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2011年7月21日 (木)

1+1の哲学。

7/20(水)
雨が断続的に降る、比較的涼しい一日。


この国の、いや、もしかしたらこの国だけではないかもしれないけど、人は難しいものをシンプルにすべく、ジャンル分けしたがり、何かと区分を好む。


仕事は細分化され、それは自分の専門外だと押し付け合うことも多々ある。
どこに原因があるとはあえて言わないが。

くだらない上に嫉妬や嘘ばかりで生きていくのにこれっぽっちも役に立たない知識を、僕もまた引きずって生きている人間ではある。

塾の講師をばりばりやっていたときは、葛藤があった。
”果たして、分かりにくいものを分かりやすくいうことが、ほんとに理解を生むのか?”

知りたいという欲望の先に、見えることが二つ。
”答え”と”さらなる迷宮”。

受験に接する際は、知りたいという欲望の先は”答え”だ。
つまり教えるときは、理論は単純明快、とにかく分かりやすくスピーディーがモットーとなる。


自分の小さい頃のことを考えると、世界はもっと複雑だった。
分からないことにあふれていて、大人に聞いてもなんだかわけ分かんないことを言う。
だから自分で考える。
で、また大人に聞く。
この繰り返しだった。
人は何も教えてくれない、それが僕の考えの原点だと思う。


今に話を戻すと、塾に通う子供たちに多くは”答えを知れればいい”という目になっている。
汚い言い方をするのをご容赦願いたいが、ともすれば、莫迦な親が”答えを聞いてこい”などと子供に命令を下す。

それ聞いてどうすんよと僕としては思うわけだけど、彼らはそれによって満足するという流れ。

分かりにくいものを分かりやすくなんて、そもそもこんな嘘ついたやつは誰なんだ?


分かりやすいものなんて何一つこの世にはない。
共通の概念や社会的通念も所詮人が作り出したもので、時代が変わって価値観が刷新されれば、見るも無惨にくだけ散る。
その結果が”理解できない”という妄想を生むのではないか。


僕らは過去をどれだけ理解しているというのか?
はたまたどれだけ未来を予見できるというのか?

多分どちらも無理だろう。
できるのは位置づけだけで、それは”ジャンル分け”に等しい。


位置を決めて安心する。
それだけだ。


が、ビジネスにおいてこの方法論は大きな成功を収めた。
芸術が、売り手の触手の動きに合わせて区分される。
学問が、学ぶという安いファッションに落とされてバラ売りされる。

それらは誇りを剥奪された。


”誰でもそういう気持ちになるよねー”
”安いねー”
”そんなのもわかんねーの?”


はっ、なめんな。
そんな気持ちにもならんし、安くても買うかよ、そんなのわかるか。
簡略化されたものに魂はない。
日焼けでむけた皮ぐらいの価値だ。


だからといって、個性的であるということが、完全な独創性というわけではない。
たった一人しか考え得ないようなアイディアは、結局コミュニケーションの力を欠くからだ。

僕は難しいものは難しいまま伝えたいと思っている。
何かを伝えるときに、それに付随するパーツをバラ売りできない。
意味が変わってしまう。

”わからない”でいい。
逆に言葉で全て語られるようなものを自分が作ったとしたら、それはそれで己の力量不足を悟るだろう。


ただ、面白いと思うのは、難しいものを難しいまま出そうとして試行錯誤すると、不思議と普遍性という最終形態を迎えることだ。
しかもその普遍性は、決して言葉で説明できるものではなく、そのまとったオーラがそれを示すのみである。

作られた普遍性ではなく、進化の先であるということだ。

20日はほぼ一日、マイコトブランコのミックスをしていたのだが、作業が大詰めを迎えたときにぼんやりと頭にそんなことが浮かんでいた。

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