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2011年8月

2011年8月27日 (土)

spirit runs

8/25(木)
雨は降ったりやんだり。
久しぶりの暑い日だ。


2週間ぶりに柳田さんと二人でリハーサルをした。

リハーサル自体はさくさくと終えて、そのあとにたっぷり2時間ほどおしゃべりをしていた。
”芸術家の覚悟”の話だ。


苦しさや不安があるのを知っていて、僕らの足下をすくう奴らがいるという話。
糞みたいな事を、チープなプライドで”仕事”という、誇りを捨てた芸術家がいるということ。


ありがとうを言うときは、ありがたいとほんとに心から思うときだ。
感謝の気持ちにまで偽りは必要ない。


それは覚悟だ。
多くの人に誤解され、嫌われることもあるだろう。

ただ、本心でものを言えば、きっとほんとの理解が得られる。


僕は、新しいバランスを作りたい。
○○に似てるだとか、○○みたいなものは、僕にとっては無しだ。

自分の言葉で、解釈で、ものを作り出したい。
もちろんそのためには、飲み込めるだけの多くの先人たちのアイディアを噛み砕いて飲み込まなければいけない。
当然そこには最大級の敬意がある。


そんな話だった。


8/26(金)。
新宿で豪雨に会う。
雷の大きな音でとっさに耳を塞ぐと、隣のおねえさんにくすと笑われた。

live 8のことを、maikotobrancoのこうどうさんに習うべく、小平に行った。

生楽器の修練は、僕がパフォーマーである以上、当然の日課だが、作家としての僕はやっぱり新しい編集方法を学びたいし取り入れたい。

もちろん専門の人とともに録音物の編集作業もしていきたいが、やっぱり最終的には人に頼らず、自分の手で最後まで音楽を作り上げたい。


こうどうさんとのソフト研究は楽しかった。
僕の頭にあるアイディアは、live 8を使うことでおそらく実現可能になる。

マシンが先ではない。
あくまでも、人の哲学とアイディアがあっての、マシンの力だ。
僕のアイディアは無限大のはずだ。

今のところ。

8/27(土)。
曇り。
若干涼しい。

数日前からの悩み事があって、朝から松本せんせにメール。
すぐに返信を返していただいて、頭のもじゃもじゃは少し楽になった。


ビッグバンドのためのアレンジを、僕は勉強したことがない。
もちろん10本の指で足りるならピアノでも弾いてサウンドを聴けば、それが好みかどうか、思惑通りかどうかはすぐに判断はつくが、如何せん、学も技量ない僕が、僕の思い通りの演奏をピアノで弾けるわけもなく、そうなってくると果たして自分の考えた物がいいものかどうか分からなくなる。

それは悩みだった。

そこで、あることを訊くために松本せんせにメールしたわけである。
それによって何を決めたかは後ほど。

塾の講習会を終えて、少しリフレッシュしたいと思い、学大のイタリアンレストラン、オステリア・ジャポネーゼで昼食。

野菜たっぷりのパスタを食べた。
ここの野菜はとにかくうまい。

昨日に引き続き、live 8のインターフェイスを用いた録音法をこうどうさんに習った。
これで一通り、録音の準備が整った。


リハーサルを終えたあと、こうどうさんと長話。
また、覚悟の話だ。

僕は嫌いのことを、”嫌いだ”とはっきり言う。
世間一般的なルールとは違う、僕のみのルールだ。
野暮な世辞など、もう言うのは止めた。

嫌いなことや嫌いなものに対して、はっきり言うことこそ、礼儀ではないかと思う。
僕はそういう人間だと自分から言っていくべきだと思っている。

好きなものは、ほんとに数えきれないほどある。
が、許せないことやものはそうそうなくて、逆にそれがはっきりしているからこそ、そうはならない。

あとは先をしっかり見据えて、精進するだけだ。


一緒に演奏する人がアイディアたくさんで、自信に満ちあふれた”作家”であってほしいと、僕は常に思っている。
たくさんのことをそこから学べるし、お互いにクリエイティヴでいられる。


毎日毎日、いつもいつも音楽のことを考えていたい。
もっと音楽を深くやりたいと、そう思う。
体がきしむくらい、精一杯に。

その一方で、僕は社会に生きる人間として常識人でもありたい。
例えば歴史を勉強したり、今、世の中がどうなっているかを知っておきたい。

この世界に対して、自分が何を思い何を言うべきかが、それこそ作家としてものを作り出すことの真の意味ではないか。


己の意見というわけだから、世界と無関係であってはいけない。


僕の出した小さな提案が、そのときはただの小さな波紋でも、いつか誰かに届くと信じている。
あるいは僕が何かを作り出すに至った原因は、誰かが遠い昔に起こした波紋にあるのかもしれない。


水の中で生成された音は、消えることはないそうだ。
知の巨人にして語り部のザトウクジラは、何代にも渡ってその音を子々孫々にまで、そのソングで太古の情報を伝えるという。


発するために生まれたのだ。
受けとるために生まれたのだ。

ヒーローになるために、スターになるために生まれたんじゃない。

僕は言葉を発するのだ。
この体全部を使って。

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2011年8月25日 (木)

fun run

8/21(日)。
朝から雨だ。


近所の、行きつけのカフェ、FUNRUNが4周年を迎えた。


4年前、僕がこの世田谷に越してきてちょうど一階の防音室に工事が入った頃、FUNRUNも建物を工事中だった。

うちのスタジオと同じくらいにそのお店も出来上がったから、一緒に4年間を過ごしてきたことになる。

気分のいいときもそこでよくご飯を食べ、落ち込んだときも創作が進まないときもそこでコーヒーを飲んだ。
夜の仕事が過密で偏りがちな食生活も、FUNRUNに行けばいつも野菜たっぷりのお任せプレートを山盛りならぬ、”アルプス盛り”で出してくれた。


そんなお店の4周年のイベントに、是非演奏してほしいと、主の越後さんから依頼を受けた。
とても嬉しいお誘いだ。

自分プロジェクトで、最近コツコツとアイディアをためているエレクトロニクスデュオの”やちよに”をバンド形態にして演奏した。

演奏もろくなもんじゃなかったが、パソコン弩音痴だった僕がエレクトロニカをやろうと思ったのもここ数年のことで、作家として独り立ちもしなきゃならないと思ってはじめた創作活動に、これまた自立をもくろむパーカッショニストの松本ちはやが歌で参加して、デュオのかたちになったのが”やちよに”というのは以前に述べた。

ある意味、自分の成長の新しい一つのかたちであるこのデュオのバンド編成で、FUNRUNの4周年にでられたことはとても意味あることだ。


越後さんは、4周年祭を楽しむ暇すらないくらい、たくさんのお客さんの対応に追われていたが、それこそまさに活動の成果だと言える。

4年の間に、迷いや辛いことを秘めてこのお店でコーヒーを飲むときに、越後さんは何とはなしに彼の人生をいろいろ話してくれた。
それは僕をどれほど勇気づけてくれたか。
バランスのいい食事は、体の弱い僕をどれほど支えてくれたか。


僕は、恩返しができただろうか。
ちはやんともーりーと啓ちゃんと、いいメンバーで演奏できたこともあって1000分1ぐらいは何か返せたような気もする。


その演奏を仲間が見に来てくれた。
年齢に幅がある。

そういう人たちが世代の壁を超えてコミュニケーションをしているのを見ると、”ああ、これが僕が4年間でやってきた活動の成果か”と胸が熱くなった。


おいしい料理が文化や世代を超えて人を喜ばせるのと同様に、いい音楽もそうであってほしい。


お祝いのあとは、集まった仲間で花火をした。

大人になると家族だのなんだので友達同士で集まりにくくなるものだが、この歳になってもこういうことができるのが嬉しい。


道理で、落ち着きのない人生になってるわけだ。
苦しい生活でも、結局僕はこういうのが心底好きなようだ。

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2011年8月20日 (土)

return to innocence

8/17(水)。
相変わらず暑い日だ。


この日は柳田さんとのデュオでの演奏の日。

連日の演奏と仕事の疲れは頂点に達していた。
入っていたリハーサルをやむなくキャンセルしてもらい、塾から帰ってきて入り時間まで休むことにした。

妹からメールが来ていた。
”今日は何の日だか覚えているかい?”

ももももも、もちろん。
おおおおお、おぼえているとも。
母上の誕生日だ。

柳田さんとサウンドチェックを終えたあとに、母上に電話した。
派手好きの僕とは逆に、上品な母だから、いっそ老化防止のためにド派手な服でも送ろうと思う。


池ノ上ルイナは8月いっぱいで店をたたむことになった。

ボブテイル時代からお世話になって約5年間。
先代の羽場さんは僕のことを天才坊やと呼んで、演奏する場所をなかなか見つけきれなかったthatに大きなチャンスをくれた。

ルイナのマスターのけんさんは、僕と才能あるアーティストを結びつけてくれた。
デールもここで出会った。
柳田さんもその一人だ。

柳田さんの音楽に対する強い思いに、僕は魅かれた。
僕のやったことのないスタイルのオリジナリティーはものすごく刺激的で、僕に新しい一面を加えてくれた。

彼も詞を書くが、多くは作詞家と組んで創作をしている。
そこも彼の魅力の一つ。

共同でものを作るということは、真に意味をなせば、その可能性を倍加させる。
それができるつながりというのは、今はそんなに多くないように思う。

かつて山田耕筰と北原白秋が組んだように、美しい文化を二人の作家が他領域からまとめあげるという面白みが今の音楽には紛うことなく欠けている。


不思議な出会いだった。
ちょうど僕はある時期、日本の歌ばかりを勉強していて、そのときに柳田さんと出会った。

彼は僕の知りたいことをたくさん知っていて、惜しげもなく僕にそれを話してくれた。
洋楽で育った僕は、日本人であるくせに日本の歌をあまりにも知らないことを恥じた。

ただ、日本の歌が僕は好きだった。
柳田さんは、”それなら僕と一緒に演奏しなきゃ”と声をかけてくれたわけだ。


その日から1年、ようやく一緒に演奏する機会ができて、彼の日本の歌に対する造詣に改めて心うたれた。
なにせ、発する言葉が美しい。
作詞家の黒木ハチさん、小林実さん、そして柳田さん本人の日本語詞の美しさは、僕の音楽感を大きく変えた。

メロディーと歌に対する思いが一層強くなったのは、間違いなく柳田さんとの出会いがあったからだと思う。


僕らはよく、リハーサルのあとに言葉についての話をする。
ポップスによくある、切れ切れになった語感は、言葉の死を意味するものだと。
誰もが口にできるような常套句を表現者が口にするのは、芸術家が思考を停止させている証だと。


音楽が、いつから”音を楽しむ”とかいう馬鹿な意味にすり替わったのかは知らない。

音楽の音は”人の声”で、楽は”器楽”を意味し、それは神の声の代弁だった。
音楽と言えば、人の言葉と神の言葉とが渾然一体となったものを表すはずだった。

いつからか言葉は意味を失い音に飲み込まれて、音は美しさを失った。


僕はいつも、音楽をもとあった場所に返したいと思っている。

僕にとって、柳田さんは、その答えの一つを持っている人だ。


”柳田ナイト”と銘打たれて2年半、彼はワンマンライブを池ノ上ルイナで続けてきた。
僕が加わったのは最後の半年。

これがルイナでの、最後の演奏だった。
彼が2年半で出会ってきた人たちが、この日、たくさん見に来てくれた。
席はあっという間に埋まった。


みんな、柳田さんの曲の、音楽の話をしている。
彼の音楽は、人に思考することを与えたのだ。
それが何なのかを議論するきっかけとなっている。

芸術が元あった場所に帰っているのを実感した。

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2011年8月19日 (金)

one world for all of us

8/16(火)。
暑さは最高潮。
お盆も最終日を迎え、ぶり返してくる忙しさが外から感じられた。


cubic starはこの日、2度目の対事務所バトルの日だった。
7月から9月までの、いわゆる3ヶ月連続のトライアル期間だ。

僕らは、パフォーマンスの能力やお客さんに対するアピール力などを試されるわけで、つまり、それは”セルフプロデュース”能力を問われているということになる。

cubic starのメンバーはほとんどが業界で演奏やパフォーマンスを経験してるし、今も継続してそれをおこなっている腕利きの集団だ。
パフォーマンス能力はもはや20代のレベルでは推し量れない。

が、しかし、セルフプロデュースができるかということになると、如何せんそれは非常に難しい。


僕が音楽をやっていくにあたって、これは今もそうだが、やっぱりその歴史を勉強する。
先人たちは一体どうやって苦しい創作環境のなかで、最後まで創造的であったか、ということだ。

音楽家が”自立”したとい歴史は、はっきりいって未だかつてない。
常にスポンサーによって成り立ち、そのために純血は失われ、その表現は大衆然としたものと化す。


僕はそれが、大嫌いだ。
憎しみに近い感情を抱く。


多くの受け手は”知らないものは欲さない”という姿勢にあって、真の作家はつねに”まだ誰も経験したことないもの”を作り出そうとする。

このギャップは双方を苦しめる。
受け手は芸術をエンターテインメントだと誤解する。
作家は孤独の崖っぷちに追いやられる。


他にどんな意見があってもかまわないし、いくら批判されようが、謗られようがかまわないが、僕は絶対に”難しいものは難しく、それは簡単にはならない”という考えは曲げない。

奇跡のバランスを持つポップネスは、長い間、幾重にも重なる岩盤に磨き上げられた水のように、複雑に複雑を重ね、緻密に緻密に織り込まれて湧き出る水と同じだ。


それを、分かったかのようにバラバラにして部分だけを切って売ったり、分かりやすいものをだとかなんだとか言って、安い作りのものをわざわざ金をかけて作る。
完全に冒涜だ。

芸術家とて人間だ。
生活に困ったらその考えにすがりたくなる。
人に認められれば少しでも生活が楽になると、淡い幻想の魔に取り憑かれるもする。

そうやって欲望が欲望をぶくぶくと膨らました結果が今、だ。


芸術家は知らない。
市場は飽食状態で、あふれたものはゴミ扱いだということを。
新しく揚げられた魚は奇形判断で、市場に運ばれる前に港で捨てられるということを。

古くからのなじみの味は消費に消費を重ね、最早絶滅寸前だ。


物事があまりにもバラ売りされた結果、人は小事にしか目を向けなくなった。
極地の氷が溶けるように、大事が人の目に映らないところで起きていることにはおかまいなしだ。


僕は、cubic starを自立できる集団にしたいと、そう事務所側に言った。
それは、すなわち、全てを巻き込む吸引力を持った集団という意味だ。

最初はお客さんだった人を、創作に目覚めさせて、グループに加えたい。
例えばそういうこと。

その日、僕は嬉しかった。
もともとお客さんだった子が照明を担当してくれたこと。
さらに、演奏後、cubic starのために自分たちにできることはないかと、たくさんのお客さんが言ってくれたこと。

人がこのグループの周りに集まりだしたことが実感できたのだ。

もしも芸術ビジネスが真に自立したものになる時が来るとすれば、そのモデルは”シェア”だと、僕はそう思っている。

関わる人全員が作家だ。
人に軽々しく自己表現をゆだねない、そんな強靭な精神をもつ作家の集団。


僕らは決して世捨て人ではいけない。
現状を知り、真っ向から勝負をかけなければいけない。


ほんとのコミュニケーションを手に入れたいのだ。
一が全になるようにだ。
全が一になるようにだ。

少しずつ、そんなグループに育ってきているのかもしれないと、そう思った。


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2011年8月14日 (日)

真円

8/13(土)。
暑い日が続く。
天気予報では気温は40度弱だが、外に出してある気温計は50度を振り切っていた。
お盆といえども特に休みはなく、僕の方が仏様になってしまいそうだ。


池袋の鈴ん小屋というハコで、梯子ノ上デの演奏だった。
ギターのタカスギさんの後任が、cubic starでも一緒に演奏しているタクボンに決まって、初めての4人編成でのライブだった。


初めて4人でサウンドチェックをしたのだけど、エレクトリックなサウンドを一切使わない、完全なアコースティックセットに移行した梯子ノ上デは、独特のオーガニック感を宿したように感じた。

そんなサウンドチェックを終える頃、客席から声をかけられた。
オルタビンゴのパーカッショニスト、デュークだった。
2年ぶりぐらいだろうか。
明るい声と、キレのあるもみあげが、僕の心を躍らせた。

今夜はいい夜になる、と。


タクボンは独りお出かけにでたので、残りのメンバーでカレーを食べにいった。


デールはご飯屋さんにも自作の単語カードを持ち歩いていて、日本語の勉強をしていた。
彼にとっては何気ないことかもしれないけど、そういうことが彼の作家性を磨きあげているのかもしれない。

一緒に演奏するようになって丸々2年が経ったが、彼に対する最初のイメージは”神経質”だった。
演奏前や後にはその日の演奏のことをとても気にする、あまりにもナイーブなイメージがあった。


が、デールはここ数ヶ月、大きく変わったように思う。
その大きな要因は”自信”ではないだろうか。


僕らパフォーマーは時間に則った表現をしている以上、出してしまったミスを撤回することなどできないというリスクを背負っている。
それと同時に、決められたことを決められたまま完璧にこなしたとしても、それが最良に繋がらないという理不尽にも晒される。

一体どうすればパフォーマンスはその高みに行き着くことができるのかと考えたとき、その鍵になるのは自信しかないのだ。

”ちょっといい感じのことやってます”ぐらいには、僕はもう飽きた。
媚を売ることも、世に言う”わかりやすい”という誤解まみれの疑似創作活動にははなから興味がない。


限りなく考え続け、無理解や無反応に怯えて、それでも自分を信じて感覚を鍛え上げ、技を磨き、なんとかして葛藤や嫉妬や孤独といった負の感情に打ち勝とうと歩を前に進める。


僕にはそうならなければいけないという義務はどこにもなかった。
きっとデールもそう。


苦しい道を歩まないといけないという義務はないのに、僕らはそれを選んだ。
無意識の存在証明アピールなのかもしれない。

外界の強い力に精神を削られながらも必死で磨き上げた己の表現は、何万年もかけてできた美しい鍾乳洞のように、あるいは砂漠にできた風紋のように、普遍のポップネスをその身に宿すはずだ。


この夜の、梯子ノ上デの演奏は、初めて僕らを見た人たちをその世界に飲み込んだ。
ステージの上ってのは、それが一番分かる場所だ。
間違いはない。


僕は、デールのあんなに嬉しそうな顔を初めて見た。


作家同士の対話ほど、刺激的なことはない。
僕はデールの世界にいた。
デールの世界は僕という歯車によって廻っている。

双方の、あるいはそこに存在するプレイヤーの力が完全に平等になった時、奇跡のバランスができる。
100%に満たないのは論外だ。
でも100%を越えてはいけない。

真円を描くように手を取り合うことが必要だ。


デールの笑顔が僕にとっては最高のご褒美だった。

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2011年8月11日 (木)

don't know where

8/7(日)。

暑い日だった。
連日の疲れを引っ張りながらのリハーサルは、容赦なく集中力を奪った。

この日の夜は、僕らのレーベル”small finger records”からの9枚目となるhoneydewの1stアルバム、”don't know where”の先行リリースパーティーだった。
場所は下北沢three。

僕はmaikotobrancoでこのお祭りに参加した。


猛烈なスコールで足下の悪くなったなか、honeydewのパーティーに、フロアを埋め尽くすほどのほんとにたくさんの人が集まった。

出演者も選りすぐりのアーティストばかりで、あまりの凄まじい熱気に僕は楽屋でちょっとお休みを余儀なくされた。

マイコトは新曲ばかりで、とても創造的な演奏をした。


honeydewとの出会いは、高円寺でおこなわれている”ナチュラルギフト”というイベントだったようだ。マイコトのリーダーであるこうどうさんが、honeydewのけいごさんとそこで会ったことがことの始まりだったらしい。


僕自身がちゃんと面識をもったのは去年の9月、外国人バーでの演奏のときだったと思う。
彼らのポップセンスに琴線メーターが振り切れた。

この人たちの音源を出したい。


こうどうさんに早速連絡を取って下さいとお願いして、交渉に入ってもらった。

で、丸一年。
こうどうさんが一生懸命プロデュースして、けいごさんも豊かな知識を生かして僕らのレーベルにいろんな協力をしてくれて、作品が完成した。


発表するときは、いつもドキドキする。
CDの売れない時代だ。
大手がとくにこれといった戦略も予測もたてられないのに、一体僕に、はたまた僕らの小さなレーベルに何ができるだろうかと考える。

それでも、僕ら作家はものを作り、それを出す。
それは僕ら芸術家の義務だ。
出来上がったレールにのるのではなく、自ら道を作り出すことからが芸術の活動だ。


その熱意は見事にhoneydewのアルバムに封入されている。

そして彼らは、間違いなくその日にアンダーグラウンドでおこなわれたどの演奏よりもすごい演奏をした。

真の創造性は受け手にも責任を課す。
考えないことや不感症を許さない。
受け手の創造性の限界を問う。

楽しみのなかに哲学が混じる。

それは決して和やかなものではなく、リラックスしたムードのなかにあるわけではない。
激しい嵐にあおられるように、全てを巻き込む大きなエネルギーを発する。

それを飲み込んだときの大きな安らぎというか、膨張した意識の快楽というか、エネルギーを自らの身体に封じ込めたあの独特の脱力感がのちに訪れる。


これは地下でおこなわれるものなのだろうか。

光が当たり、誰しもが誰かと同じでなくてもいいと自由に発想できるきっかけを与えてくれるのが、表現の可能性なのではないのか。


音楽というものの名前はすでに形骸化されている。
たしかに抜け殻に○も×もない。
が、そこに魂が宿っているかどうかは、ほんとなら本能が教えてくれるはずだ。


現代は腐臭に慣れすぎた。
生きてるか死んでるかの嗅ぎ分けができなくなろうとしている。

夏が始まる前の、強く発する緑の匂いをいやがるように、人はきっと生命力の強い匂いを嗅ぎとれなくなろうとしているのだ。


そんなことを思っているときに、honeydewに会えてよかった。
彼らの作品を世に出すことで来てほんとによかった。

彼らの表現が変化の波紋になるといいと、心から思う。
http://honeydewmusic.com/

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hand to hand

随分経ってしまった。


7/31(日)。
洗濯をした覚えがないから、あまり天気は良くなかったのだろう。
連日の演奏と塾の講習とで疲れて、半日寝て過ごした。


夜は、月例となっている学大にあるイタリアンレストラン、オステリア・ジャポネーゼでの演奏だった。

この日はお客さんが予約で埋まり、にぎやかだった。
ファーストセットではゲストのボーカルも加わっていい盛り上がりを見せた。

で、休憩の時間。


一番前の席で見ていた女の子がドラムに興味を示した。

コントラバスも珍しいと思うが、なにせ太鼓は単純な作りで、しばけば鳴る。
子どもにとってはとても魅力的なおもちゃに見えるだろう。

しかもごちゃごちゃといっぱい鳴りものがついている僕のセットは、なんだか夢のマシンのような様相。

スティックを渡していすに腰を下ろすと、すっとんすっとんと調子よくやり始めた。
興味というのは、人を驚異的に成長させるものだ。

その子はとても楽しそうに休憩時間中、とことこと太鼓を叩いていた。

セカンドセットはサックスも加わって、賑やかになった。
目の前で見ている女の子の熱い視線を浴びながら、、、。
なんだか気恥ずかしいが、小さなときの思い出はとても大切だと思うから、そんな期待に応えるために熱が入る。

親御さんからドラムのオープンソロの珍しいリクエストまでもらった。
燃える。


演奏後に、すすすっと女子が駆け寄ってきた。
弟も一緒に。

これあげると、手にしていた物を僕の手に置いた。

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小さな金魚の人形。
しかも握るとギンギンと光る。
これにはみんなで”すげーーっ”と大笑い。

お祭りかなにかでとってきたものだろうか。
僕は、周りの大笑いをよそに、心がいっぱいになった。

大人がくれる予定調和のおくりものより、その場で、その手にあるものでなんとか感動を示そうとしてくれる子どもたちの思いの自然さが好きだ。

その行為には一片の曇りもない。
その感動には嘘がない。

僕は別に、分かりやすいパフォーマンスをしたわけでもなく、どちらかというとポピュラーな演奏スタイルとはかけ離れた演奏家だ。

子どもたちはその豊かな想像力で、難しいものを補完して、あっという間に距離をち締めてしまう。
まるでテレパシーのようなコミュニケーションだ。


また見にきてくれるかな。
あの子はドラムをはじめるだろうか。

昔、塾の教え子が高校に入ってしばらくして連絡をくれた。
”先生みたいにドラムをはじめました。”

そんなふうに、意志を持った子たちが、現状を打破する力になっていってほしい。
いつか彼女らと現場をともにすることがあればいいなぁ。

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2011年8月 5日 (金)

岩にしみいる

蝉の鳴き声が例年より少ない気がする。

僕は九州出身ということもあって、日本で最もうるさい鳴き声だと評判のクマゼミの鳴き声になれているから、じーじー聞こえないのが少し寂しい。

8月の予定は以下の感じ。
おすすめが目白押しだが、とにかく、僕は人に会いたい。
演奏活動の第一の目的はいつもそこにある。

音楽は、はたまた芸術は人の人生をちょっとだけ豊かにする。
出会いは人生を変える。

僕は常にそう思っている。

ぜひ、遊びにきて下さい。


8/7(日)
maikotobranco
"honeydew 1st album リリースパーティー"
@下北沢three
17:30OPEN 18:00START
2000yen (ADV) 2500yen (DOOR)

8/13(土)
梯子ノ上デ
@池袋 鈴ん小屋
梯子は20:25〜演奏。


8/16(火)
cubic star minimal orchestra
"cubic star's three months trip!"
@田町quarter note 
http://quarter-note.com/access.html

vsメジャー戦 3ヶ月連続ライブの2回目。
出演時間 20:40~21:10

1500円(ドリンク込み)

8/17(水)
柳田健一 × よしじまともひと
”柳田night!!” @池ノ上ruina


8/21(日)
やちよに
@駒沢 cafe FUNRUN
free charge

8/28(日)
深山健太郎 jazz trio
@学芸大学Osteria Giapponese(オステリア ジャポネーゼ)

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