« 祈り | トップページ | 信念の在処 »

2011年3月14日 (月)

出来ること

3/14(月)、外は少しあたたかくて、いい天気だ。

もしも何かあったときのために、こうして日記に残しておく。
平穏無事な日々が戻ってきても、僕らはこの災害のことを忘れてはいけないと思うから。

電車に乗ろうと駅まで行ってみた。
都心へ向かう道路は車の列。微動している。
駅の改札はお巡りさんが入って、入場制限をかけていた。


”動ける人が動こう”という考えは、果たして正しいのか?
たしかに会社は大変だろうが、その考えに縛られて人が殺到する。
無意味な憎悪と疲労が蔓延するだけで、災害が起こった直後の”助け合いの精神”は無惨にも崩壊するばかりだ。


大災害で最初の大破壊が終わったあとの、いわゆる二次災害で最悪のものは”信念とモラルの破壊”だ。


阪神の震災のとき、地震保険がきかない半壊の家に人々が火をつけた。
火災保険をきかすためだ。
それによって広がった炎が奪った命もある。

我先にとものを盗むやつもいる。


日頃の便利さに慣れ過ぎていると、必要最低限が分からなくなる。


僕は二足わらじどころか三足ぐらいなのだけど、塾の講師としての側面から見ると、こんな日に親御さんに子供を手放してほしいとは一切思わない。
出来るだけ近くにいてあげてほしい。

一日や一週間やそれ以上だとしても、そんな損害でははかれないことがすぐ近くで起きている。
命が助かったからそれでいいわけではないだろう。


ミネラルウォーターに携わる一面からすると、今すぐにでも被災地に少しでも安全に飲める水を送ってあげたい。
輸送機関は麻痺し、その道のプロの組織でも立ち入るのに手を焼いている。
素人がしゃしゃり出たところで、余計に混乱を大きくするだけだ。


音楽家としてみるなら、こんなときに演奏なんてしたくはない。
音楽で元気づけようって、被災もしてない、真の悲しみも知らない演奏屋がにこにこ笑って演奏するのか?
それで離れ離れになった人が戻ってくるのか?
チャリティーライブで人を集めてお金を集めるって、人を集めるのにどれだけの電力がかかるか、またそこで消費される食料がどれほどのものか理解した上での発言なのか?
お客さんも結局ライブを楽しみにいくんだろう?
その事実をねじ曲げられるのか、それとも被災者のみんなに上手く伝えるアイディアでもあると?

もしもお金を集めるなら、ネットで公の機関を通して募金するのが一番なのだ。


ただ、静かにしていてほしいのだ。
災害が起こったから何かしなきゃと素人目で測ったところで、ほんとに動かなければいけない人の行く手をふさぐだけになってしまう。

ほんとに何かしたいと思うのなら、黙祷してみてはどうか。
どれだけ長い時間祈っていられるだろうか。
それで、今の自分の被災者に対する想いの強さが分かるだろう。

|

« 祈り | トップページ | 信念の在処 »

普段」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/482886/39221762

この記事へのトラックバック一覧です: 出来ること:

« 祈り | トップページ | 信念の在処 »