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2011年9月12日 (月)

起死回生

9/12(月)。

宗教上の様々な考え方があるから一概にそうとは言えないけれども、”死”は、死んでいくものにとっては未知の世界への入り口で、それは時として闇や無に例えられる。

今を生きるものにとっては、”死”は一つの事象で、もちろん亡くなったものはもう戻りはしないけれど、それは個というものの存在の消失で、それとは別の何かがとって替わることが多くある。

僕は、ひっさびさに頭に来た。
日頃、あんまり政治のことに関して思うことなどないし、あったとしてもすぐに忘れてしまうが、、、。


”死の町”発言に関してだ。
これにはさすがに腹が立った。

誤解してもらっては困る。
政治家のおっちゃんに対して腹が立ったのではない。


マスコミだ、マスコミに対して猛烈に腹が立った。
四角いハコのなかに送り込む電波に、脆弱な正義でも詰め込んだつもりか?


言葉には必ず、”行間”と”言霊”がある。
日本の美しい考え方だ。

古来日本人は短く切り取られた言葉を愛し、そこにたくさんの思いを込め、理解を深め合った。
僕は、それは今の日本人にも、もうDNAのように潜在していると思う。


”死の町”という言葉は撤回され、よくわからない謝罪がされた。
おっちゃんはすんませんと謝ったわけだ。

が、はたして、それは嘘の発言だったか?
答えは否だ。

間違いなくこのままでは、人が住めないのだ。
その現実を、その場からは慣れたところで暮らす人たちはもう忘れてるんじゃないのか。

行間も読まずに、四角い小さな場所だけで発言を許された奴らがたった一部を抜き出して、揚げ足取りに人を叩いて、それでどうなるというのだ。

真実を伝えるんじゃないのか?
報道人のプライドはどうした?
なんでみんなで同じことを言う?

で、とどめとばかりに被災地で今も大変な生活をしてる人の悲しみややり場のない怒りを煽るようにくだらないインタビューをとりに行くのか。

絶対に、そういう意味で政治家のおっさんは発言したんじゃないって、インタビューで答えた人がいるはずだ。


悪意を煽って、協力を破壊して何になる。
力を合わせるはずのこの時期に、なぜ悪意を引き戻すのか。


選ばれた人しか戦えないのだ。
自分が正義だと言い張っても、一人では戦えない。

僕らができることは選ばれた人の支援をすることだ。
協力ができれば世の中は少しずつだけど、絶対変わる。

善意は伝播するはずだ。

再び立ち直りたい、立ち上がりたい。
それを全力で後押しすればいいのだ。


莫迦が切り取ったワンシーンを信じるんじゃなくて、ちゃんと人を信じてはくれないだろうか。
救えるのは、今を生きる人しかいないのだ。


死は、生きているものにとっては一つの事象だといった。
事象は日々変化する。
諸行無常であるが故に、だ。


死は転じて生となる。

僕ら生きているものにとって、死は終わりではない。
再生されるまえの、一つの状態に過ぎない。

どうか、被災地の方々も、そうではないところに住む方々も、悪意で胸を一杯にしないでほしい。
もっと人を信じてはくれないだろうか。

情報に振り回されてはいけない。

今こそ再生をかけて立ち上がるときだ。
争ったり、引きずり落としたりするときじゃない。

必ず協力できるはずだ。

手がつなげれば、その温かみで、きっと憤怒も忘れ去れる。

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