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2011年1月10日 (月)

2000年代の10選(前編)

10年という単位で時代を彩る様々な出来事があるけど、表現物に関してもそれがいえる。
1970年代生まれの僕にとっては多感な時期は90年代ではあったが、その頃、父を筆頭に周囲のいろんな人の影響を受け、時代にあったものと大人が教えてくれるものの中から自分の好きなものを選んできた。

幼い頃から音楽マニアと接することが多かったので、邦楽より洋楽ばかりを聴いてたわけだけど、大人になって振り返ってみると、日本の音楽に比べて海外のそれは直接的に時代背景をもとに生み出されることが多く、政治的なことや民族・人種の問題を含みながら、プライベートな言葉で歌われたり演奏されたりしている。

それが好きというのもなんかおかしな話だけれど、少なくともそこには”癒し”という感覚はなく、むしろもっと暴力的であったり衝動的であったり、とにかく何かを変えたいとか、反抗するべきものとの戦う意思だとか、ときには慟哭のような深い悲しみや怒りも叩き付けられる。

芸術というものはそれをプラスに昇華するものだと僕は思っている。
危ない言葉であっても人の心を貫き、生きる糧に出来るほどに。

2000年以降、新しい世紀が始まっても僕らの時間の流れ方は変わらない。
今に続くものが過去であり、未来である。

とはいえ、ネットワークの進化が遠くにあったはずのものを一気に手元に寄せることに成功して、それによって起こったことは”急速な異文化のクロスオーバー”であるように僕は思う。
2000〜2009年までの、記憶に残るアルバム10選を挙げてみた。
”民族性とそのクロスオーバー”を観点にしている。
ジャンルは問わない。

しかし、これはあくまでも僕的な観点。

もちろん十人十色の観点がある。
なので、もし、”いやいやそれは違うよ”とか、”これも入れていいでしょう”とか、
そういうものがあれば、みなさん、ぜひぜひ、リストアップしてみてほしい。
きっと様々な側面から00年代を見ることが出来るだろう。


mice parade
2001 mokoondi
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まず僕的に筆頭はマイスパレードの”mokoondi”
このアルバムを出した時点では、まだポストロックなんていう胡散臭いジャンルで呼ばれていたが、彼らの音楽はカエターノベローゾやジルベルトジルといった”トロピカリズモ”の系譜をしっかりと辿っている。
ブラジルをはじめとする、南米のリズムを継承してミニマルな現代音楽との融合を見たのがmokoondiだろう。
その後のアルバム"obrigado saudade"ではボーカルまで入ってメロディーとリズムの緻密な結びつきを示すなど、ロックンロールから出てきた新時代の表現といえる。

mum
2002 finally we are no one
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今でこそ定着したエレクトロニクスと生楽器とボイスという編成において、見事に民族性を打ち出したのがムームの"finally we are no one"。
アイスランド出身の音楽が世界に響き渡った時代が00年代。
エレクトロニカ自体はそれ以前からあるが、ムームの持つメロディー感は間違いなくアイスランドのもので、bjorkもそうだが、アイスランドの民謡が持つ空気感が色濃く反映されている。
このあとムームはメンバーを一新して大所帯となり、2007年には"go go smear the poison ivy"を発表、そこにおいてもアイスランドの民族性はしっかり残っている。

sigur ros
2002 ( )
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またしてもアイスランド産のバンド、シガーロス。
まるで新しい音楽を聴いたような1999年のアルバム"Ágætis byrjun"だったが、僕が挙げるのは2002年のアルバム" ( ) "。
シガーロスが作り上げた造語によって歌われ、もはやアルバムのタイトルまでも記号と化し、美しい世界を作り上げた点は、あらゆる言語の壁を超えた。
ちょっと聴きシンプルに聴こえるかもだが、よくよく聴き込むと、恐ろしいまでの緻密なメロディーとアレンジに鳥肌が立つ。
シガーロス以降、バンドサウンドの可能性は間違いなく拡大した。

ua
2004 sun
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日本も凄いことになっている。
ノイズミュージックに傾倒しがちでエクストリームによったアンダーグラウンドシーンと、”和製〜”のようなオリジナリティーを欠いたメジャーシーンの間に、突然出てきた様に思えたUAのアルバム”sun”。
日本の美しいメロディーを背景にを残しつつ、アジアやアフリカのリズムとサウンド感を絶妙に交差させた表現。
かつての歌姫的なイメージはもうそこにはなく、あまりにも自由で強烈な音楽性に過去のファンは驚いたようだったが、過去からUAを好きだった僕にとっては、これぞ彼女の本性と思ったし、日本の表現の凄みをびりびりと感じた。

the mars volta
2006 amputechture
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ハードロックやヘビーメタルが下火の時代。
新鮮味を失ったということが原因かもしれないが、ロックが伝統芸になると人は見向きもしなくなる。
それとは逆に70年代に一世を風靡したプログレッシブロックに再度注目が集まったのもこの00年代。
プログレッシブロックはイギリスで起こったジャズブームがトラッドミュージックと結びついて出来たものだと考えられるけど、曲構成がクラシックのように長く、また複雑であるというのが特徴。
ロックは”キメラの音楽”と言った人がいたが、何かが下火やガラスケース入りになると、それを温めてきた人が必ず何かを生み出す。
それがマーズボルタの”amputechture”。
複雑な構成とハードコアなエクストリーム感が特徴だけど、特筆すべきはここに見る民族性。随所に見る南米のリズムパターンやメロディーは見事なバランスで、しっかりと民族性が見て取れる。
民族音楽や文化に興味がなくても、知らず知らずのうちに民族性の浸透がおこる。
このあとにリリースされる”the bedlam in goliath”で表現領域は大拡大する。

後編へ続く。

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