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2011年4月

2011年4月30日 (土)

circle of sounds

4/30。

cubic star minimal orchestra@新宿サブナード。
このバンドで、こうした商店街のようなところで演奏するのは始めての試みだった。

もう2年前の話だが、僕らは代々木公園でストリートライブを毎週やってた時期があって、その頃の人だかりといったら、数回ほどお巡りさんが整理に来たこともあったぐらいだから、とにかく人目につくところでやれば、きっと年齢や人種や文化に関係なく、みんな楽しめる音楽を作っている自信があった。


現地入りと同時に某お店の店長らしきひとと音量で揉めに揉めて、僕は多少どころか、いつもの様にぴりぴりの戦闘体勢モードに変わりそうだったのだけど、サブナードのスタッフの方のあたたかい対応にまず助けられた。


音量を極限まで小さく絞り、かつ、曲の細部のかっこよさをリスナーに伝えるのはほんとに難しいことだが、もともとcubic starの音楽は音量に頼った曲ではないので、メンバー全員の対応力とイマジネーションで見事にカバーできた。

さらにそれでも不思議と面白い演奏になる。
その変幻自在のまとまりがこのバンドのほんとの魅力であり、長く続けて培ってきた力でもあるのだなぁと改めて実感した。


1stセット始まる前から、用意された椅子には僕らを待ってくれているお客さんがいたのも心強かった。

ポップではあるけれど、決して分かり易い音楽というわけではないと思うが、年齢層も幅広く、じっちゃんやばっちゃんも楽しんでくれてたのが僕にはすごく印象的だった。

ぼくは、生粋のジジババっ子だから、おじいちゃんおばあちゃんが喜ぶ顔が、実は一番嬉しかったりするのだ。

”いい音楽にはいい人たちが集まる”。
たくさんのお客さんを見てちはやんが呟いた。
メンバーの褒め言葉は作曲する僕にとっては、創作意欲の源である。


2ndが始まる前にみんなで飯を食いにいった。
おいしい麦飯と、焼きトン。
リハーサルの時と変わらないいつもの談笑。

休憩中にはみんなの写真もとった。

タップダンサー兼バンドの花、りなっこ。
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2ndアルバムに参加して以来、最近準レギュラーのパーカッショニスト兼アイドルのちはやん。
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手先が器用、ウッドベース兼デザイナーのすなやまん。
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妙な動きと物言いでめきめきとファンを獲得しつつある、鍵盤怪人もーりー。
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ギターよりも周りにいじられることを得意とする、長男なのに次男坊気質のぼんぼん、たくぼん。
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戦闘力ならスーパーサイヤ人、頼れる豪腕ベーシスト、はるのすけ。
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どこぞで見たシューティングゲームの様に、鬼のようだが繊細な連打を繰り出す、太鼓のいさおさん。
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で、喧嘩っぱやいお騒がせリーダー、太鼓のぼくである。
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2ndセット。
サウンドチェック中に揉めたどこぞの店主が驚きの演奏妨害に出た。

こっちも演奏屋の意地だ。
相方のドラムのいさおさんと一瞬音量を最大限に小さく振り絞って、次の瞬間に爆弾でも落としてやろうかと思った矢先、見ていたお客さんの一人が”見えないからどいてくれ”と妨害者を排除した。

それは、その場で僕らの音楽を楽しんでくれている人たちみんなの意思であったと思う。

僕らと観客の方々で一体となって作り上げたサウンドの輪はとても強固で、そこにはそれを阻害するノイズは入り込めない。
この熱い一体感が瞬間芸術の醍醐味であり、その場でしかできえない音楽の美しさと強さであると思っている。


セットリストに加え、最後にみんなのあたたかい拍手に応えて、bjorkのハイパーバラッドをcubic starアレンジで演奏して無事にイベントを終えた。


オリジナル、アレンジもの、ともにみんなが楽しんでくれて、子供からお年寄りまで、その手で、その足でビートに乗っている姿に僕はいたく感動したし、そんな音楽をともに作っていけるこの8人のメンバーをほんとに愛している。

いい一日だった。

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2011年4月29日 (金)

追憶

毎日が飛ぶように過ぎて、言われなければついつい忘れて通り過ぎてしまいそうな。
そういう自分の誕生日が近づいている。

大先輩やら音楽仲間に、”自分の誕生日会を自分で企画すべし”といわれて、ただでさえ祝われるのが苦手なのに、自らパーティーを企画するという愚行に出ることになった。


ひとを祝うことはいいけども、自分のお祝いが嫌いで、いや、はっきり言って照れくさくて、どっちかというといいことがあった日やある日は家でこっそり一人で楽しみたい方だから、自分の誕生日にはほとんど何の思い入れも思い出もないが、誕生日が来るたびに思い出すのは自分のことではなく、唯一の憧れのひとの突然の死だ。

ああいうふうに生きたい、ああいうふうに言葉を、メッセージを発したいと、その模範になっていたその人は、13年前のその日、突然この世を去った。

世間がどう言おうと、僕は彼の死は不慮の、神様のイタズラのような事故であると思っている。
今もなお。


僕は今年、彼と同じ歳になる。
当時の僕には振り絞ってもいえなかった彼のような言葉が、今の僕にはいえるようになっているのだろうか。

惨めさと苦しさを野放しにして笑い飛ばし、炸裂する痛みの中を駆け抜け、失速し一度は墜落しようとも、再び上空彼方の光に向かって上昇しようとする彼のような強さを身につけたと、僕にはいえるだろうか。


クロスポイントはすぐ側にある。

彼岸と此岸。
大きな河を隔てての、追憶と現在の対話。

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2011年4月28日 (木)

around me

友人の左手に深く刻まれたためらい傷を見た。
彼と僕、隣り合わせの席で世間話に花を咲かせた。


ためらいをうらやましく思った。
僕にはためらいがないからだ。

時が来たら、僕はきっと最期の快楽のダイブに身を任せるだろう。


それが答えである。

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2011年4月26日 (火)

薔薇と贋物

贋物を着こなすのが一流だというのなら、

僕は、棘だらけで誰にも触ってもらえないかもしれない三流の野薔薇でいい。

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2011年4月24日 (日)

behind my mask

一つのスタイルで何かをやり通すことはとても大変なことだ。
ときには自分が”これだ”と決めたものが実は一番自分らしくなかったりすることもある。


いつもおのれが何者であるかを知りたくて、いろんな手法を試し、探し、何度も何度も比較と検証を重ねる。

そのなかで生まれたいろんな人格のスタイルを、この頃ほんとによく楽しめるようになってきた。


僕はあくまでも演奏屋ではなく、作家だと思っている。
真に価値あるものは自分、または自分を含む仲間と一から作ったものであると思っているし、逆に言ってしまえば、どんなにうまくパフォーマンスできても他人の曲ならどこまでいっても所詮は借り物だとも思っている。


絵画は現物そのものにのみ真の価値がある。

しかし音楽は違う。
何度でも、誰でも演奏することができる。

共有できるという優れた利点を含む一方で、創造することを放棄できる欠点をはらんでいる。


とはいえ、先人たちが作り出してきたメロディーやリズムは今でも僕の心をとらえるし、いろんなことを常に教えてくれる。


得意なスタイルもあれば苦手なのもある。
何かを取り入れることで失われるものもあるし、僕のなかで融合して、違う何かとして新しい生を受けることもある。


本来音楽は後世に残るはずのものではなかった。
たとえ楽譜がその音楽を記すものだとしても、実際の音は永遠に失われるわけだし、時とともに解釈も変わる。

僕らは実に難儀なことに、録音物にまみれた世界に生き、過去のあらゆる音の記録を聞くことができるようになってしまった。

記録、記憶はあこがれを生む。
あこがれは創造を蝕む強力な癌だ。
それがあれば人は考える必要性を失う。

成長の過程であこがれは原動力となるだろう。
が、多くの場合それは、偶像を己のなかに作り出すか、あこがれのまま意識に留まり、あげく思考の癌となる。


果たして、表現とは何かと考えたときに、僕は常の己との対峙だという答えを導かずにはいられない。

血肉となった言葉、知識、身体能力、それらのすべてを駆使し、いかに昨日と違う自分を現出させるかということだ。


自分の隠れた素顔に自分が驚く楽しみにいつも浸っていたい。


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2011年4月21日 (木)

expand my skin

”被服に対する見解”
服は己の肌の一部であり、また己の肌の延長である。
つまり、肌の拡張が被服であるから、人それぞれの肌の感じ方が、その人の好ましい色、形として服に表われる。


どこで読んだか忘れてしまったけど、そんなことを書いた本をいつだったかどっかで読んだ。


服の趣味は、動物におけるセックスアピールに近い。
ド派手な羽を広げる孔雀などがいい例だ。


いつの頃からだか忘れてしまったが、パンク系の服ばかり買うようになった。
決して流行っていたわけではないだろうが、ん、いや、流行っていたのか、とにかく僕にとっては体型的によく合うわけで、その見るからに不健康そうな煙たい文化も僕にはよく合うもんだから、そんなのばっかり着るようになった。


音大時代に、今となっては超大物シンガーになったしまったが、その子に会うたびに”どこでそんな服を買うのか?”とよく聞かれた。

祖母のうちに泊まったときも、ズボンがあまりにびりびりと破れてるもんだからだろう、見るに見かねて、祖母はしっかりと当て布をして見事なまでに修繕してくれた。
当然、僕は一日中、びりびりはデザインなんだと半泣きで祖母に訴えた。

太鼓の周辺機材を見に外出したついでに、春から夏にかけての服を見に行った。
いい年こいてなんだけど、僕には男物はでか過ぎるから、こそこそと女物売り場に行って洋服を探す。
着てる服の9割が女物だから服選びは慣れているのだけど、売り場に足を踏み入れる勇気が年々なくなっている。

救いは、僕があまりにもだらだらと生きているせいで年相応に見えないこと。
おっちゃんがギャル服売り場にいたらさすがに嫌だろう。

てゆうか、僕自身が嫌だ。


世のメンズ服は、僕個人の意見で言えば、全っ然おもしろみがない。
カラーバリエーションが極端に少ないし、形もフォーマルに則したものが多い。


一方レディースは変幻自在。
結構無茶な形もあるし、色も多種多様。
ピンクのジーンズなんて、もう、よだれもの、、、。


何着か試着したが、問題は肩幅。
ここがクリアできればいっぱい買いたい服があったのに、、、。


というわけで、買えた服はわずか一着、、、。
あとは大好きなTシャツが1枚、、、。
もうちょっとガリならよかった、、、。

おしゃれは我慢からと思っているが、さすがに骨格までは変えられん。
とはいえ、とてもいい服は買えたのである。

欲しかった服をあとから思い起こすと、相も変わらずド派手な色と奇妙奇天烈な形のものばかりだった。
僕の肌の延長線上には虹色と異形がまじったサイケデリックな世界が広がっていることは間違いない。

で、どんな服かって?
それは秘密。


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2011年4月20日 (水)

words from the night head

"夜頭"という言葉があるのかないのかは知らないけれども、おそらく多くの人が誰でも認識している共通の感覚だと思う。


へんてこりんなロマンチシズムだったり、最高傑作と思えるような恋文を書けたりする"夜頭"なのだが、僕はこの夜頭とうまく付き合っている。

今までに書いたほぼ99%の曲は夜頭がもたらしたものだ。


眠りが浅い僕は、夜中にしょっちゅう目が覚める。
酷い時は強迫観念のように寝よう寝ようとするのだけど、たいがいは寝ることを諦めて、しばらくは考え事をする。

その多くは作曲のアイディア。
で、この夜頭なんだけど、ものすごく創造的なわりにはすぐに忘れてしまうという特長もある。
つまり、思考に前後の脈絡がなく、断片的で一過性のものだということだ。

が、極まれに、朝になっても覚えているものがある。
それをまとめることで新しい曲や詞が出来上がる。


ダダイズムやシュルレアリズムにおける手法と、僕のいい加減な夜頭の想像法が酷似していることに最近気がついてとても興味深く思った。


話を難しくしたくはないので語弊が生じるかもしれないが、ダダはいってみれば出来上がった手法に対する反発と破壊であるといえる。

それまでの絵画の常識を覆した超立体手法のキュビズムが、高度なテクニックによった写実主義への反抗の狼煙とすれば、ダダは市民権を得たゲリラ戦のようなものだと位置づけられるか。


芸術の目標点が"最上級の模倣"であってはいけないと痛烈に批判したことから始まる、この異形の創造物は、明らかに"思考"そのものの具現化に成功した。
人の思考というフィルターを通して、この世界のどこにも存在しない創造物を作り出し、表現に新たな可能性を与えたわけだ。

シュルレアリズムはこの突拍子もない創造物を、まるで皮肉のように写実的、あるいは現実的な世界に当てはめてしまった。

一見すると目で見た現実の写し、だが、おかしなものが混じっている。

テクニックをあざ笑うかのような、想像力の凌駕。

これが"夜頭"にとても似ている。

音楽を考えるときに実演と時間はこの芸術からは切って離せないので、どうしても身体的満足とサーカス的な超絶技巧に目がいきがちだが、本来はそれが芸術である以上、発する側も捉える側も快楽と驚愕にのみ身を委ねるのではなく、想像の迷宮に足を踏み入れることをしなければならないはずである。


誰かの表現というのは決して居心地のいいものではなく、ましてや100人が100人、みんながほしがる商品でもない。

が、どういうわけか、人は共感し、または想像の目を開くことになる。


常識というのは、己を恐れから守ろうとする脆弱な防壁に過ぎない。
身体能力は分かり易くその常識に訴えかけ、ときには土足で上がり込んでくる。
けれどもそれは飽くまでも形骸で、魂を追い抜くことはない。

形骸は器である。
揺らぐ想像力を入れる器を提供することで芸術を商売としている風潮には、僕的には常にもの申したい。


逆に、魂が躯を自由自在に操ることで想像は無限の力を得る。
いかなる場合においても僕らは考え続けなければならない。
考える存在こそが人の魂であり、そこに可能性が見えてくる。


と、こういうことを発言させるのが件の"夜頭"ということになる。
考えるということはこんなにも面白い。


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2011年4月13日 (水)

be patient

久々に親父とやりとりがあった。


震災の事もそうだが、基本的に”仁義”というお題について政治や哲学の話を長々とする事が多い。

たぶん石原都知事も知っているだろうが、歴史上最も有名な江戸時代の濃尾治水工事について、親父と話題になった。

将軍家から一任された島津家は、その莫大な費用によって御家の存亡の危機に陥るのだけど、その危機の中で大将はいかに振る舞い、また部下達はいかに団結してこの奇跡の工事を成し遂げたかが描かれている小説があるという話だった。


辛きを耐え忍び、日々考えを出し合い、大きな苦難を乗り切った島津家の生き様は、僕の生きる道において絶対に知らねばならぬ事だと親父はいった。

仲間とともに作り上げる音楽も一緒で、一人でもただのっかるだけの奴がいたら何も前進しないどころか、時が経つにつれて次第に死相を浮かべるようになる。

とはいえ、アイディアマンとして先頭に立つ際は、人は誰しも孤独である。
それを仁義のもとに耐えろというのだ。

大きな事を成し遂げるための忍耐力こそ、今必要なものなのだ。

都知事が口にした”我慢なさい”という言葉もすんなり胸に落ちる。
その治水工事のいきさつと今の国難が、僕にはかぶって見える。


一致団結するには、妥協ではない、”忍耐”が必要だ。
忍耐はその後に信じられないほどの強靭なアイディアを生む。

本格的にドラムを始めたときに、練習パットに”辛抱強くあれ”と書いたのもそういう考えからだった。


忍耐力は人としての強さである。
アイディアは人の革新。


人はどう生きるべきか、歴史から学ぶ事はとてつもなく多い。


ちなみに小説は
杉本苑子さんの"孤愁の岸"
である。

今こそ読んでみるのはいかがか。

日本を代表する優れた歴史作家だ。

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2011年4月11日 (月)

笑うゲニウス・ロキ

4/10。

いい天気だった。
友人が泊まりにきていたので、にぎやかな朝食になった。

この日は三軒茶屋で、柳田健一さんと僕のデュオ。
お昼間の演奏で、家から近い場所だったので、ほぼ何も持たずに自転車で現地入りした。

僕らのデュオとダニースミスプロジェクトというグループの2マンだったが、とにかくたくさんのお客さんが見に来てくれた。
どの人もリラックスして2つのグル−プを楽しんでくれたようだった。

柳田さんの歌の詞は黒木ハチさんという作詞家がその多くを書いているのだけど、僕はその詞がとても好きだ。

”ゲニウス・ロキ”という曲がある。
古代ローマの観念で、土地の守護神を意味するものだ。

詞の冒頭に
”闘いのあとは 人は空に答を求め”
という一節がある。


どんなに過酷な、あるいは悲惨な事が繰り広げられても、空はいつもと変わらない青さだったりする。
思えば、大好きな人がこの世を去ったときに、僕が一番に見たのも青い空だった。

あたたかい陽射しの下、あちこちで桜の花が見せ場を迎え、青空に良く映えていた。

が、僕の住む東京も、また東北の災害の中心も、その他の被災地も、その美しいコントラストがある世界からまるで切り離されているかのようだ。


たくさんの犠牲の上に花が咲いているように思えて、また空を見る。


様々な考えをめぐって、人々が議論している。


いい演奏を終えて、来てくれた友人と一緒に軽い打ち上げをして帰宅。
何も考える事なく、照明のスイッチを指が探す。


僕を照らすこの照明でさえ、会ったこともない誰かの苦労や犠牲の上に成り立つ光。


テレビをつければ、反原発のデモ行進の話題。
彼らもひとしきりデモを終えて家に帰ったら、その指が照明のスイッチを探すんじゃないか。

ただ、ぼんやりとそう思った。

歴史そのものに選択の余地はなく、したがって、当然”もしも”はない。

あのときのあの選択は間違っていたというような事をいくら謝罪しても、あるいは後悔しても、それはどんな意味もなさないのだ。


己の身に危険が迫ったときだけ過去を蒸し返すのが世の常だというのなら、それこそ僕らは歴史をもう一度学ばねばなるまい。

僕らは間違いなく恩恵を受けて生きてきたのだ。
今までの事が全て帳消しになるわけではない。

ゲニウス・ロキが笑っている。
愚かだと。
この土地で豊かさの影も知らずに豊かに生きてきて、影が見えた途端、恐れと憎悪にかられて痴態をさらすのかと。


空を仰いで光を求めてみる。

まだ、闘いの最中。
ただ、相手は他人ではない。
己の中の恐れと無知。


手にしているものを全て捨てる勇気があるのなら、その勇気を協力に変えればいいだけだ。

僕らに今必要なのは変化ではない。
真の意味での”再生”なのだ。


どう生きてきたか、それを知る事が再生への第一歩。
己の汚れた手を見逃す事は許されない。

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2011年4月 7日 (木)

to do

4月も半ばにさしかかっている。
少しあたたかくなってきた。

まだまだ地震の余波が日本中を覆ている。

4月から5月頭の予定を挙げる。
やる事があるというのは、何にせよいい事だ。

4/10(日)
柳田健一 × よしじま ともひと
@三軒茶屋grapefruit moon
13時〜。
1890円+1dr

4/23(土)
梯子ノ上デ
@代々木bogaloo

4/24(日)
深山健太郎 jazz trio
@学芸大学Osteria Giapponese(オステリア ジャポネーゼ)

4/30(土)
cubic star minimal orchestra
@新宿サブナード
フリーライブ!
13時半〜
15時半〜

各30分ずつ

5/1(日)
よしじまお誕生日祭
@駒沢カフェ FUN RUN
お昼

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2011年4月 1日 (金)

karma

3/31。
もう春は目の前だ。

13年前の今日、僕は福岡から東京(厳密には埼玉)に引っ越してきた。
一人暮らしの始まり。
その日、わくわくして眠れなかったのを覚えている。

夢に見た自分だけの世界。

誰もいない。
不安もあったが、開放感の方が大きかった。

忘れもしない翌日4/1の雪。
おかげで僕は一人暮らし早々風邪で一週間近くダウンして、あげく薬屋に風邪薬を買いにいく途中、買ったばっかりの自転車がパンクして超落ち込んだ。


時間の経ち方は誰にとっても平等かというと、そうではないと僕は思う。

無為に過ごす時間は薄く軽い。
何かにのめり込んでいるときは重く速い。


無知で馬鹿なくせに、とりあえず成績だけ上げて予備校から支援金と称してお金を巻き上げて上京したあのとき、僕は将来のことなんてはっきり言ってどうでもよかった。

ただ、音楽がやりたかっただけだ。

13年後の今。

”尖っている”と言われて目が覚めた。
都内のとある事務所。
笑いながら僕を狂人扱い。

僕は何も狂っちゃいないが、ま、相変わらず無茶なことは言うし、ある意味喧嘩売ってるような態度だから、そりゃそういうふうにも見えるだろう。


僕の作る音楽は、人がどう思うか知らないが、僕自身全然ポップではないと思っている。
誰が聴こうが聴くまいが構わないし、人に好かれるものをわざわざ作ろうとか、1ミリたりとも思わない。

ださい歌謡曲は死ぬほど嫌いだし、応援とか要らんし、恋愛なら勝手にやる。

そもそも人を喜ばせる音楽ならみんなが知ってる曲をやるし、カバーでもなんでもいいから、わざわざ自分で作らない。
アレンジでもしてればいい話だ。

自己満足と言われたこともあるが、”自己満足も出来ないやつがえらそうに言うな”と言い返したこともある。

自己満足、、、?
そんなのは当たり前だ。
創作は己のためだ。


が、僕の話を目の前で聞いてるおっちゃんは、目をキラキラさせてその話に大ウケした。


この出会いでバンドがどうなるかは知らないが、リーダー張ってる僕としては、僕が作った曲でメンバーが飯ぐらい食えたらいいなと思っている。

そんなことを言うとまた尖ってると言われた。


上京して13年。
歳を負うごとに僕の無茶はエスカレートしてきてるようだ。

大体、理想を追うことそのものが無茶なのだし、だからといって理想をなくせば歯車にもなれず、歩く生ゴミと化す僕にはちょうどいい悪化のしようだ。


これ以上落ちることは僕には無いし、僕のバンドの曲を悪用しようもんなら、そもそも真似できるものなら真似すればいいと、そんな話し方をしたが、随分とおもしろがられた。


新しい出会いは好きだ。
心の監獄から出るきっかけになる。

放っておけばぶち込まれなくても自分で監獄に入ってしまうから、それだったら毎日喧嘩でもしていたい。
それぐらいのつもりで会いにいった。


この日記が何の話かって?

、、、さぁ、、、ね。
13年間に溜めた業の話じゃないかな。

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