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2011年5月 3日 (火)

ヒエラルキーの誤解。

三角形のてっぺんが”とんがった部分”だということの定義は、少なくとも僕は聞いたことがない。

もう忘れるぐらい昔にくだらない学校教育で習った、食物連鎖だか、身分制度のピラミッドだかで、間違いだらけの概念を植え付けられ、いつしかとんがりの部分が”偉い”か、”最も強い”かという変な考えにたどり着くことに甘んじてはいないか。

三角形の裾がてっぺんになることだって考えられる。
そりゃ、コロンブスの卵の発想で、とんがりを力一杯地面に突き刺せばいい。

一瞬にして上下は逆転する。


とんがりの部分は果たして雲の上の存在か、はたまた地に埋もれた存在か。
いずれにせよ、その存在は全くもって偉くもなく、むしろ理解されず、身動きも取れない、ただ数が少ないだけの存在。
存在すら認知されたものかどうか。


僕はそこにいる。
自らはひたすらエネルギーを発するだけ。


雲の下か、あるいは地上か、そこには僕一人ではそのエネルギーを届けることはできない。

ヒエラルキーの概念は、数。
ただ”多い”か”少ない”かなだけで、それは優劣を表すものではない。


一番広い部分には、無関心という自由を楽しむ人が多く住んでいる。
僕は無関心になれるほど、生きることに慣れてはいない。

その次は、受け取る人。
僕にはその素直さはそもそもなかった。

雲か地か、そのラインを間近に見る、法を操る人。
僕の技術と知識はどこまで行っても、あるいは行けば行くほど己の内側に向けられた。
誰かにそれを伝えることではなく、自らに対して問い、その問いの迷宮で迷う。

目が覚めれば、ラインの向こう側。
地の底か、遥か雲の上。
自分の意志ではラインを越えることができず、目に見えない空気のように、ただその存在が法を操る者に気付かれるまで、ガラスのケースの中で独り、自動的に磨かれ、削られ、命の炎を燃やし、エネルギーと化す。


ラインを越えて、正しく優しい法術師が僕の手を握ったら、世界は変わるかもしれない。

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