« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月

2011年3月29日 (火)

無菌室

3/29(火)。
あたたかい一日だ。

ニュースは原発か地震関連。
日常が戻れば戻るほど、傷跡がなかったことのように忘れられていくが、まだ何も終わってはいない。


独り、太鼓の練習部屋に閉じ籠った。
防音室で耳栓をすればもう自分の心臓の音しか聴こえない。
楽器の音を出すまでは。


矛盾する感情ではあるけど、寂しがりだが、残念なことに孤独はどうも好きなようだ。
ずっと一人でいたいと思う反面、誰かいた方がいいとも思う。


極端なはなし、一人でいるとひたすらやりたいことのみをやって、食事も睡眠もいらなくなる。
お腹もすかないし、眠くもならない。
いや、たぶんお腹のすかせ方も眠り方も忘れてしまうようだ。

一人暮らしを始めたばかりのとき、あまりの開放感にゲームをやりまくり3日間きっちり徹夜して気絶したことがあったが、結構僕は一度何かをやりだすと誰かが止めるまでそれをやることになる。

そもそもそれが僕の慢性疲労症候群の原因なのだろうが、どうも初期装備的に僕はアドレナリン過多なのだそうだ。

しかも年をとるにつれてこの覚醒状態が酷くなって、限界が来るとまるでスイッチが切れたように強烈な睡魔が来る。時間や場所は関係ない。
そのかわりに起きてるときはずっと起きていたいと思う。


子供の頃はゲームやパズルや一日中バスケットやサッカー。

浪人時代はどこを歩くときも考え事、あげく大学の赤本を立ち読みで解き、英単語なんかも本屋の立ち読みで100個ぐらい覚える始末。

大人になって、そのアドレナリンの矛先が音楽になっただけだ。


自分でカウントを出して自分で歌い込みながら太鼓を練習するときが、おそらく自分にとって一番リラックスしているとき。


僕は世界から切り離されたいのかもしれない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年3月26日 (土)

緋色の研究

3/26。
風がものすごく強い日。


maikotobrancoのリハーサル。
次のアルバムに向けての曲作りの前段階。
既に3曲は録り終えている。


新しいアイディアというのは、いつも原点から生まれてくるものだと僕は思っている。
とはいえ、原点と一言に言っても、どの時点がその人の原点なのかということは特定できない。


僕が小さい頃に父に無理矢理連れていかれたドライブでかかるビートルズやなんかがおそらく記憶に残る最古の影響であると思われるが、原点と言ったときに果たしてそこなのだろうかと考える。


幼少時に鬼のように怒る叔母に習ったクソ大嫌いなクラシックピアノ(クラシックピアノが嫌いなんじゃなくて、飽くまでも叔母に習うピアノが嫌だった)が原点かもしれないし、はたまた、小学生のときに年上の従兄弟が夜中に爆音で聴かせてくれたハードロックやヘヴィーメタルが原点かもしれないし、一人暮らしを始めて目覚まし代わりになっていたデスメタルがそうかもだし、大学時代に研究した民族文化で出会った民族音楽がそうかもしれないし、お師匠に出会ってのめり込むようにして聴いたジャズがそうかもしれない。


全てが水に溶かした絵の具のように混じって、出てくるものは”僕の言葉”、ただそれだけ。


グループで作り上げるアンサンブルでは、そういうもののマッチングがとても面白いのだ。


maikotobrancoのアイディアは、ブレインであるこうどうさんによって生み出される。

僕の考えのなかには”再発見”という工程がある。

昔のマイコトブランコの曲を今のメンバーでやってみて、そこからこうどうさんのルーツを探る。
僕らメンバーは血肉となってその体内をめぐる。
しかし、メンバーだからといって意思なくして演奏は成り立たず、そこにはそれぞれのルーツがしっかり見え隠れしていなければならない。

それがうまく混ざりあうことで曲は生まれかわり、そこから新しいアイディアへと発展する。


過去を振り返るというより、現在と過去を繋ぎ、自らを再発見する行為は創作活動においてとても重要だと思う。

全てが混じった地点が今の自分だけど、これは数秒後には変わることもあり得る。
有象無象は現実の水面に浮いていて、一見全ては繋がりがないように見える。

しかし、そこにこそ次の想像の断片が存在しているように思える。


アイディアをいつも新鮮なまま残し、その全てを実現させるには、自分たちの歴史を知る必要がある。

コナン・ドイルの”緋色の研究”の考察のように。


これは何も芸術に限ってのことではないということ。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月25日 (金)

円盤探しの旅

3/24。
太鼓奏者には多少興味がわく内容かもしれないが、多くの人たちにとっては99%面白くない話であることは間違いない、そんな一日の記録である。

月末に忙しく入っていた演奏を全て終えて、丸一日のお休み。
リハーサル大好きの僕なのに、リハーサルすら入っていない。

前々から悩んでいた太鼓に関する問題を解決するべく、もぞもぞと布団から出て活動を開始した。


午前中。
先日調達したばかりの新しいスティックを試すべく、自宅スタジオにこもる。
今まで使っていたスティックはヤマハか、ジルジャンの7Aというもので、材質はヒッコリーでやや硬め、比較的細身で、重心は先端(チップ)側にある。
細身のわりには体感的には重く、僕のようなガリ男でもそれなりのパワーが乗ったショットが出来る。

もともとお師匠が僕を見て、”ちびガリはショットスピードと重さが必要”と言って与えてくれたスティックで、特に考えもなく迷わずそれを使ってきたわけだ。

力が乗らない細身の僕がロックをやるときは、肘からずどんと落とす左手のショットで音量をカバーしていたから、筋力がついたあともその癖が抜けないままジャズをやっていたのだけど、最近アコースティックやジャズを演奏する機会が爆発的に増えて、一気に音と体の動きが気になりだしたというわけだ。

音量のバランスを肘からの動きでコントロールするとスピードが殺されて、粒が揃わなくなる。
チップ側に重心のある硬質のスティックではなかなか丸い音が出ない。

そこで、長く使い慣れたスティックをもう一度よく考えてみることにした。

110324_1315_01

で、選んだのがvic firthのボレロというスティック。
材質はメイプルで、ヒッコリーに比べて柔らかめ。
かなり太いけど、重心は中心か若干お尻より。

太さがあるから、握るという感覚もなく、指を絡ませるだけで抜群の安定感。
重心が手に近い位置にあるから、手首の動きがそのままスティックに反映する、スピード感がある。
スティック自体は軽いけど太さがあるぶん、ヒットする面積でもってダイナミクスは大から小まで自由自在。

そのスティックだと腕を落とす必要がなくなる。
それにあわせてシングルやダブルストロークのスピードと音色の精度をあげるべく、グリップを変えることにした。

とてもいい出会いになった。


自分の太鼓セットはものすごく繊細な音が出るソナーのヴィンテージHI LITEだから、あとはシンバル。


というわけで、午後はシンバル発掘の旅に出た。

新宿のロックインで狙いのシンバルをまず試奏。
ビンテージの音を再現したものを試したのだけど、やっぱり時間が作り出す”枯れた”感じではない。
どうしても狙って作られた枯れた音なのだ。

お店の人に中古はないか尋ねてみたが、残念ながら入ってはいなかった。


お茶の水まで足を運ぶ前に軽く腹ごしらえして、新宿のタワレコでmaikotobrancoのりゅうたどんと待ち合わせ。
二人で楽器探検に行くのは何年ぶりだろう。


お茶の水にはビンテージが結構入っていた。
狙いはジルジャンのオールド。

ジャズの音の代名詞である”オールドK”を頭の片隅に入れていたから、10万を覚悟していたが、Kはハイハットのみが置いてあるだけだった。

パイステのフォーミュラ602もいいものがなく、ぼんやり眺めていると、ジルジャンの"オールドA"が目に止まった。

ジルジャンはもともとトルコの工房で、それが二つに分かれることになった。
言い方に語弊があるかもだけど、Aがジルジャンのいわゆる”宗家”。
アメリカに移民したジルジャンの一族が作ったのが”Aジル”だけど、そのサウンドはアメリカの音。
60、70年代、そのクオリティーの高さに多くのミュージシャンが信頼した音。

一方”K”の方が分家でありながら、トルコに残って伝統的なトルコの音を作り続けてた。
ジャズのミュージシャンが、そのきらびやかで広がる音を愛した。


Kジルは訳あってAに比べて生産数が少なく、今となってはとんでもなく希少なシンバルとなってしまっているために、とても値段が高い!

一方Aジルは数が出回っているため、Kのようには高くないが、状態がいいものが多いわけではなく、かなり個体差がある。


なもんだから、しっかり試奏させてもらったが、これほど状態がいいものもなかなかない。
丸く広がるタップの甘い音も素晴らしく、クラッシュしたときの音はまさにオールド。
”じゃ〜〜ん”っていうのび方じゃなくて、”ぷしゅーーー”と軟らかくのびる。

値段も高くはないので、そのままお持ち帰りになった。

りゅうたどんと新宿までもどり、そこで一杯。
久々の楽器屋巡りで楽器の話に花が咲き、キースジャレットのケルンコンサートの話で盛り上がり、、、。

のんびりと飲んで、ゆるゆる家に帰ってきてからシンバルを試してみた。
もともと持っていたパイステの17インチ(この大きさもレアもの)との相性もいいようだ。


オールドはピアノトリオではすごく重宝するだろうし、小川くんや柳田さんやデールといったアコースティックから音響系の音を出す人たちとの演奏に非常にあうだろう。

マイコトやcubic starではきっとパワー負けするだろうなぁ。

なんにせよ、また深い楽しみが増えたということだなぁ。

はやくリハーサルしたいねっ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月24日 (木)

童心

3/23。
朝、あんなに晴れていたのに、夕方には雨どころかみぞれみたいなものが降った。


夜は池ノ上ruinaでピアノ歌うたいの柳田健一さんのワンマンライブで演奏だったので、雨の中ひとりでもりもり荷物を車に積み込み道を走り出したのはいいけど、久々に渋滞に巻き込まれた。
ここのとこ、燃料不足だから車も少ないだろうと油断していた。
ブンブン車が走っておる、、、、。

池ノ上では柳田さんが心配しているのかいないのか、待っててくれた。
じゃじゃんとサウンドチェックを済まして、薬局へ。

栄養ドリンクを買ってすぐ店内で飲む柳田さんの姿は、まんまおっさんだった。
薬局のおっちゃんもそれに慣れているらしく、謎の滋養強壮剤を柳田さんに差し出して、ドリンクと一緒にぎゅっと飲む。

おっさんである。

寒い夜にもかかわらず、お客さんが結構来てくれた。
やなぎだんの歌はとにかく元気になる歌だ。
場はとてもあったかかった。


1stセットは数曲独奏したあと、やなぎだんと僕のデュオで進んでいく。

このデュオも熟れてきて、細かいダイナミクスの変化もぴたりとシンクロしてきた。
言葉に併せてメロディーとリズムが軽やかにスウィングする。


休憩時間。
ぎだんは毎日の仕事の疲労から、内蔵が飛び出しそうなほどの大きなため息を数回にわたって吐いた。


2ndセット。
ウッドベースのすなやまんがゲストで参加。
ロックンロールで元気な曲が中心になって構成されたセットになった。

やなぎだんの歌う歌は、彼の親友である作詞家のクロキハチさんが作詞したものと、いつも見に来てくれるキノコマニアのじょうさんが作詞したもので、ぎだんはその世界をほんとによく汲み取って言葉を発する。

音楽に置ける創作活動は、アンサンブルだけではなく、こういうプリプロダクションもすごく面白いところ。

誰かが見た世界を自分の手元に引き寄せて、メロディーとリズムに乗せてアウトプットする。
この共同作業がうまくいったときってのは、ほんとに楽しい奇跡。

その奇跡を操るために僕らは日々努力し、技を、アイディアを、哲学を磨き上げる。


たくさんの笑い声を聞いた。
あたたかい握手と感謝の言葉をもらった。
みんなでおいしくお酒を飲んだ。


これが芸術の根本であると僕は思っている。


誤解されるかもしれないが、僕らは決して”誰かを楽しませよう”って思っていない。
楽しんでくれればいいなぁとは当然思っているけれども。

芸事や表現というのはどこまでいっても至極プライベートなものだと思う。
が、人は共感し、理解し、一緒に笑ったり泣いたりできるものなのだ。


僕らの演奏は飽くまでも自然のまま、いつも通りの僕らのまま。
その当たり前の日常があるはずなのに、不思議といつもと違う世界を覗き込んでるようなそんな面白い錯覚に落ちることができるのが時間芸術の真髄なんだろう。


バンド演奏が終わって、エンディングに向けて一人、ぎだんが歌を歌った。

心は子供にかえり、想いは大人になった君がいる、、、、と。


酔っぱらったお客さんもみんな無邪気に笑っていた。
それぞれの少年時代の顔が浮かぶようだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

言霊

”お疲れさまです〜。”
デールと一緒にハンバーガーを食べにいって店を出るときに、デールが一言、店員さんに言った。


3/21のできごと。
その日はとても寒く、霧のような雨が降っていた。

店を出たデールがニタニタしてる。
気持ち悪いから、”なになに、何の妄想してるの、デール?”と聞いてみた。


デールは最近、職場でよく”お疲れさまー”という挨拶をするそうだ。
朝、人に会ってもお疲れさま。
通路で人にすれ違ってもお疲れさま。
仕事を終えて帰るときの挨拶もお疲れさま。

あげく、彼はマンションの隣人にもお疲れさまといい、トドメはご飯を食べたあとにもお疲れさま(ほんとはごちそうさまというつもりだったのに、つい間違えていったのだそうだ)。

可笑しくてしょうがなくて、大笑いした。


ご飯後、僕らは”梯子ノ上デ”というバンドで阿佐ヶ谷ネクストサンデーに出演。
デールはMCで”お疲れさま”について話し、お客さんを大いに沸かせた。
で、曲が終わるごとに”お疲れさまでした”と言い放つ、、、。
可笑しくてお腹がつりそうだった。


バンドはとてもいい演奏をした。
デールの声はほんとに独特で、透き通ってるような曇っているような、明らかに日本人では出ない不思議な声。
あたたかい歌詞の内容にバンドのサウンドが呼応する。

このバンドでは珍しい音大きめのセットで、抜けるような清々しい演奏だった。

震災から一週間以上。
みんなが疲れ、やり場のない不安に駆られている今このとき、デールの”お疲れさま”はとてもあたたかくて自然な言葉だと僕は思った。

言葉には魂が宿るという。
”お疲れさま”の一言で、人は肩の力を抜き、無力感から解放されたんじゃないか。
デールの放った言葉はたまたまだったのかもしれないけど、僕には全て必然のように思えてならない。


このメンバーに出会って、このバンドで演奏できている今の自分はほんとに幸せだと感じた。


お疲れさま、みんなみんな、お疲れさま。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月23日 (水)

分岐点

3/22。
余震は相変わらず続いている。
前に日記を書いたときからもうすぐ一週間。
その間にいろんなことがあった気がするけど、不穏な空気は依然として残ったままだ。


僕個人としてはようやく穏やかな日常を取り戻しつつある。


今までやっていた仕事を3月いっぱいでやめることにした。

理由ははっきりしている。
音楽に関する活動に専念するためだ。


20代半ばなら多少かっこもついただろうが、僕のようなアラサーが収入の後先も考えずにこんなこといってもちっともかっこ良くはない。

が、もはや来るとこまで来たという感じだ。

生活の不安はある。
でも、それ以上に”これ一本でやっていこう”っていう衝動の方が上だった。


貧乏は何度でも経験したし、多分乗り越えられるだろう。

去年1年、いろんなところでいろんな人との演奏を経験して、どんな場所でも違和感なくとけ込める自分になってることにも気がついた。

演奏そのものだけでなく、作曲やアレンジでも仕事をしたし、レコーディングも録ることからミックスまで手がける機会も多々あった。

何度となく訪れる迷いのときは、いつも変化の時期になる。
ここの所ずっと奏法に悩んでいたけど、それにも答えが出ようとしている。


一度は無理だと諦めたテクニカルな面も想像力の面も、いまはわかりすぎるほどによくわかるようになっている。
難しいことだとは思わなくなっている。
僕はまちがいなく今、自分の理想に追いつこうとしている。
こうでありたいということが手の届く範囲に、まちがいなくある。

音大時代のような長時間の練習の日々に、ここのところ再び身を置くことになった。
5時間、6時間。
時間さえあれば一日中、打楽器と向かい合う。

岐路にはいつも人にあう。
自分を次のステップに進めてくれる出会いだ。


20日、レギュラーになった深山健太郎さんのjazz trioで演奏だった。
場所は学芸大のイタリアンレストラン、オステリア ジャポネーゼ。
毎月最終週の日曜日、恒例のトリオ演奏。


このトリオのリーダーでベーシストの深山さんとの出会いは一つの転機だった。
自分の奏法や音に飽きている真っ最中の出会いで、ジャズトリオの仕事のお話を頂いたのをきっかけに、もう一度自分と向き合ってみようと考えだした。


そんなトリオでの演奏は20日もあったかいものになった。
オステリア・ジャポネーゼはとってもおいしい料理とお酒が出るお店だから、常連さんも多く、この日もいつものお客さんが足を運んでくれた。

バンドスタンドの傍で熱心に聞いてくれているお客さんが、演奏後に話しかけてくれた。

”仙台からようやく東京に出て来れて、ここで音楽を聴くことが出来てよかった。”と。


それだけで僕の胸はいっぱいになった。
返す言葉を見つけられなかった。


これが決断の最後の一押し。


僕は演奏を”しなければならない”。
そういう声が聞こえるからだ。

人と出会わなくなったらそのまま僕はパフォーマンスをやめるところを、こうやって唐突に突き動かされるように声がかかる。

それは緻密な、必然の、人との出会い方だと僕は思っている。

店長のガクさんがおいしいお酒と料理を出してくれた。
ピアノのみどりさんと奏法やスタイルの話をしながら楽しく食事をとった。
向こうから深山さんの豪快な笑い声とお客さんのおしゃべりが聞こえてくる。


続けていこう。
そう思える。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年3月17日 (木)

八百万の国で

3/17、今日は特に冷え込みが激しい。

震災から1週間。
祈りは深くなるばかりだ。


オーストラリアの友人と頻繁にメールのやりとりをしている。
彼が海外の記事を送ってくれたので、読みふけっている。

様々な意見があり、いろんな価値観がある。

興味がわいたので、自分でも海外のジャーナリストが公開している記事をネットで色々読んでいたら、宗教の側面から記事を書いているものを発見した。

非常にデリケートな内容を含んでいるので、もしかしたら嫌な気分になる方もいるかもしれないが、”モラル”ということを考えるために、ここに記しておく。


ニューヨークが同時多発テロに見舞われて深く人々の心に傷を残したのに、なぜあれだけはやく立ち直ったのかということについて書いてあった。
人々の多くはキリスト教で、みんなが神の御名の下に祈り、団結した結果だ、と。

その人は、”固有の神を持たない日本人は、一体なにのもとに祈り、これほどすさまじい団結力を見せているのか”と書いていた。


僕ら日本人にとって、神、あるいは仏は、”命”そのものではないだろうか。
オーストラリアの友人とのやりとりの中で僕はそう考えた。

僕らは命のもとに力を合わせ、祈る。
あるべき命が平穏無事であるように祈る。


日本は何度となく神や仏を捨てた。
古くは寺や神社を焼き払い、近代では廃仏毀釈によって崇拝するものを手放し、太平洋戦争の敗北によって価値観は完全に崩壊した。


僕らは何を信じ、何によってモラルを保つのか。

大戦で負けたとき、一番に整えられたのは教育のシステムではなかったか。
荒廃から人々を守るのに、教育は非常におおきな役割を果たす。


時間が経つにつれて、苦しみの渦中にある人たちは疲れ、運良くそこから逃れた人たちは惨状に倦み、また飽きる。

そのときに何が僕らのよりどころとなるか。
それはこの国の真の文化ではないだろうか。

ひとつひとつの命に宿る八百万と、それによって育まれた強い歴史を僕らは基礎的な教育によって知っているはずだ。


団塊という戦後の世代は、ほぼ無の状態から経済を立て直したといっても過言ではない。


最後まで意識を保ち続けたい。
どんなに疲れても。
この国にいる以上、責任を負わなくていい人は一人もいないのだ。


1秒でも長く、1ミリでも深く考えて生きていきたい。


友人とのやりとりは今のところここで終わっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月16日 (水)

信念の在処

3/16、東日本震災発生から6日。
日記に残しておこうと思う。

未曾有の被害と今も続く大きな余震が不安と混乱を生み、食料や燃料が買い尽くされている。
原発事故のために電力が尽きるのも時間の問題だ。


塾は停電のために休校になっている。
音楽の仕事はキャンセル続きだ。


こういった酷い状況において真っ先に削減されるのがエンタテインメントなんだけど、僕は一応音楽の仕事でも稼ぎを得ている。
つまり、娯楽が削られると僕の生活も危なくなるわけだ。

芸術に携わる人、娯楽に携わる人にとって、基礎的な生活を保つのが難しくなっている。


"チャリティー"という名目のもとパフォーマンスをするのをちらほら目にするが、僕は絶対にそれはしない。

たくさんの批判が出ることも覚悟の上でこの姿勢をとるつもりだ。

僕としては演奏、ないし、パフォーマンスは心から楽しんでほしい。
現実を忘れられるくらいに。

お客さんが楽しんでもらった結果が僕らの給料になるのだけど、その給料を個々人がそれぞれの判断で募金などに使えばいいと思うのだ。
人によっては生活が苦しい人もいると思うから、まずは己の足下を是非固めてほしい。


もしもチャリティーという形をとるのなら、わざわざパフォーマンスしてお金を集めるというような回りくどいことは、僕はしない。
ほんとにそのつもりなら、本気で募金箱担いで直接街頭に立つさ。

娯楽は娯楽だ。
楽しんでほしくてそれを提供する。
そのために僕らパフォーマーは毎日訓練を重ねてきた。

"こんなときに"と思う人ももちろんいるだろう。
しかし、大切なのは本質なのだ。

本来楽しむためのものをねじ曲げたり、おまけのように”救済”を掲げるべきではないと、僕は強く思う。
これは遊びではない。
人それぞれの人生が、命がそこにはかかっている。


連絡が僕のところにも来た。
”チャリティーのための演奏に参加してくれ”と。

僕の思いは
”お金を集めるのになぜパフォーマンスをするのか?”
”そんなに人のためだと言い張るのなら、なぜ募金箱を担いで声をからしてでも募金お願いしますと叫ばない?”


頭に来たから、”ほんとに被災者のためだというのなら、歌って金集めるとかいってないで、米と水と毛布もって東北まで走れ!”とメールを返した。

結局、客寄せの戦略に過ぎないのだ。

僕は絶対に許さない。
善も悪もない。

ただ絶対にそれは許さない。

分かっている、アイディアが善意から生まれていることは。
それでも僕にはそれが許せないのだ。


賛否両論、どちらもあるだろう。

僕はパフォーマーであると同時に一人の人間だ。
人間としての僕はこの混沌から一刻も早くたくさんの人が解放されるように毎日毎日静かに祈っている。ひたすら、ひたすら。
胸が痛めば痛むほど、深く深く目を瞑って長い間祈っている。
水の仕事にも従事していながらも、被災地には諸々の問題で水を輸送することは出来なかった。
これがどんなに悔しいことか。


パフォーマーとしての僕は、己の誇りと信念をかけて、いつものようにパフォーマーとして誰かにパワーを伝えるために動こうと思っている。
これは間違っても慈善事業ではない。
僕としての僕の立ち方であるということだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月14日 (月)

出来ること

3/14(月)、外は少しあたたかくて、いい天気だ。

もしも何かあったときのために、こうして日記に残しておく。
平穏無事な日々が戻ってきても、僕らはこの災害のことを忘れてはいけないと思うから。

電車に乗ろうと駅まで行ってみた。
都心へ向かう道路は車の列。微動している。
駅の改札はお巡りさんが入って、入場制限をかけていた。


”動ける人が動こう”という考えは、果たして正しいのか?
たしかに会社は大変だろうが、その考えに縛られて人が殺到する。
無意味な憎悪と疲労が蔓延するだけで、災害が起こった直後の”助け合いの精神”は無惨にも崩壊するばかりだ。


大災害で最初の大破壊が終わったあとの、いわゆる二次災害で最悪のものは”信念とモラルの破壊”だ。


阪神の震災のとき、地震保険がきかない半壊の家に人々が火をつけた。
火災保険をきかすためだ。
それによって広がった炎が奪った命もある。

我先にとものを盗むやつもいる。


日頃の便利さに慣れ過ぎていると、必要最低限が分からなくなる。


僕は二足わらじどころか三足ぐらいなのだけど、塾の講師としての側面から見ると、こんな日に親御さんに子供を手放してほしいとは一切思わない。
出来るだけ近くにいてあげてほしい。

一日や一週間やそれ以上だとしても、そんな損害でははかれないことがすぐ近くで起きている。
命が助かったからそれでいいわけではないだろう。


ミネラルウォーターに携わる一面からすると、今すぐにでも被災地に少しでも安全に飲める水を送ってあげたい。
輸送機関は麻痺し、その道のプロの組織でも立ち入るのに手を焼いている。
素人がしゃしゃり出たところで、余計に混乱を大きくするだけだ。


音楽家としてみるなら、こんなときに演奏なんてしたくはない。
音楽で元気づけようって、被災もしてない、真の悲しみも知らない演奏屋がにこにこ笑って演奏するのか?
それで離れ離れになった人が戻ってくるのか?
チャリティーライブで人を集めてお金を集めるって、人を集めるのにどれだけの電力がかかるか、またそこで消費される食料がどれほどのものか理解した上での発言なのか?
お客さんも結局ライブを楽しみにいくんだろう?
その事実をねじ曲げられるのか、それとも被災者のみんなに上手く伝えるアイディアでもあると?

もしもお金を集めるなら、ネットで公の機関を通して募金するのが一番なのだ。


ただ、静かにしていてほしいのだ。
災害が起こったから何かしなきゃと素人目で測ったところで、ほんとに動かなければいけない人の行く手をふさぐだけになってしまう。

ほんとに何かしたいと思うのなら、黙祷してみてはどうか。
どれだけ長い時間祈っていられるだろうか。
それで、今の自分の被災者に対する想いの強さが分かるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月13日 (日)

祈り

止まっている心を少しでもほぐしたくて、日記を書いてみる。

今現在は3/13(日)の夜19時13分。

東北の地震が起きたのは3/11(金)のお昼の2時47分だったか。
大きな揺れを感じて僕が腕時計を見たのは確かその時間だった。


一瞬頭によぎったのは阪神大震災。
僕は家族とともに、引っ越しのために大阪から神戸を抜け、福岡へと向かった。
そう、地震のほんの少し前に、あの神戸の押しつぶされた高速道路を通り過ぎていたのだ。

あのとき、大阪の友達のことをものすごく心配した。
今のようにインターネットなどはなく、無事を知るには電話のみ。
テレビを食い入るに見ながら、ひたすら友達が生きていることを祈った。


祈るうちに、なんに対して祈っているのか分からなくなった。
仮に友達が生きていても、まるで映画のエンドロールのように1分、1秒の割合でなくなった人たちの名前が流れていく。

何を祈るのか。
何が自分の望みだったのか。


2時47分。
建物から外に走り出て、目が回るように揺れている空を見ながら、一瞬失いかけた気を自分の手元に戻して、道で震えている高校生を足場のいいとこに引き寄せた。

出来ることといったら、せめて身近にいる人だけでも勇気づけたり、安全を確保してあげたりすることだけだ。

揺れの大きさから、東京が震源地だろうと真っ先に僕は考えた。

もう、祈るのみ。
何も出来ないのだ。


でも、何を、何に祈ったんだろうか、もう分からなくなった。

温かい誰かの手、毛布、お茶やスープ、小刻みに揺れる子犬の鼓動。
何でもいいから、ただただ、被災した人たちに、ほんの少しでもいいからどうにか届けられればいい。


ひとかけらのぬくもりが人を救う。
そのぬくもりが一刻も早く彼らに届くことを僕は願っている。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 9日 (水)

半世紀

3/5、寒い夜だったように思う。

偶然の出会いから繋がって一緒に演奏させてもらって、すっかりお世話になりっぱなしのベースの深山健太郎さんのバースデイライブに足を運んだ。


会場にはほんとにいろんな人がきていて、その人脈の幅広さに改めて驚いた。

人の繋がりはそのままその人の魅力でもある。
温かい人の輪は、そのまま健太郎さんという人そのもので、その人の生き方や哲学だ。

誕生日プレゼントを渡したくて数日前からあれやこれやと考えていたけど、身につけているものがいつもかっこいいものばかりなので、結局何も思いつかずにCDを贈ることにした。

音楽家に音楽を贈ることほど難しいことはないと思いつつも、、、。


50歳。
演奏する姿はきっと学生時代と変わらないんじゃないかと思いながら見ていた。
アンサンブルする姿が突如として若返る幻覚を見たような気がした。


僕が健太郎さんと同じ歳になったとき、僕も同じように心からの笑顔で演奏しているだろうか。
こんなに素敵な人たちと出会って、人の輪を広げていけてるだろうか。

演奏後、これまたいつもお世話になってる学芸大のオステリアジャポネーゼで打ち上げ。
店長のガクさんおすすめのパスタを食べながら、健太郎さんとまたお喋り。
ガクさんも加わって深夜までお喋り。


こういう素敵な人たちに会えて、僕はほんとに幸せだ。

お誕生日おめでとうでした、健太郎さん!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年3月 2日 (水)

rain drops keep falling

3/1、夜は雨になった。

気圧と慢性疲労のせいでうまく起きれず、寝室でもぞもぞと本を読んだりアレンジを考えたりしてたけど、さすがにそのまま一日が終わるのはどうかと思って、電話をした。

もともとcubic starで一緒にドラムをやってたショウゴが電話の相手。

いつも予定が合わなくて、気づいたらほんとにまるまる一年が経っていた。


一度目の電話に彼は出なかった。
今日もタイミング悪かったかなと思って寝室に戻ると電話が鳴った。

さしで飲むことになった。


夜8時。
溝ノ口で待ち合わせ。

僕も彼も時間より早い時間に着いた。
一年ぶりにあうショウゴは全く変わってなかったし、彼から見た僕も全く変わっていないようだった。


駅の近くの小さなもつ鍋屋で飲むことにした。
外は雨がよく降っている。


彼がバンドをやめると言った1年前のその日も雨だった。
その夜はほんとに悔しかった。

今でも悔しく思う。

僕はそのバンドのリーダーだ。
でも、メンバーに対して何もしてあげられなかった。
生活のたしになるようなお金も与えることは出来ず、結局のところ僕自身に力がないせいで、僕は彼をつなぎ止められなかった。

彼は”それは違う”と言ったが、もしあのときこのバンドで演奏することで何らかの収益があって、それが少しでも生活のたしになっていたなら、実際には道を違えずに、今も横にドラムセットを並べてお互いに腕を磨き合っていただろうと、僕はそう思っている。

あの日から1年。
いろいろなことをお酒を飲みながら話した。
ショウゴはビール、僕はウイスキー。


音大時代の話になった。
大学に入る前の年の夏、僕らはオープンキャンパスで出会った。

彼は高校生、僕は社会人。
手も足もよく動く奴で、意気投合して、練習の仕方とかを教えてもらった。

音大に入ってからもよく一緒に遊びにいったし、同じ師匠の門下だったから、あったかい日には外にパットを持ち出して隣に並べて、同じ課題の譜面を見ながらよく動きの研究なんかもやった。

ダブルドラムのバンドがやってみたくて、彼を誘ってバンドを組んで、いろんなところで演奏をした。


大変だったねぇ、とか話しながら、杯数を重ねる。


一緒に演奏した数年間、僕はそのときに今のスタイルの9割を築いたけど、それはショウゴとともに演奏するために身につけた奏法だったりする。

トリッキーな拍の取り方、変拍子、カウベルやおもちゃの使い方。
全部ショウゴがいてこそのセットだった。


当時よく彼と音楽の話をしたけど、飲んでる最中に彼が一言、
”今ここに来て、ようやくあのときよしじまくんが言ってたことが分かってきたわ”
ぼそっと言ったものである。


僕はじんと来た。

なぜ彼を好きなのかというと、彼が、”考える続ける奴”だからだ。
その結果、一度は道を分けてしまったけど、それでもまたこうしてお互いに理解し合う時が来た。


それからはずっと太鼓屋の話。
音の小さい太鼓屋がいかに少ないかということ。
僕ら二人は、しっかりとお師匠の教えを考えてきた。

僕も彼も、音大での一番最初の授業にいわれたことは、
”音がでかくてうるさい”
ただそれだけ。

二人ともず〜っとそれを言われ続けてきた。

サンバキックもシンバルレガートも、振れ幅1ミリを目指して、それでも芯のある音になるようにと、馬鹿みたいに練習した。それも、一緒に、横にならんで。

そんな話で大笑いした。


ショウゴが在籍したcubic starの2ndアルバムをやっと渡すことが出来た。
彼がこのバンドのために残した音をとにかくいいものにしたくて、すごい長い時間をかけてほぼエンジニアさんと二人でミックスしたのも、もうだいぶ前のこと。


すごい音になったね。

そうでしょ?


このふた言で事足りる。
風景が浮かぶ音楽だと彼は言った。

曲こそ作らないものの、僕は、彼は優れた芸術家であると思っている。
決して演奏屋では収まらない。


終電ぎりぎりまで飲んで飲んで、一緒にシンバルとスネアを買いにいこうと約束した。


音大に入ったばかりの頃、二人でお茶の水に楽器を買いにいったときみたいに。
あの日も雨が降っていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 1日 (火)

僕とご飯と音楽と。 後編

2/27の後半戦。

お昼間に近所のカフェFUNRUNで、小川晃一カルテットで演奏し終えた後、急いでうちに帰って熱いシャワー浴びて新しい服に着替えて、今度は学芸大学駅の近くにあるおいしいイタリアンレストラン、”オステリア・ジャポネーゼ”に向かう。


去年の12月にベースの深山健太郎さんに誘われるがままに、このお店で演奏をして、僕、個人的には爆死寸前の盛り上がりを見せたあの日から、もう2ヶ月経ったのです。
(そのときの模様は、http://ton-plaza.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-2307.html

若輩者の山猿の僕は、ここはひとつ一番乗りをと思い、車をぶっ飛ばして学芸大に駆けつけてはみたものの、全っ然その必要はなく、、、もじもじしながらレストラン内をうろうろ、、、。

のんびりと深山さんが現れて、さらにのんびりとピアノのみどりさんが現れて、、、。

ちょびっと音が出るか確認したら、あとはもうのんびりとセットリストを決めるというゆるさで始まったこの夜、後に長い夜になるとは知る由もなく、、、。


、、、なんか、前の展開に似ているような、、、。


この日のオステリア・ジャポネーゼはパーティー仕様ではなく通常営業だったので、僕ら演奏者の役割は生BGM。

、、、のはず。

深山さんのお知り合いの方がごらいてーん。

ふむふむ、今日はゆるくBGMかな、僕の得意なバラード多めかなぁ。

あ、お客さん。
あら、去年の12月にお会いしたフランス人の、、、あ、今日は家族で来てくれたんですね。
小さな男の子と女の子、それに日本人の奥さん。

こんな具合のファーストセット。

目の前で小さな女の子がニコニコしながら見ている。

深山さんのベースはこの日もぶんぶんと豪快にうねります。
みどりさんのピアノも相変わらずゴージャスでキュート。

このトリオはほんとに楽しい。

お客さんも入って席が埋まり始めた頃、ミディアムテンポのスイングが盛り上がって、とりあえずファーストが無事終了。

2011_0227oj03

休憩中はみどりさんとおしゃべり。

学習障害について。
勉強の仕方とか、インプットのコツとか、思考回路のおもしろ話とかをほんとにおいしい料理を食べながら、、、。

ご飯おいしすぎて、もう、、、極楽っっ!
鳥のレバーのパテを塗った自家製のパン、うまっっっっ!
サーモンのパスタ、うんまっっっっっ!

どこぞから聞こえてくる深山さんの豪快な笑い声をよそに、みどりさんとふたりでうまうまとご飯を頂きました。
あいかわらず、目が合わせられず、、、照。


激おいしいご飯をいただいて、セカンドセットへ。
そう、ここからとんでもなく長い夜が始まるのだ、、、。

ミドルテンポのボサノバ、スウィングをスムーズに流して、気持ちよく今日の業務終了というところで、、、あら、厨房の方からお客さん、、、ん、この声、、、。

”遊びにきたよ〜”って、ノリ、軽っっっ!
年末の長い夜、再び。


そう、今をときめくあの女優さんとあの俳優さんが家族揃ってごらいて〜〜〜ん。
始まってしまうわけです、ヒットパレードが、、、。

2011_0227oj01

ここからはもう、演奏、やってやってやりまくる。
某俳優さんの歌を今回も聴けて、しかも時代劇オタクの僕はまたあの大先生のバックバンドをこのトリオで出来て夢心地、、、。

素敵すぎる〜、オステリア・ジャポネーゼ!!

と、それを皮切りにあっという間に店内満員御礼。
その世界の方々は遊び始める時間が夜遅いのです。

しかも、みんなよく食べるし、ほんとによく飲みます。
僕のグラスも湧いて出るようにワインが常に入ったまんまで、、、。

ままま魔法のグラスですかっっ!
店長さん、僕は飲み過ぎで死んでしまいますよっっ!

深山さんの男気あふれる猥談が炸裂し、みどりさんの黒のストッキングは夜が更けるにつれて輝きを増し、みんなの笑い声が店全体に響き渡る。
テーブルにはおいしいパンと料理とワイン。

店内は盛り上がる一方。

110228_0147_01

と、こんな具合で夜は更けていき、、、朝は予告ホームランよろしく、予告二日酔いの大人げない寝起き。


深山さんのトリオ、ほんとにみんないい顔で楽しんでくれました。
あまりにもみんながいい顔だから、もっと練習積んでさらに盛り上げちゃおうって、ごく自然な向上心が湧いてくる。

人との健康的なつながりは人を元気にする。
お店があって、おいしい料理とお酒があって、そこにほんとに楽しむために人が集まる。

忙しい毎日に押し流されて、ついつい忘れてしまいそうなそういう自然のコミュニケーションがこのお店にはあふれている。

学芸大、オステリア・ジャポネーゼ。
皆さんもぜひ、ディナーを楽しんではいかがっ!?


3月も演奏します、3/20(日)に!
みんな気さくな人たちばかりで、きっと新しい飲み友達も増えることでしょう。

おいしい料理、ばんざーーーーいっ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »