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2011年7月13日 (水)

crossing the Rubicon

7/12(火)。
快晴。

いよいよ夏本番の、連日猛暑。

お昼には、僕は田町にいた。
cubic starで演奏するためだ。

レインボーブリッジが目の前に見える埠頭。
潮の匂いがする。

ある日の突然のメールから始まった、メジャーレーベルとバトルする権利。

おそらく音楽好きの人が見れば一目瞭然だし、そうでない人でも薄々感づいているだろうけど、業界は今や死に体だ。

同じものしか生み出せない負の螺旋。
日本は確実に技術大国であるにも関わらず、作られる音のクオリティーは上がるどころか、急降下しているように思える。


メールが来たときもかなり長い間、拒み、放置していた。
メジャーという環境が創造性を開花させる環境では絶対にないと確信しているからだ。


数回メールをもらって、実際に会って話をしても、僕にはまだその世界が全くもって魅力的にはうつらなかった。

さらに丸まる2ヶ月悩みながら、その間も事務所と何度かミーティングしたが、僕の直感は変わることはない。
それは今でも。


ただ、ひとつだけ、面白いことを発見した。
今さら、ということかもしれないが、彼らは”営業屋”だといことだ。

そこからのミーティングには少しおもしろみが出た。

ものを作るのは間違いなく僕らだ。
それをいかにして売るかが彼らの仕事。

これまでに何度か業界の人と話してきたが、ほとんどの場合、”売れるものを作る”という呪縛のなかで話してきた。

営業屋はセールスが伸び悩むことをアーティストのせいにして、アーティストはアーティストで下らないものを作ってることに気付かずに、売れないことを営業屋のせいにする。

吐き気がするほど腐った関係だ。


今回の話はそうではなかった。
そこに興味を持った。
おそらく向こうさんもそうだろう。

僕らは本契約への第一歩を踏み出した。
同期の新人に混じって初めての顔合わせライブをしたのだが、一組以外はお世辞にもいいとは言えない、はっきり言ってしまえば低レベルな集団だ。

分かってはいたけれども。


簡単にいろんなものが手に入る今現在の環境は、人から”思考する”という大切な行為を奪った。

コミュニケーションは常に一方通行。
上澄みすらすくい上げられないイマジネーションは、もはやかたちをなすことなく破綻している。


人の思考こそ、芸術を高見にもっていくマスターピースなのに、それを失いつつある。
思考がなければ、その抽象性は補完されない。

きっと天国のアンディー・ウォーホルが大笑いしてるだろう。
”こいつら、きっかけを与えたのに、15分ですらヒーローを持続できない”って。


この日の演奏ははなから、”食う”ことが僕らの目的だった。

僕らは優等生ではないし、お人好しでもない。
同じように、僕らのお客さんもお人好しではない。
つまらないと判断したものは、ものの5秒で見ることを止める。

それは、僕ら自身にも課されたプレッシャーでもある。

もし、内包する哲学を音に乗せて出すことができるとしたら、もう一度、音楽は芸術として、元あった場所に帰ることができるだろう。
たとえそれがポップミュージックだとしても。


僕にとっては大きな決断だった。
メンバーのモチベーションを保ち続けることが僕の最優先の仕事でありながら、それと同時に確実に常にかっこいいものを作らなければならない重圧に見舞われる。

これに加えてビジネス的な交渉。
この交渉も、あくまでも芸術的でなくてはならない。


が、同じ場所に踏みとどまれば、僕の破滅を呼ぶ。

ルビコン河を渡る。
渡った先には世界の悲惨が待っているとカエサルは思っていたそうだ。

が、悲惨と破壊がイコールであるなら、そのあとには必ず浄化と再構築があるはずだ。

賽は投げられた訳だ。

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