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2011年8月19日 (金)

one world for all of us

8/16(火)。
暑さは最高潮。
お盆も最終日を迎え、ぶり返してくる忙しさが外から感じられた。


cubic starはこの日、2度目の対事務所バトルの日だった。
7月から9月までの、いわゆる3ヶ月連続のトライアル期間だ。

僕らは、パフォーマンスの能力やお客さんに対するアピール力などを試されるわけで、つまり、それは”セルフプロデュース”能力を問われているということになる。

cubic starのメンバーはほとんどが業界で演奏やパフォーマンスを経験してるし、今も継続してそれをおこなっている腕利きの集団だ。
パフォーマンス能力はもはや20代のレベルでは推し量れない。

が、しかし、セルフプロデュースができるかということになると、如何せんそれは非常に難しい。


僕が音楽をやっていくにあたって、これは今もそうだが、やっぱりその歴史を勉強する。
先人たちは一体どうやって苦しい創作環境のなかで、最後まで創造的であったか、ということだ。

音楽家が”自立”したとい歴史は、はっきりいって未だかつてない。
常にスポンサーによって成り立ち、そのために純血は失われ、その表現は大衆然としたものと化す。


僕はそれが、大嫌いだ。
憎しみに近い感情を抱く。


多くの受け手は”知らないものは欲さない”という姿勢にあって、真の作家はつねに”まだ誰も経験したことないもの”を作り出そうとする。

このギャップは双方を苦しめる。
受け手は芸術をエンターテインメントだと誤解する。
作家は孤独の崖っぷちに追いやられる。


他にどんな意見があってもかまわないし、いくら批判されようが、謗られようがかまわないが、僕は絶対に”難しいものは難しく、それは簡単にはならない”という考えは曲げない。

奇跡のバランスを持つポップネスは、長い間、幾重にも重なる岩盤に磨き上げられた水のように、複雑に複雑を重ね、緻密に緻密に織り込まれて湧き出る水と同じだ。


それを、分かったかのようにバラバラにして部分だけを切って売ったり、分かりやすいものをだとかなんだとか言って、安い作りのものをわざわざ金をかけて作る。
完全に冒涜だ。

芸術家とて人間だ。
生活に困ったらその考えにすがりたくなる。
人に認められれば少しでも生活が楽になると、淡い幻想の魔に取り憑かれるもする。

そうやって欲望が欲望をぶくぶくと膨らました結果が今、だ。


芸術家は知らない。
市場は飽食状態で、あふれたものはゴミ扱いだということを。
新しく揚げられた魚は奇形判断で、市場に運ばれる前に港で捨てられるということを。

古くからのなじみの味は消費に消費を重ね、最早絶滅寸前だ。


物事があまりにもバラ売りされた結果、人は小事にしか目を向けなくなった。
極地の氷が溶けるように、大事が人の目に映らないところで起きていることにはおかまいなしだ。


僕は、cubic starを自立できる集団にしたいと、そう事務所側に言った。
それは、すなわち、全てを巻き込む吸引力を持った集団という意味だ。

最初はお客さんだった人を、創作に目覚めさせて、グループに加えたい。
例えばそういうこと。

その日、僕は嬉しかった。
もともとお客さんだった子が照明を担当してくれたこと。
さらに、演奏後、cubic starのために自分たちにできることはないかと、たくさんのお客さんが言ってくれたこと。

人がこのグループの周りに集まりだしたことが実感できたのだ。

もしも芸術ビジネスが真に自立したものになる時が来るとすれば、そのモデルは”シェア”だと、僕はそう思っている。

関わる人全員が作家だ。
人に軽々しく自己表現をゆだねない、そんな強靭な精神をもつ作家の集団。


僕らは決して世捨て人ではいけない。
現状を知り、真っ向から勝負をかけなければいけない。


ほんとのコミュニケーションを手に入れたいのだ。
一が全になるようにだ。
全が一になるようにだ。

少しずつ、そんなグループに育ってきているのかもしれないと、そう思った。


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