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2011年4月24日 (日)

behind my mask

一つのスタイルで何かをやり通すことはとても大変なことだ。
ときには自分が”これだ”と決めたものが実は一番自分らしくなかったりすることもある。


いつもおのれが何者であるかを知りたくて、いろんな手法を試し、探し、何度も何度も比較と検証を重ねる。

そのなかで生まれたいろんな人格のスタイルを、この頃ほんとによく楽しめるようになってきた。


僕はあくまでも演奏屋ではなく、作家だと思っている。
真に価値あるものは自分、または自分を含む仲間と一から作ったものであると思っているし、逆に言ってしまえば、どんなにうまくパフォーマンスできても他人の曲ならどこまでいっても所詮は借り物だとも思っている。


絵画は現物そのものにのみ真の価値がある。

しかし音楽は違う。
何度でも、誰でも演奏することができる。

共有できるという優れた利点を含む一方で、創造することを放棄できる欠点をはらんでいる。


とはいえ、先人たちが作り出してきたメロディーやリズムは今でも僕の心をとらえるし、いろんなことを常に教えてくれる。


得意なスタイルもあれば苦手なのもある。
何かを取り入れることで失われるものもあるし、僕のなかで融合して、違う何かとして新しい生を受けることもある。


本来音楽は後世に残るはずのものではなかった。
たとえ楽譜がその音楽を記すものだとしても、実際の音は永遠に失われるわけだし、時とともに解釈も変わる。

僕らは実に難儀なことに、録音物にまみれた世界に生き、過去のあらゆる音の記録を聞くことができるようになってしまった。

記録、記憶はあこがれを生む。
あこがれは創造を蝕む強力な癌だ。
それがあれば人は考える必要性を失う。

成長の過程であこがれは原動力となるだろう。
が、多くの場合それは、偶像を己のなかに作り出すか、あこがれのまま意識に留まり、あげく思考の癌となる。


果たして、表現とは何かと考えたときに、僕は常の己との対峙だという答えを導かずにはいられない。

血肉となった言葉、知識、身体能力、それらのすべてを駆使し、いかに昨日と違う自分を現出させるかということだ。


自分の隠れた素顔に自分が驚く楽しみにいつも浸っていたい。


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