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2011年7月13日 (水)

100の孤独

7/13(水)。

昨日に続いて超猛暑。
節電を考えると、命が危ないのではないか。


昨夜は帰宅してから飲み直したのだけど、それが祟ったのか、それとも疲れすぎていたからなのか、とにかく頭が完全に覚醒して、眠りたいのに眠れず。

日が昇ってくるのを炭酸水を飲みながら見て、布団に入るも眠れず。

諦めて起きて、朝から業務メールのやり取りと、昨日の録音のチェックと、ブログの整理と、昨日きてくれた人にお礼メールの送信と、、、。

うとうと昼寝して、上記をさらにループ。


僕は、なにげにこのお礼メールというのが好きで、結構一日中どんなお礼の言葉を送ろうかと考える。


そのときには一人一人の顔が浮かんでいるのだけど、ファンというのは大袈裟かもしれないが、僕を好きで見に来てくれる人は最初は独りだった人が多いことに気付いた。

僕は相当な寂しがり屋だけども、寂しいと思えば思うほど一人になりたくなる。
孤独になりたくないと思いながら、それを手放せない。
そういう人間だ。

僕の作家活動を通して僕を好きになってくれる人たちも、同じ孤独をもっているような気がする。


いいたいことは山ほどあるのに、それがうまく口に出せないことがあるのは僕も多々あることで、彼らもまた同じように思う。
もしかしたら、その孤独のあり方が僕は好きなのかもしれないな。


昨夜は、そんな彼らが僕に伝えたいことを伝えようと、一生懸命話してくれた。
学の乏しい僕が、彼らの思いをどれだけ理解できたかは自分では計れない。

でも、その伝えようとしてくれる行為そのものが僕にはとてつもなく嬉しいことで、体が熱くなる思いがする。

まるで雑誌のロングインタビューのような質問の嵐も、僕は大好きだ。

”どうしてそんな音楽なのか”、”自分が感じたものが意図されたものなのか”などなど、とても興味深いし、ときには僕の思いもしなかった考えに結びつく。


芸術の作品に言葉はいらないという人もいる。
言葉がリミットを作るという人もいる。


でも、僕は、芸術には言葉がいると信じている。
カオスに歯止めをかけるのは言葉のリミットだと思っているし、抽象性に含まれる多分な誤解を軽減することも言葉が担ってると思う。

イマジネーションの可能性が無限だというならば、言葉の可能性もまた無限だとは言えないだろうか。

たとえ制限がかかるとしても、果たして僕らは死ぬまでにそのカオスのふちまでたどり着けるとは到底思えない。


100の孤独を言葉が補完していく。
それでも隙間はできる。
その隙間を音楽が、絵画が、哲学が補完していく。
ループ、ループ。


初めは独りだった人が、今はそうではなくなっている。

僕が作りたいものは”それ”。
だから、今、ようやく大作のパーツが出来上がってきたところ。

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コメント

100のピース


同じ音楽が好きな人とは、

不思議と分かりあえると感じる

どこかが繋がっている


そこが、おもろいし

新鮮な感動がある

音楽は、だからいいよね

投稿: よしえ | 2011年7月14日 (木) 03時55分

よしえさん>
そうですね。

しかも音楽はそこに参加もできる。
一緒に歌うこともできるし、手だって足だってならすことも、踊ることもできる。

絵画が知性に訴える芸術だと言った人がいましたが、音楽はやっぱり身体に訴えかけるものだったんでしょう。

録音されて永久的に残っていく今においては、音楽も知性に結びつくし、絵もまた音ともに共存するインスタレーションのように、身体性に結びつく時が来ていると思います。

人は分かり合えるかもしれないと。

投稿: よしじま | 2011年7月14日 (木) 10時53分

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