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2011年8月14日 (日)

真円

8/13(土)。
暑い日が続く。
天気予報では気温は40度弱だが、外に出してある気温計は50度を振り切っていた。
お盆といえども特に休みはなく、僕の方が仏様になってしまいそうだ。


池袋の鈴ん小屋というハコで、梯子ノ上デの演奏だった。
ギターのタカスギさんの後任が、cubic starでも一緒に演奏しているタクボンに決まって、初めての4人編成でのライブだった。


初めて4人でサウンドチェックをしたのだけど、エレクトリックなサウンドを一切使わない、完全なアコースティックセットに移行した梯子ノ上デは、独特のオーガニック感を宿したように感じた。

そんなサウンドチェックを終える頃、客席から声をかけられた。
オルタビンゴのパーカッショニスト、デュークだった。
2年ぶりぐらいだろうか。
明るい声と、キレのあるもみあげが、僕の心を躍らせた。

今夜はいい夜になる、と。


タクボンは独りお出かけにでたので、残りのメンバーでカレーを食べにいった。


デールはご飯屋さんにも自作の単語カードを持ち歩いていて、日本語の勉強をしていた。
彼にとっては何気ないことかもしれないけど、そういうことが彼の作家性を磨きあげているのかもしれない。

一緒に演奏するようになって丸々2年が経ったが、彼に対する最初のイメージは”神経質”だった。
演奏前や後にはその日の演奏のことをとても気にする、あまりにもナイーブなイメージがあった。


が、デールはここ数ヶ月、大きく変わったように思う。
その大きな要因は”自信”ではないだろうか。


僕らパフォーマーは時間に則った表現をしている以上、出してしまったミスを撤回することなどできないというリスクを背負っている。
それと同時に、決められたことを決められたまま完璧にこなしたとしても、それが最良に繋がらないという理不尽にも晒される。

一体どうすればパフォーマンスはその高みに行き着くことができるのかと考えたとき、その鍵になるのは自信しかないのだ。

”ちょっといい感じのことやってます”ぐらいには、僕はもう飽きた。
媚を売ることも、世に言う”わかりやすい”という誤解まみれの疑似創作活動にははなから興味がない。


限りなく考え続け、無理解や無反応に怯えて、それでも自分を信じて感覚を鍛え上げ、技を磨き、なんとかして葛藤や嫉妬や孤独といった負の感情に打ち勝とうと歩を前に進める。


僕にはそうならなければいけないという義務はどこにもなかった。
きっとデールもそう。


苦しい道を歩まないといけないという義務はないのに、僕らはそれを選んだ。
無意識の存在証明アピールなのかもしれない。

外界の強い力に精神を削られながらも必死で磨き上げた己の表現は、何万年もかけてできた美しい鍾乳洞のように、あるいは砂漠にできた風紋のように、普遍のポップネスをその身に宿すはずだ。


この夜の、梯子ノ上デの演奏は、初めて僕らを見た人たちをその世界に飲み込んだ。
ステージの上ってのは、それが一番分かる場所だ。
間違いはない。


僕は、デールのあんなに嬉しそうな顔を初めて見た。


作家同士の対話ほど、刺激的なことはない。
僕はデールの世界にいた。
デールの世界は僕という歯車によって廻っている。

双方の、あるいはそこに存在するプレイヤーの力が完全に平等になった時、奇跡のバランスができる。
100%に満たないのは論外だ。
でも100%を越えてはいけない。

真円を描くように手を取り合うことが必要だ。


デールの笑顔が僕にとっては最高のご褒美だった。

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