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2011年6月

2011年6月30日 (木)

cheers

少しあいてしまったけど。

6/26(日)。
天気はどんよりだったように思う。


20日からの一週間はとても忙しく、ほとんどをレコーディングと編集に費やした。
部屋で黙々とパソと向き合う作業が続き、途中、ついに整体に強制収容されたが、とりあえず生き残った。


そんなことを乗り越えての日曜日。

去年末、ひょんなことで知り合ったベーシストの深山健太郎さんに誘われて、とんとんと組んでしまったmiyama kentaro jazz trioだったのだけど、そのきっかけというのが学芸大の駅を最寄りとするイタリアンレストラン、”オステリア・ジャポネーゼ”で演奏をするためだった。

念願のピアノトリオだとはいえ、僕の得意とするビート感はどちらかというとヨーロッパ系なので、ビバップを基調としたスタンダードには正直合うかなぁと思っていたけれども、健太郎さんの人柄と勢いにやられて”やらせてくださいぃっ”ときたものである。

で、去年末から月に一回、最終日曜日にトリオの演奏のお仕事を頂いたのだ。

26日のこの日、オステリア・ジャポネーゼは開店3周年を迎えた。
そんな良き日に僕も加われてほんとにハッピーだった。

たくさんの常連さんが足を運んでくれて、時間を忘れるほどの長時間演奏と、もう食べきれないというほどのおいしい料理とお酒。


3年という月日。
いろいろ大変なことがあったと思う。

ここには人が集まって、ここで出会って、また未来に道が続く。
それがこのお店の良さで、だからこそおいしい料理が生まれ続ける。

大きな期待、たゆまぬ努力。


僕はここに足を運ぶようになってまだ半年。
短い時間にも関わらず、ほんとにいろいろな生き方の人たちとあって、どの人もあたたかく接してくれる。


音楽屋というのは、やはりどこまでいってもキリギリスだ。
むしろ、そのことしか考えられない不器用なナマモノ。

僕なんかそのなかでもマキシマムに不器用なナマモノだけども、この場所では素でいろんなことを話せる。

新しいお客さんもあっという間に顔なじみになってしまうこの魅力。
料理ってのは、レストランてのはほんとはそういうものかもしれない。

まるで映画のようだ。

いい日だった。


間もなく7月に入る。
また7月も31日(日)にここで演奏。
お客さんのいい飲みっぷりを見ながらいい演奏して、さらに杯を重ねてもらうのだ。

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2011年6月25日 (土)

蟻の足音

6/21~24。


合宿状態だった。

もともとソロプロジェクトでこつこつと作り貯めていた曲を、打楽器奏者兼歌い手の松本ちはやと組んで動き出したデュオ、”やちよに”。

そのレコーディングを4日間に渡っておこなった。

まずその初日は”やちよに”のシングル用の”ant note”という曲。

Yachiyoni "ant note" by yachiyoni


thatの為に書いた曲だったが、ちょっとかわいすぎたか、お蔵入りになっていた。
その曲のリアレンジ。

歌い手のちはやんにぴったりだと思って蔵出しした。


歌詞は英語だけども、この歌詞の日本語版が、友人で詩人の静野恒一氏の詩集”マデ”に掲載されている。

”来る日も来る日も、それがどんな日になろうとも、僕らは歩き続ける宿命にある。”
”パンドラの箱を開けた僕らはもう楽園にはいられない、月の光に身を焦がして苦悩とともに生きよ”
という何とも痛烈な歌詞だが、太陽ではなく、月光を虫眼鏡で集めて蟻さんに照射するというマザーファッカーな子供時代の僕の実体験から生まれた詞。

当然、蟻さんは燃えなかったが、当時の僕の頭の中では、蟻さんは月の業火に焼かれながら、それでも歩みを止めないイメージが浮かんでいた。

ant noteはその足音の意味。

自分的にもお気に入りの1曲。


レコーディングはピアノカリンバという巨大なカリンバ、アコーディオン、ハンドソニック、鐘、今となっては下火だが、僕は大好きな楽器であるテノリオンを使った。
編集はガレージバンドのみ。

15時間かけてレコーディングとミックス終了。

さて、翌日、6/22。
千葉は習志野。

レコーディング機材を持って泊まり込み。

この日は、以前から依頼をもらっていた小学生打楽器アンサンブルコンクールの曲のデモ録り。


僕が作った曲を、演奏する編成に合わせてちはやんが編曲したものがどうサウンドするかを確認するために録音をおこなった。
”やちよに”チームによる合作。

いいマイクがある訳でもなく、編集ソフトもいいやつではないのでなかなか大変だったが、いい曲に仕上がった。
これからまた手直しに入るのだけども。

Little alchemists by yachiyoni


演奏者は小学生のかわいい女の子4人組ということで、それにあわせて書いた。

僕も塾の講師として小学生の女の子を教えているが、この年頃の子ってのは、まるで呪文を話しているかのような口ぶりだし、行動は笑えるほど不可解だ。

それが魔法使いのように思えたというのがこの曲のタイトルの由来。
”ウィザード”って感じではなく、インチキ臭い”アルケミスト”ってところがミソ。

決して偉大な魔法ではなく、錬金術である。
あの小さな手から、大人もびっくりするようなものを生む。
これぞ錬金術。


この曲は22、23と二日にわたって録り、その日のうちに編集して、24日に総編集をかけた。

ほぼ寝ずの合宿状態。
何年ぶりだろうか。

途中で体の痛みに根を上げた僕をちはやんが強制的に整体へ送り込んだ。
首からは尋常でない音を発していたが、とりあえず僕は生きている。
通院しなさいと整体師さんにいわれたので、きっと週一で行くことになるだろう。
超歪んでるそうだ、首が、、、。

こうしてものを作る作業は常々新しい発見を僕にもたらす。
限られた楽器やテクノロジーで最大限にできることはまだまだ十分に眠っていて、できないところは己の腕とセンスによる埋め合わせを必要とするから、そのための訓練を積む。

僕はやっぱりパフォーマーというよりは作家向きで、ちはやんのような優秀なパフォーマーによって、僕自身の創造性の限界が更新されていくのである。


僕もまた偉大な魔法使いではない。
ちっちゃいものを作って楽しむ錬金術師のようなものだ。

が、豊かな人生というものは、巨大な創造性を身近なものに変えることができるようになったときに成立するものかもしれないと僕は思う。


だからといって、難しいものをお手軽で分かりやすくしようとは毛ほども思わない。
難しいものは難しいまま考え続けることが豊かさであり、そこから人は想像力を鍛え上げてきた。
それはいずれ強靭な文化になる。

楽しみたいだけなら娯楽で終わる。
芸術は違う。
受け手にも多大な責任を課す。

何を手に入れるか、何を理解できるか。

それこそがコミュニケーションの理想だと思う。


これを追い続けることが僕個人のライフワーク。
火だるまになっても突っ走る蟻さんは、まさに僕のことという訳だ。

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2011年6月12日 (日)

鈍い炎

6/11。
業火。

人には生まれつき7つの大罪があるというが、そのうちの2つ、憤怒と矜持にまみれている僕は大悪党ということになる。


cubic starの今後の動きのための事務所ミーティングに出席した。

一体どこまで芸術を貶めればいいのか。
幼稚な表現を金づるにして、分かりやすいという言葉を笠のように着て、そんなに馬鹿を蔓延させたいのか。


プライドとはなんなのだろう。
憤怒の矛先はどこか。


彼らは、音源の大量セールスが夢だといった。
そして、僕に夢を持てという。

馬鹿な。
夢がないのはどちらか。


歩く死体のようなメジャーに対する大反攻勢力を作ることが僕の夢だ。
彼らにとって獅子を食い殺す身中の虫となるのが夢だ。

僕の作る音楽は業火だ。
プライドと、怒りと、ひとかけらのぬくもりの業火。

その業火でもって、僕もろとも腐臭まみれの死に体を消し炭にしてやる。

僕を否定するならそれでもかまわない。


そう思わずにはいられなかった。


一体、なぜ、こんなにも嫌悪感を覚えるのか。
どうしてこうまで嫌いなのか。


高い理想を掲げることもなく、大義名分もなければ、哲学もない。


全てが僕の考える通りになれといってるんじゃない。
全てを、音楽という芸術を丸々全部を、産業廃棄物にしないでくれといっているのだ。


周りにそれがあふれるほど、僕は己に火をくべなければならなくなる。
自分自身をも焼き尽くす炎になると分かっていても、だ。


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2011年6月10日 (金)

身にまとうべきもの。

いつだったか、大学のゼミに学生が僕しか来てないときがあって、授業をするのも何だからと言いながら、先生と僕の2人で授業時間に相当する時間、あれやこれやと話した事があった。

先生は基本的にフランス文学を専門にしてはいるものの、総合的に芸術への関心が強く、ゴダールの映画の話から、被服についての話に発展した。

大先生はまるでルンペンかと思うようなボロボロの洋服をいつも着ていたので、まったく服には興味が無いのだろうと思っていたのだが、実はホントにこだわると良い服ばかりが欲しくなるから、出来るだけ手を出さないようにしているというのが彼の主張だった。


それはさておき。
僕らの話は”服は身にまとう芸術だ”というところで盛り上がった。

当時僕は、こんなフランス文学専門の先生のもとで、まるでフランス文学なんか読む事も無く、アフリカだのアジアの文化についてばかり調べて、似非文化人類学の卒論をしたてようと思っていたところだったのだが、そんな僕の頭の中にも民族衣装等の知識はインプットされていたせいか、思いのほか先生との話が盛り上がった。


人は何を身にまとって生きるか?
僕ら人間は、外を歩くだけで表現活動をしている。
思い思いの服を着て、思い思いの言葉で話す。

表現というのは、そのレベルに関係なく、表現として成り立つ。

が、芸術は違う。

と、こんな具合に話が盛り上がっていく。


芸術は、”研ぎすまされた精神の具現化”と、先生は言った。
今でもはっきり覚えている。

コストのかからない安いものを身にまとう行為は、自らの精神を堕落させ、人間が本来持ってる”知への飽くなき探求心”を腐敗させ、五感を全て奪うのだ、と。


もう10年以上前の会話の内容だけども、忘れないもんだ。


今僕らは、その足を使わずともすべてをパソコンの前で手に入れ、必要以上に汗を流さずとも、安く欲しいものを手にする事が出来る。

ベンヤミンの危惧した”複製時代”を更に超えた大きな奈落を目の前にしている。

6/9。
僕は自分の愛する芸術家の作品の前に立った。
思い起こされたのは、先生との話。


その作品の価値は、ビジネスに支配されない。
トレンドもそこには存在しない。

大きな意思と、時代の必然性と、人の示しうる”不老不死”の真のかたち。
終わらないアトリエ。

それが芸術。
僕の身にまといたいものは、紛れもなくそれだ。


あっという間に時間の差を埋めてくる。
未開の地だった、脳のどこぞの部分にアラームを鳴らす。


金銭感覚のみで動く社会で、”高い”はつまり、”お金がかかる”である。
しかし、芸術的観点から見れば、”高い”は”考え、理解しようとする時間を多分に要する”という事になるのではないか。

表っ面ポップな顔をして、憎たらしい程にその核になかなか触れさせない気高い作品に手を伸ばす。

知識欲が目を覚ます。
物事の核を捉える目になる。


服は皮膚の延長線上にあるもの。
皮膚は己の意思をまとった精神の延長線上。
芸術は精神の具現化したもの。
すなわち、僕らが身にまとうものは芸術。

詭弁だろうか。
僕はそうは思わない。


僕らはリスクを背負いながらも、知を身にまとい、常に生きるすべを考えながら歩かなければならない。


終業のベルが鳴った。
”じゃ、先生にとって、こだわり抜いた良い服って何ですか?”と聞いてみた。


彼は迷う事無く、、、。
”ん、GAPの服。”


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2011年6月 6日 (月)

余韻

たくさんの人に会い、その人達一人一人の考え方を知り、自分の手元で考えを深める。
そんな1週間が過ぎた。


6/5。

デールと初めて会ったのはいつだったか。
ドラマーを探してるということで、彼のライブを見に行った。
ものすごくクールなのに、とてもあたたかい不思議な歌を歌っていた。
それがきっかけ。

それからすぐバンドを組んで、”梯子ノ上デ”と名前を決めて動きだした。

デール、彼とまるで夫婦のような相性ぴったりのギターのタカズギケイさん、ベースは僕と長いこと一緒にいろんなグループで活動してるすなやまん。これに僕を加えて4人。


このバンドで企画をやるのは初だった。
デールの縁の演奏者が集まっておこなわれたイベントはあたたかいムードで進み、僕らはアンコールまでいただいて終幕した。

グループの活動を通して繋がった人の、あるいはこの日初めて会った人の、思いが伝わるいい夜だった。


僕はどちらかというと、メンバーがころころ変わるセッションのようなグループは嫌いで、できることなら同じメンバーでがっちり手を結んで創作に集中していくことを好む。


この夜、ギターのタカスギさんが梯子ノ上デを離れた。


一緒に活動を続けてきた人がその場を離れることは、僕にとってはいつも相当なダメージになる。
何度経験しても慣れないものだ。

特に何かが悪かったというわけではなく、ただ、この先作っていく音楽の方向が少しズレただけなのだろうけど、タカスギさんが去ると分かった瞬間に、もっともっとたくさんのライブを一緒にやりたかったと、やるべきだったと後悔した。

後悔なのか、ただ寂しいのかもしれない。


人は、その人でしかない。
慣れ親しんだ音は、毛布のようにあたたかく、居心地のいいものだ。

それが無くなる。


先に進まなければいけないと、それでも先に進みたいと思ってもいるのだけど、いつも次の一歩を怖れてしまう自分は、なんと脆いのだと情けなくなる。


cubic starから相方のドラマーが抜けたときも、僕は必死だった。
彼がいたときよりも、もっとよくしなければいけないと。


きっと今回もそう。
後退は一歩たりともしてはいけないと思う。


表現者は常に振り出しに立っている。
作り上げれば破壊し、再構築する。

その繰り返しの中で何度も生まれかわる。


本当は、僕はそれに耐えられる人間ではないのかもしれないけれども。

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