらないものばかりに囲まれて生きていきたくないという、なかば意地のようなものを自覚しての入学だった。


僕は音大に入る前に、maikotobrancoを一度辞めている。
当時の僕ではそのときその場にあった演奏をできないと判断したからだが、音大を訳あって中退する頃、再度このバンドに加わった。
それからは随分と長い間活動をともにしてきた。

cubic starをはじめ、様々なグループでともに音楽の研究をしてきた鍵盤奏者の毛利くんも、このmaikotobrancoに招き入れた。


ポピュラーミュージックが世に広まってからというもの、特に今でこそ一般的になったバンドスタイルによる創作は、そのグループに核となる作曲者がいて、それをまとめあげる編曲者を核の周りに配置することによってうまく機能することが多い。

もちろん万能型の創造者が一人いるにこしたことはないが、クラシックのオーケストラと違い、少人数のチームプレイであって、もろに個性が反映されもするから、あまりにもワンマンでない方が色の混じり方がカラフルで面白いようだ。


視点の違いはときに大きな衝突を招くが、もしも融合を果たせたなら、それは唯一無二のものに生まれ変わる。

日本は島国だ。
陸続きでありながら異文化がすぐ隣に存在する他の多くの諸国とは随分様子が違う。

異文化が隣り合う場合、常に比較対象が傍にあるということであり、本来上下関係のないはずの”文化”にさえ優劣がつく。
強い方が弱い方を取り込むというかたちだが、時に弱い方は強い方を毒に侵す術を隠し持っていたりする。
ヨーロッパやアメリカ、アジアでもそうだが、その独特の文化が出所不明の異形を持っているのもそのためだろうし、今もなお突然変異を生むのもそのためだろう。

常に”決断”に迫られているということだ。


リーダーのこうどうさんと長年一緒に演奏してきたベースのげんたの、彼ら二人にとって、僕と毛利くんは違う文化を持った異国人ということになるかもしれない。

曲というものを中心において、全く違った角度から分析して、再構築していく。
常に、何を持ってよしとするかの決断を促される。
だからこそのオリジナリティーがmaikotobrancoにはあるのだろう。


僕は絶対に分かりやすく人に説明なんてしたくないし、そんなものは作りたくないと思っているが、ポップな感覚を持つ他のメンバー3人がいることで僕自体も歯車として表現の中に組み込まれ機能する。

4人はいわゆる”音楽ヲタ”というところで一致し、チンピラのごとき演奏をしているわけだ。
が、不思議な調和を生んでいる。


必ずしも同じ立場に立つことが調和を生むわけではなく、見方が違うからこその調和というものもある。

その点に関して、この日のイベントに僕らのバンドはぴったりと当てはまっていたようだ。


僕は”結局音大で何をしていたのか”と聞かれたら、”人でなしになるためには、どうやって自分を強くすればいいのですか”というような論旨のめちゃくちゃな架空の学問を一人黙々とやっていたと答えるだろう。

出来上がった表現は別に誰にも伝わらなくてもいいが、誰かに伝わるものになってしまうという矛盾を楽しみながら、大部分イライラで、ほんのちょっとにやにやとしながら、こうして活動を続けている。


人生は時限式の”無駄”だ。
爆弾じゃない。
こんなふうに頭の悪い連中が集まって歯車が廻り出すと、そのとたんに爆弾になる。

そんなものだ。

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神無月

10/6(木)。

寒さにやられている。
でもきっと、もともと10月ってのはこれぐらいの寒さだったんじゃないか。
最近はとにかく気温が上がって、極地の氷も溶けるぐらいだから、こういうちゃんとした寒さの中に日本の四季をしっかり感じたい。

ご存知かと思うが、神無月、つまり10月。
むかーしむかしの”大国主と国譲り”という古事記記載の国取り物語にまつわることから命名されたのだそうだが、出雲や諏訪大社の方では逆に”神在月”ともいわれる。


今では通説、”10月には出雲に神様が集まるから、他のとこには神様がいなくなる”から神無月といわれているが、ほんとのところそうではないようだ。

このへんのことは非常に面白い話がたくさんの本になっているので、興味ある方は、今まさに読書の秋、読んでみるといいかもしれない。

身近な読本として、大国主に関しては”機動戦士ガンダム THE ORIGIN”の漫画家、安彦良和氏の著作”ナムジ”で、国譲りに関しては京極夏彦氏の著作”狂骨の夢”で、そのことが読みやすくて結構よく分かる。


さて、、、。
もう、追いつかないのが常になっているけれども、僕の10月の予定。
とっくに終わってしまったものまであるが、演奏屋のレイドバック気味なグルーヴというくそダサい発言をして、自分的にがっかりしてみようと思う。

お薦めなんて無粋な言い方はしない。
なぜなら、僕は”嫌いなことをやらない”と決めたからだ。

従って、どれもおすすめっっ!!
はい、10月っっ!


10/2(日)
maikotobranco
"Talkin'Talkin!! Vol.2"@下北沢 Colored Jam

Charge1500(+1Drink)
Open 19:00~
Start 19:30~

maikotobranco
三谷バンド
Talkin'Jazz Quintet

10/6(木)
梯子ノ上デ@江戸川橋 水道カフェ(酢飯屋)
15時~17時半
投げ銭

10/8(土)
maikotobranco
"small finger records night"@下北沢 Cafe PIGA

Charge1500(+1Drink)
Open 19:00~
Start 19:30~

maikotobranco
Honeydew
小川晃一

10/10(月祝)
梯子ノ上デ
@池袋 鈴ん小屋

10/14(金)
深山健太郎 with friends
feat. 浅野 孝已(from ゴダイゴ)

柴俊夫さん主催"子供のための柴基金 チャリティーコンサート"
@日本橋 三井ホール
http://www.shiba-kodomokikin.com/


10/15(土)
石田みどりジャズセッション
@赤坂マヌエラ


10/23(日)
深山健太郎 jazz trio
@学芸大学Osteria Giapponese(オステリア ジャポネーゼ)

10/26(水)
小川晃一 × よしじまともひと
@下北沢カラードジャム

10/29(土)
やちよに
@茨城 古河 オチャノバ

10/30(日)
cubic star minimal orchestra
@茨城 古河 spider

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2011年10月 3日 (月)

shell

9/25(日)。

10月に入ったのにも関わらず、まだ9月のことを記そうとしている。
来年のことを言うと鬼が笑うというが、過去のことをいってもミジンコすら笑わない。


秋らしい一日。
この日のお昼はリハーサルが一本。
体調は連日の疲れで下降気味。


メインは、毎月恒例の、学大イタリアン、オステリア・ジャポネーゼでの演奏。
去年末から深山健太郎さんのトリオの一員としてここで演奏させてもらっている。


料理が一級品であるからたくさんの常連さんがいて、たくさんの人にここで出会えた。

三十路に入ってようやく卵の殻から孵った感じの僕がこの輪の中に入ると、あまりにみんなが素敵な大人で、やっぱり殻付きのカリメロであることを痛感する。


自分自身の意志、表現をプロテクトするために、僕は必死で自分を磨き上げようと努力してきた。
あくまでも”自分のため”だと思ってきた。


ここで演奏し始めてから数ヶ月で、僕は自分の中に誰かのために己を磨こうという思いがあることを自覚した。

ごく自然に受け入れらて、あたたかさと心地よさをこの場所に感じたことに起因するのだと思う。


創作活動というものは戦いの場所であって、必死にもがいて苦しんでその中から狂気の結晶を生み出すことを理想としてきた人間が、よもやこんなあたたかい場所にいることを許されるとは思いもよらなかった。

そんな肩肘張った考えさえ、ここではあたたかく包み込んでくれる。

僕はいつか、そんな自分の殻を脱いで、こういう人たちのようになれるだろうか。
誰かのためにという思いは、もっと自分の本当の気持ちとして、手で触れられるくらいのリアリティーになるだろうか。


でも、いつかきっと、とか思ってみたりする。

オステリアの夜中のビールが染みた。

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