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2011年4月11日 (月)

笑うゲニウス・ロキ

4/10。

いい天気だった。
友人が泊まりにきていたので、にぎやかな朝食になった。

この日は三軒茶屋で、柳田健一さんと僕のデュオ。
お昼間の演奏で、家から近い場所だったので、ほぼ何も持たずに自転車で現地入りした。

僕らのデュオとダニースミスプロジェクトというグループの2マンだったが、とにかくたくさんのお客さんが見に来てくれた。
どの人もリラックスして2つのグル−プを楽しんでくれたようだった。

柳田さんの歌の詞は黒木ハチさんという作詞家がその多くを書いているのだけど、僕はその詞がとても好きだ。

”ゲニウス・ロキ”という曲がある。
古代ローマの観念で、土地の守護神を意味するものだ。

詞の冒頭に
”闘いのあとは 人は空に答を求め”
という一節がある。


どんなに過酷な、あるいは悲惨な事が繰り広げられても、空はいつもと変わらない青さだったりする。
思えば、大好きな人がこの世を去ったときに、僕が一番に見たのも青い空だった。

あたたかい陽射しの下、あちこちで桜の花が見せ場を迎え、青空に良く映えていた。

が、僕の住む東京も、また東北の災害の中心も、その他の被災地も、その美しいコントラストがある世界からまるで切り離されているかのようだ。


たくさんの犠牲の上に花が咲いているように思えて、また空を見る。


様々な考えをめぐって、人々が議論している。


いい演奏を終えて、来てくれた友人と一緒に軽い打ち上げをして帰宅。
何も考える事なく、照明のスイッチを指が探す。


僕を照らすこの照明でさえ、会ったこともない誰かの苦労や犠牲の上に成り立つ光。


テレビをつければ、反原発のデモ行進の話題。
彼らもひとしきりデモを終えて家に帰ったら、その指が照明のスイッチを探すんじゃないか。

ただ、ぼんやりとそう思った。

歴史そのものに選択の余地はなく、したがって、当然”もしも”はない。

あのときのあの選択は間違っていたというような事をいくら謝罪しても、あるいは後悔しても、それはどんな意味もなさないのだ。


己の身に危険が迫ったときだけ過去を蒸し返すのが世の常だというのなら、それこそ僕らは歴史をもう一度学ばねばなるまい。

僕らは間違いなく恩恵を受けて生きてきたのだ。
今までの事が全て帳消しになるわけではない。

ゲニウス・ロキが笑っている。
愚かだと。
この土地で豊かさの影も知らずに豊かに生きてきて、影が見えた途端、恐れと憎悪にかられて痴態をさらすのかと。


空を仰いで光を求めてみる。

まだ、闘いの最中。
ただ、相手は他人ではない。
己の中の恐れと無知。


手にしているものを全て捨てる勇気があるのなら、その勇気を協力に変えればいいだけだ。

僕らに今必要なのは変化ではない。
真の意味での”再生”なのだ。


どう生きてきたか、それを知る事が再生への第一歩。
己の汚れた手を見逃す事は許されない。

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