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2011年2月10日 (木)

song for us

柳田さんとのデュオの初ライブが終わった。 
1月に数曲だけ一緒にライブをやったのだけど、全曲を二人で演奏したのは今回が初めて。

弾き語りとドラムのデュオっていうのは真ん中を取り持つベースがいないから、面白い関係になる。
歌の合間を縫うようにバスドラムが入ったり、お祭りのようにカナモノが入ったりして、その間をピアノのメロディーと歌が駆け回っているようだ。

Dsc02207


自由度が高いからといって何をやってもいいかといったらそういうわけでもなく、そこは歌にしっかり寄り添って演奏する。


演奏前の珈琲屋で、柳田さんと二人、エルトンジョンの歌い方の話をした。
言葉の持つ意味と音価の一致に焦点が当たると、ライブ前のリラックス時間というよりはだんだん熱いトークになってきて、今日はこのための日だったのかと錯覚してしまうほど。

最近、よくいろんな人と歌の話をする。
数日前のmaikotobrancoのライブのときも、こうどうさんと歌い方の話をした。
先週の小川くんのリハーサルのときもそうだった。

演奏が上手いか下手か、その話はしばしばテクニカルな問題に置き換えられるが、僕はやはりそうは思わない。

演奏が表現である限り、僕はそこに哲学が必要だと思う。
それがなければ、どんなに練習したところで何も生み出せないのだ。

歌があれば僕は曲を聴く前に歌詞を読む。
音は飽くまでも抽象的だ。
でも言葉には強くその人の意思がのる。

言葉のない音楽においても、”歌うような演奏”というと、それは現実に鼻歌を歌う程度のものじゃなく、哲学そのものの露出を歌というのではないかと最近はよく思う。

言葉にならない言葉を音に置き換える表現が音楽であって、けっして”音を楽しむ”という安いお馬鹿解釈ではない。


演奏後に、もらったお小遣いで熱いラーメンを食べながら、僕も柳田さんも”幸せだ”と口にした。

みんなと楽しむだけなら他の方法でもいい。
だけど、僕らのやる音楽には僕ら演奏者も、また受け取ってくれる人も、みんな一緒になって考えることが出来るのだ。
それは人生のこと、生き方のこと、異文化、宗教、価値観。

その一瞬はアイデンティティーの壁は透明になるように思える。


きっかけはなんでもいいけど、もし音楽が今現在のコミュニケーションの希薄さを解消する手だてになるのだったら、音楽家としての僕はとてもハッピーだし、芸術がその手だてになるのなら、芸術家の端くれの僕としてはハッピーだ。

と、柳田さんと二人、深夜のビールで乾杯。

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