2015年2月 9日 (月)

体は宙に浮くように

随分と更新していなかった。

去年の6月で止まったまま。
その頃の僕には、今の自分の生活など予想もできなかっただろう。
ほんのちょっとしたことでバランスが変わる。

今はまだ傷をいやしている途中。


ブログを見ますとお客さんにいわれて、あわてて更新している。
活動の事後報告なんてしても仕方がないと思っているから、その日のライブのことなんて、流れていくツイッターとかFBぐらいでちょうどいい。
自分ではそんなふうに思っていても、読みたいといってくれる人に会えたなら、それは僕の方が変わるべきなんだろう。
ミズモノだった音楽も今は録音とかデータの時代だから。


単刀直入にいえば、2015/2/8日曜日が、swimmyとの演奏で、広いバーで演奏して、お客さんも満員で、いろんな人から声をかけられて、演奏が、熱が、たくさんの人に伝わったと実感できたということだ。

僕が今までいたことのないコミューンの中にいる。
ただそれだけなのかもしれない。
音楽が音楽をやる人たちだけのために存在する場所とは180度違うところ。
美しいものは理屈を越えて美しく、楽しいと思えばほんとに楽しむ、そういう場所。

僕も楽しかった。
もっと彼女らと演奏ができればいいと思う。


ていのいい宣伝をすると
次回のお勧めの演奏は

swimmy
4/5日曜日
@四谷三丁目 喫茶 茶会記
15時から演奏。
2sets
2000円+ドリンク


jazzピアノトリオの演奏が
SKY TRIO
4/26日曜日
@四谷三丁目 喫茶 茶会記
14時半から演奏。
2sets
2000円+ドリンク


演奏はたくさんあるけれども、この二つが絶対的にお勧め。
あとは手術による入院が2週間半もあるので、ちょっと一休みが必要。

見に来てください。

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2014年6月13日 (金)

None of your business.

そういうもんだよな、って、頭ではわかってても、”でも”が言えるかどうかだと思うんだ。

今の世の中に必要なものが自分の夢と一致していたら”運が良かったんだよ”といわれる。
世の中の流れとの不一致が明らかだと”お前は何をしているんだ”といわれる。
”それは無理だ”と言われ続けたことに変化をもたらした人の選んだ行動は、ただひたすらに”信じ抜き、諦めず、求め続けること”だったんじゃなかろうか。

僕は、諦めの悪い人間だ。
すなわち、諦観には絶対に屈しない。
信念が人を傷つけたり殺したりした時代は歴史の中でたくさんあったと思うけど、はっきり言えることは、そのどれもが”信念を諦めたとき”だと思うのだ。
”変わらぬのなら消してしまえ”とか”じゃあ、価値を落としますか”って、その考えが諦めだって。

僕は天才ではないどころか、凡の極みだと思うから、何かを身につけるのに人の何倍も時間がかかって人の何倍も努力が必要で、健常者の作る世界で健常者のごとく振る舞うのに何倍もの体力と気を遣い、愛する人との生活を維持するために下唇を噛みちぎりたいと思えるぐらいの屈辱に耐えながら、これで夢が捨てられたら、そりゃ楽だろう。

先人たちの歴史を辿り、それに倣って彼らの技術や知恵をスムーズに手に入れて、あっという間にそれを発展させる力を持った人は確実に多くなっている。
間違いのない事実だ。
突然変異のようにすら見える。

だからって、凡の自分が”こうであればいいのに”っていう望みや夢を手放したら、それって自分の全否定なんだよね。

まぁ、SNSがないつい数年前の時代は、思いをうちに秘めて日々を戦ってたんだけど。


文章には必ず誤解があり、それに喰らいつけるのが現代技術の欠点なわけだ。
ノイズが永遠に残るってこと。

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2014年5月 5日 (月)

ルーツを探る旅

2月、3月、4月、とんで5月。



去年の中頃からずっと考えてきたことを、考えるを通り越してもはや悩んでいるという状態でよく考えた。

自分がどこからの影響で表現活動をはじめて、今どこにいて、何に向かってるか。
もし自分でもそれがはっきりしなければ、誰にも何も伝わらないだろうということ。



影響は小さい頃からずっと父の影響で耳にしてきたクラシック音楽と古いロックンロール。

やがて従兄弟の実演付きのハードロックやヘヴィーメタルにワクワクしだしても、従兄弟の聴くそんな音楽もクラシカルなメロディーのものが多く、結局はシンフォニックであったり、ヨーロッパ的でメロディアスなものばっかりだった。

ジャズを自分で買ったきっかけはマイルスデイヴィスのアガルタで、無知で莫迦な僕は”マイルスこそサイケロックの親玉だ”と思い込んで聴いていた。

メタルに異常に詳しかった僕に、ドラムのお師匠から付けられた最初のあだ名は”メタリカくん”(きっとお師匠は忘れているに違いない)だったが、いつもお師匠が聴かせてくれてたヨーロッパのジャズがとても好きだった。
おそらく、音楽をやるというしっかりした意識の芽生えはそこだったんじゃないかなと思う。


幼少期にできた下地なんてのは、所謂後付けの理論だ。
それは無意識に構築されてきたもので、もしいい環境にあったのならほんとにラッキーで、僕はその環境にいられてラッキーだったと最近よく思う。


4月〜今5月の頭、そして6月、7月と、ほんとにほんとにいろんな人といろんなジャンルの演奏をすることになっている。
ちょっと前だったらきっと思ってたに違いない、”これはロックだからこうで、これはジャズだからこう演奏すべきだ”とかって。
今は随分と違うように思う。



自分のルーツを大事にしたい。
自然に自分を解き放ってやりたいと思っている。

僕が演奏すべきスタイルは僕が決めるのではなく、音楽が聴こえてきて、音楽が教えてくれる。
自然に体の動きが導かれるものがその音楽の持つ意志で、それについていけるかどうかが僕の能力というわけだ。
ついていけなければそこで自然発生的に訓練すべき課題が見えるだろうし、またその新しい発見が自分の作る曲やアレンジにもいきてくる。


何かが好きだという思いは、まあ、月並みな言い方だけれども、宝物だと思う。
好きでいることは、簡単ではない。
でも意識して好きになるものでもない。
特殊な思いだ。


日本人でありながら他国の音楽が好きで、でも僕は日本人だから、間違いなく日本人のごく普通のありふれた解釈でその音楽を聴いてる、、、はず。
つまり、それがルーツ。

例えば、僕はゴスペルを必要とするような文化の中では育っていない。
教会で音楽を聴くような環境ではなかった。

僕は日本民謡の、あるいは伝統的な日本の、地域の音楽が耳に入る環境で育ってはいない。
沖縄などの島唄なんかが古くから伝えられる環境の中にはいなかった。

僕は苦しさや貧しさの中で育ってきてはいない。
父母は好きで音楽を聴き、好きで映画を見て、本を読み、僕をいろんな場所へ連れて行った。
父母と”好きなもの”をシェアしたのだ。


好きなことを自分の力で別の場所へ持っていく。
誤解して欲しくない。
”好きなことを好きなようにやる”ではない。

好きなことを、自分の中にしまい込んで、いつも体の内側から響いてくる音に耳を傾けるような、そういう感じ。
しまうものが増えれば増えるだけ、内側からたくさん響いてくる。
響いたものを外に出してあげられれば、その音は別の場所でも響くでしょ。
誰かのルーツになるかもしれない。


そういうワクワク。
周囲の人たちにも伝わりだしたような、気のせい?
いや、実感。

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don't let me go

私をいかせないでくれとは、おかしな表現かもしれない。

引き止めて欲しい気持ちの裏返し。
徐々に遠のく春と強い夏の狭間。



キースジャレットのことが随分といろんなところで話題になってる。
 
彼はかつて慢性疲労症候群で悩み、一時は活動をストップしていた。
僕もまた、彼ほど重度ではないけれども、同じ病気を持つものとして、彼の気持ちがよくわかる。

誰もがきっと一度は感じたことがあると思うけど、酷く疲れたときに、とても神経が過敏になることってあるでしょ?
その状態が結構長いこと続くと、それはうまく回転させれば音、意識を拡張してくれる諸刃の剣。
肉体の重い疲労感を精神で支えてる。

慢性疲労症候群は、基本、今は治らないとされているいわゆる奇病。
どんなに精神が強靭でも体そのものが機能しなくなれば、人は"動かなくなる"わけだ。

克服したとはいえ、彼はとても繊細な一本の綱の上にいると思う。
まだまだ僕のような発展途上の音楽家でさえそうなのだから、彼の立つ綱はもっと激しく揺れて、細く、茨のような表面の綱に違いない。
あるいは刃の上か。


意識は、実は深いところにステイするよりも、意識と無意識の間に、まるで浮かぶようにステイする方が難しい。
その狭間を水面に例えるなら、その水面は簡単に意識を無意識側に落とし込むように浮力がなく、また無意識の側面から遠ざけるように意識側に人を浮かび上がらせる。
ダリもまたその狭間に居続けようと、いろんな努力をしていたことはとても有名だ。


キースのソロは、トリオの演奏のようなエンタテインメントではないだろう。
きっと少しでも芸術を志した人は理解できるはずだ。
意識が表面にまで上ってきたとき、創造、あるいは想像は中断されるか消えてなくなることを。

その過程を見るのだ。

楽しませてくれるかどうかなんていうショウではなく、そこにいる全ての人がキースを通して出てくる音なのだ。


観客とはこの場合、意識のまだら模様であるといえばいいか。
精神的静謐の中には必ずノイズも潜む。

中断をするキース自身もほんとに悔しかっただろうし、もっともっとほんとは音楽を続けたかっただろう。
僕ならそう思う。


行かないでくれ、か。
遠ざけないでくれ、か。
あと少しだけ、もう少しだけこの場にいさせて、って。

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2014年4月18日 (金)

音はすなわち空である。

2014年もようやく春。



寒いよりも暑い方が僕は好き。

あったかくなると、機材背負って歩くのも少しだけ楽しくなる。


今年は、”演奏したい人と演奏する”っていう目標で、いろんな人といろんな場所で演奏を頻繁にやってる。
特に”演奏屋”ってよりは作家を兼ねた人とたくさん演奏したくて、声をかけては一緒に演奏させてもらっている次第。

そんな活動の中で、思い出したのが”即興演奏”。


20代の後半、約1年半にわたってそればかりをやっていた時があった。

ひょんなきっかけで自由即興の音源ばっかりを買い漁って、いろんな即興スタイルを研究しては、然るべき場所で試すというようなことをしていた。

半年ぐらいが過ぎたある日、当時のフリーインプロヴィゼイション仲間が僕を誘い、某所へ連れて行き、僕を轟音の即興演奏の現場に残して自らはトンズラという、極悪なことをしでかしてくれた。

彼がトンズラしたあとからの1年間が泥沼の活動期間となった。

僕が一人取り残された場所は、まぁ、周りの方々はとりあえずその道では結構名のある人たちではあったのだが、とにかく”音がでか過ぎる”人たちだった。
頻繁に呼び出されてはセッションに加えられ、そのほとんどの日は音の大きさに耳をやられて、結局なんにもできないまま帰るという感じ。

彼らと対極にいる僕のような”微音をこよなく愛する”人間を、彼らはからかうように呼びつけて、とにかくでかくて速くて強い、殺戮兵器のような音で襲いかかってくるのだ。

一年間、大爆音のフリーインプロヴィゼイションのセッションに耐えた末に、僕は彼らからの電話を着信拒否にし、僕をその場においてトンズラした友人とも距離を置き、彼らが好きだといっていた音源のうち僕の持っていたものを封印した。

たとえその音源がどんなに良くても、もう聞きたくはない。
そんなふうに思えるくらい、とにかくフリーインプロヴィゼイションそのものが大嫌いになった。



ジャズにはフリーとまではいかなくても、インプロはつきものだ。

音楽の理解を深めるうちに、嫌いになっていたフリーというスタイルに対する雪解けが進んでいく。

マイルスデイヴィスのビッチェズブリューに見た意識と無意識の境目は、僕にとっては今は活動休止中のcubic starの理想となっていったけど、自由即興と作り込まれた楽曲との境目の消失が自分の中で起っていることに最近気付いた。


一緒に演奏したい人と一緒に演奏する。
それが今の時期の僕にとってほんとに必要だったこと。

完全即興への嫌悪感を取り除いてくれたのは、一人のピアニストと、一人のギタリスト。
その真ん中に挟まるように僕の神さん(よめっこ)。
ジャズへ僕を引き戻してくれた、ピアニストとベーシスト。
僕の曲に興味を持ってくれて、そこに潜む即興性に見事に気付いてくれる演奏者。


”音”はある決まりに従っていると僕は思う。
その秩序を少しでもいいからまずは理解しない限り、自由への道など示されない。
永遠に規則に閉じ込められて、規則の中でのみのパフォーマンスになり、最後には規則に飲み込まれて自分を見失ってしまう。


音の長さは空間を生み、音程は色を生む。
立体構造の中に生きる僕らにとって、作り出すのものは立体化されてこそ真価を発揮するんじゃないかと、僕自身は思う。



封印を解いた音源たちは、小さな音で大事なことを語ってくれるものばかりだった。

僕は、”叫ばない”。
僕はただ、語るだけ。
大きな音は叫びではなく、小さな音は囁きではない。
それは心の触れ幅で、最も大事な音こそ最も小さく演奏される。
僕の得意なことは、このダイナミクスの幅なんだ。
ようやく自分のスタイルに回帰しつつある。

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2014年3月 8日 (土)

cubic starを振り返る

音楽が、
例えば演者のためだったとして。

そのときの鍵になるのはチューニングだろうか、グルーヴだろうか?

例えば聞き手のためだったとして。
そのとき鍵になるのはわかりやすさだろうか?

例えばビジネスのためだったとして。
そのとき鍵になるのは流行だろうか?


2014年、2/16の演奏でcubic star minimal orchestraは活動休止。
その実は一旦”解散”。

2004年にひな形が出来てから、2006年にはベースもドラムも2人になって、2007年からタップダンスまで入って、とにかくチャレンジがしたいと思いながら進んできた。
オルタナのインストバンドから、ポストロックを通って、フュージョン、プログレ、最後にはコンテンポラリーや吹奏楽の領域に入りながら、スタイルの追求をした。


一体感をどこで感じるか。
演奏者も観客も一緒になって踊るダンスミュージックは好きだ。
強いビートと大音量による陶酔感のあるロックだって好きだ。
即興に知性を感じるジャズやインプロヴィゼーションも好きだし。
ジャンルというところで結びつく理解というものが確かにある。

だけど、僕の場合、cubic starは飽くまでも哲学の音楽化だった。
グルーヴ、アンサンブル、わかりやすさ、ビジネス、そのどれもが実は僕の描くcubic srarの音楽の鍵ではなかった。

しかしどの要素もグループを維持するためには等しく重要なことだとわかっている。
ただ、この要素の上には曲が持つ”哲学”がなければならない。
でなければcubicは存在意義をなくしてしまうのだ。

曲は難しくなる一方で、難解さにスポットが当たると中身の哲学が見えなくなる。
かたちの完成を急げば、各々自分のやれる領域だけに固執して、音楽の進化はなくなってしまう。
自由にやるということが本当は難しく、結局は己の檻のなかだけの景色で満足する。
そんな状態になってしまうのが僕にはものすごく嫌なことだ。

譜面を見直しながら、思った。
ゆっくり時間をかけて、やっぱり自分の思い描いたcubic starにしたいと。

演奏者に任せていい部分はいいのだけど、それでオリジナルをやっているとどこかで歪んでしまう。
各々が持っているものだけが出るんじゃなくて、cubic starはちゃんと”研究室”であるべきだ。


最後の演奏を聴いてくれた人はみんな、今までで一番好きだといってくれた。
アコースティックのスタイルこそ、本当はcubic starの本領だったんだろうなと思う。
どんなに壮大に書いても、僕の音楽はやっぱり電化された音ではなく、限りなく生に近い音なんだろうな。
その方が音楽が持つ哲学がきっとみんなに伝わるのだ。


今は出会いのとき。
いろんな人と演奏して、いろんな人にあって、cubic starのあるべき姿での復活を考えようと思う。

オケの譜面もなんとかかけるめどが立ってきたし。
一年後が目標かな。
実際にグループが活動休止になってから、このグループで演奏してみたいと声をかけてくれるイケてる演奏者の方もでてきたので、もう一度夢の描き直し。


必ず1年後に。
、、、いければいいなぁ。

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2013年12月15日 (日)

from ideas to actions その9 "Goodbye"

12月も半ば。

本格的に寒い季節。
青空が見えて日が射しているからといって、陽気な気分で外に出てみると、見た目と違ってえらく寒い。

寒さが増すと、空気が澄んで、夏とは違う空の美しさがあったり、大気の固い存在感を知ったりする。

音もやはりそうで、固く鋭くなりがちだ。
寒さとともに丸みや伸びが無くなる。


ヨーロッパ、特に北欧の音楽が僕は大好きだと述べている(と思う)が、冷たさの中にほのかな明るさと暖かさがあることがその理由だ。

僕の生まれた土地が土地なだけに、端からのイメージでは随分と”祭り”に仕立て上げられているけれども、本来音楽を聞きながら踊ったり歌ったりは大の苦手であり、ステージでパフォーマンスする職業に就いていながら営業スマイルに至ってはhateの状態であるから、そりゃなかなか売れっ子になるわけもないし、お祭りバンド化している自分のスタイルと全く正反対の自分のグループは下手の横好きなのかもしれない。

喜びが溢れた時に笑う、そんな自然体のままで人前に立っているだけだ。
笑っている時は、自分では意識していないから、何らかの嬉しい出来事がステージ上で起っているのだろう。



静かな音楽が好きだ。
特に、耳を澄ましていないと聞き逃してしまうぐらいの、静謐に近い音楽が好きである。
虫の音すらもなくなる冬の夜は、自ら音を生み出さなければ、音になるものがこの世から無くなってしまったかのように錯覚する。

故郷の九州はそういう意味では、関東に比べればまだ暖かく、一年を通して何かしらの生き物が音を立てていたように思うが、それでも冬ともなると静かになったものだ。


ジャズが学びたいと言っても、所謂ブラックが突き進めたアメリカのものではなく、僕の場合はヨーロッパのそれであった。
そのせいか、音大に入りたての頃は結構莫迦にされた。
”ああいうのをやっててもうまくはならない”だとか、”かたちがはっきりしない、とりとめのない音楽”だとか。

ある日、某お店でやっていたの某有名奏者のセッションに参加して、その日の夜にそのまま箱バンに抜擢されたのだが、まぁ、無理解と嫌がらせの連続だった。
”ヨーロッパにジャズはない”という名言から始まり、”スウィングしない”だの、僕の使ってるシンバルの音が気に食わないと演奏中に手で止めるだの、掟破りの必殺技を繰り出してくる。

その辺が業界嫌いになった第一要因だった。


僕は日本人である。
アメリカ人ではないし、当然ヨーロッパ人でもない。
小さな時に祖母や母が歌っていた日本の子守唄を覚えている。
その記憶をたどり民族音楽研究の第一人者の小泉文夫さんのお弟子さんの所にまで押し掛けてお話を聞かせてもらったこともあるが、知れば知るほど妙に虚しくなった。

音楽は、そのとき聞こえたものが全てである。
いくら伝承されても、そのときに流れていた音楽はもう今はないのだ。

誤解されるかもしれないが、こっそりと演歌の仕事をしていた時も、”日本の心であるといいながら、出てくる音は日本のものではない”という違和感にほんとに苦悩した。

ある日、その考えは逆になる。
僕は日本にいながら、小さい頃から親しんだ音楽はほとんど日本のものではなかったからだ。


被災地に行った時に、地元の人が歌う相馬盆唄を聞いた。
お祭りの歌だが、静かだった。
決して名手が歌ったわけではないけど、素朴で、暖かい。


地元の活性化などといって、様々な民謡がいろんなかたちで演奏される時代だ。
それが好きとか嫌いとかは僕にとってはどうでもいいことだが、例えばそこで”ロック”だとかのジャンルを借用したなら、どんな文化に根ざした言葉や歌でも画一化されてしまうんじゃなかろうか。


”ジャズ”という言葉もそうだろう。
どう拡大したところで”スィング感”とほぼ同義になったイメージは消えない。
批評家の罪だ。
言葉を司る人間が、言葉を間違えている。



一人のドラム奏者にスポットを当てたところから始まる僕の音楽の旅は、僕の人生そのものだと思う。
残念ながら彼に会うことなく、今年彼は逝ってしまったけど、いつも”疑う”という勇気と、”創造する”という希望を与えてくれた。

芸術=人がらの神話を僕は全く信じないが、この人の存在が僕の良心をいつも引き止めていてくれたように思う。

ポ−ル・モチアン。

何度でも挑戦しようと思えるのは、今もこの人の音が届いているからである。
冬になると、空気が澄んで、ほんとによく聞こえる。
いつも以上によく聞こえるのだ、”お前の歌を歌うんだ”という声が。
自由の音が。


”ポールモチアンが好きで、社会人やめて音大でジャズ? それで、そっちで食っていきたいなんて、物好きだね。”

うるせーよ。



Bobo Stenson      Anders Jormin     Paul Motian
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2013年11月 4日 (月)

from ideas to actions その8 "this heat"

しかし一年が過ぎていくのはほんとにはやい。

真夏の汗の感じをもう忘れてしまった。

2013年ももう11月だ。


人も他の動物と同じ、忘れっぽいのが本質のようだ。
記録をするという手段で、全てを忘れてしまうことを防いでいるに過ぎない。

たとえば、画家の下書き、物書きの走り書き、音楽におけるインプロビゼーションの録音。

音楽における譜面の作成はある程度の定型を要する。
定型になる前の段階では、音は音であり、細胞の一粒みたいなもので、その集合体が音楽で、ならば僕にとっては音符が整列している譜面はラフであれ、それはもうすでに”音楽”だ。
なので、音楽になる前のほんとにマグマのような段階をインプロビゼーションと仮定することにする。

インプロビゼーションを即興と翻訳するのは少々誤解があるような気がする。
むしろ音楽におけるインプロビゼーションは、純粋に”音を出す”という行為に対して付けられる名称であるべきで、これにうまいも下手も本来あるべきではないように思っている。
幼い子供がそろばんを手にして、ガシガシと振るような、そういう純粋な発音行為だと。

その純粋さはやがて音楽になる。
出来た音楽はまたすり潰されて、別の生き物に再合成される。
そういうグロテスクな想像が音楽の魅力だと言ったら、ひかれるだろうか、、、。



あまりにも唐突だけど、過去と今を繋ぐところに、”this heat”がある。

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出来上がったものの解体を請け負い、なおかつ新しいものとして世に送り出す。
それは作家というより、学者の領域なのかもしれない。
芸術は”天才による独創性”という安直な考えははっきりと間違っていると言える。
どんな突然変異にも、目に見えぬ土壌があるのだ。
天才は”その土壌を隠すことができる”という意味で天才かもしれないが。

現在における様々な手法の中に、this heatが発したアイディアが潜んでいるように思う。

実験は過激だ。
そして”分かりにくい”。
学者のやることだ、そりゃ分かりにくい。
面白いかと訊かれれば、十中八九面白くない。

が、とても興味深く、やっぱりおもしろい。


60年代に過激な音で、フリージャズやブラックコンテンポラリーがマイルスデイヴィスやジミヘンドリクスに連れられるようにして、音楽の新たな領域に踏み込んだ。
70年代にその遺伝子はキングクリムゾンを生み出す。
80~90年代にはソニックユースだ、マイブラッディーバレンタインだと、ノイズを多分に含んだものへと発展し、2000年代にはbjorkに帰結するようなかたちをとる。

が、いつ、このジャンルも時代も飛び越えた意志が繋がってくるのか。

そのミッシングリンクを埋めるのはthis heatであると僕は信じている。

音が、すなわち音である。
電気楽器の発する純粋なノイズから、何かが生まれようとする瞬間の目撃が収められている。


聴くか聴かないかはどうでもいい。
ただ、音というのは”そういう音があるかどうかを知っているかどうか”だということだろう。

僕はthis heatにたくさんの音を教えてもらった。
そのまま残しておきたい音も、受け取ってはってさせなければならない音も。

音楽が停滞していると思うなら、彼らがいつだって”それは嘘だ”と教えてくれる。

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2013年10月23日 (水)

点と点

今年は随分と台風が多い年だ。

気圧の変化に敏感な僕は、ほぼ毎日のように酷い偏頭痛と耳鳴りに悩んでいる。


10月もいよいよ下旬。
忙しい月になった。
演奏は10本にもなり、単純計算で3日に一度の割合で本番がきて、さらにその間を縫うように仕事が入っているから、体調管理と音楽へのイメージ作りで頭がいっぱいだった。

”役者が役を演じるために、その人物の境遇とできる限り同じ生活をしてみる”という話をよく耳にするが、僕も同じくこれがすごく大事なことだと思っていて、ちょっとしたサポートをやるときでさえ、その音楽と一体となるようにといろんな資料を引っ張りだして読み聴きすべきだと思っている。


先日、先輩と話している時に”珈琲の味はとても複雑で、いろんな味が混じって一つの味にまとまる”という話題になって、音楽も一緒なのだなということで盛り上がった。

例えば一言で簡単にポップスだと言っても、巷で言う、いわゆるジャンル分けされて平均化されたイメージを僕は絶対に信じない。
それがいかなる要素がいかなる比率で混じって一つの音になっているかを分析して、最後には自分の手元に寄せて自分の味にしなければ、音楽というのは単なる劣化コピーになる。
原点を探り、自分のルーツと経過を辿りながら、今いるグループで自分が出すべき音を決定する。
その作業を本番と本番の間に繰り返す。

もしも、単なる”演奏者”というのであれば事はとても楽だったと思う。
その都度現場で現場にあうと思い込んでいるアイディアを出し、主体的な言葉だけでものを言い、本番が終われば、自分自身がどうであったかだけを考えればいい。

昨今、グループに属する人でもこの”演奏者”思考が多く、本番直後はああだこうだ言うことがあっても、その後に全く生かされないという事例が多分にある。


メンバーが3人だろうが100人だろうが、グループとなるとそれは一種の会社である。
アイディアマンを中心としつつも、状態のいい時は”これはみんなで成し得たこと”といい、状態が悪くなると”アイディアマンのアイディアの枯渇とリーダーシップの喪失”というこの上もない無責任な発言を繰り返す、社会の縮図を見ることができる。

己の役割というのはリーダーであれ、いちメンバーであれ、お雇いであれなんであれ、文字通り全身全霊で果たすもので、ときに不可能だと思えることも自ら研究し、まずは率先して自分がどうすればその集団の最良の歯車となれるかを考えるべきだ。
よく飲み込めもしないで、自分の意見を真っ先に言うものではない。

自由は必ず秩序の中にあり、秩序は”集団の中の大切な歯車になる”という覚悟によって成立する。


真の力は力の顕示によって示されるのではなく、全く逆で、”引力”によって示される。
一見では面白さ(ここでは興味深さの意味だが)がわからないものでも、その先に何かあるという考え方が、物事の引力に気づく基礎的な能力となる。
すでに成立しているものに喰らいついて、まるで自分がそれを成立させているかのようなファストフード的な満腹感を味わおうとするのは、芸術家、作家、パフォーマーの卵どころか、もはや癌細胞であり、それに取り憑かれると文化そのものが癌化する。

流行を大通りと例えて、そこが交通渋滞を起こして前に進まないのを今現在としたら、その状況を打開する方法は細い道を通ったり、あるいは遠回りをするという手段が思い浮かぶはずだ。
その道は決して走りやすいわけではなく、快適ではないけれども、新しい道を走るというワクワク感があるばかりか、諸悪の根源である大渋滞の原因を元から解決する新しい方法論に繋がる可能性を見出すことになりはしないか。

細道、迂回、遠回りこそ、”個性”である。
大通りばかりに誘導するナビが今の世の中にどれだけ必要なのか。
発見の手助けとなるのが教育であって、発見の土壌が科学だったり宗教だったり芸術だったりするわけで、それはすなわち長い時間をかけてまさに耕された文化である。



世の中が求めるものとはなんだろうか。
人々が欲するものとは一体何だろうか。
なつかしさか、”既に知っている”という絶対の安心感か、超越者による理解を超えた奇跡か。
いずれにせよ、そんなもののなかのどこに人間の意識の進歩があるのかと思ってしまう。

一点に止まることに飽きて、飽きれば戦争でもするか。
打開策は怒りと破壊でしかないのか。
理解しようともせずか。
何とも幼稚だ。

日々が常の変化だと思っていれば飽和など訪れないと理論的には言えるだろう。
一点に止まり、少なくとも自分だけでも”鉄壁だ”と思えるようなバランスを作る必要はある。
作ったものを途中で投げて、蓋をしたり、スクラップにするものではない。
失敗や実験で土台を固めて、その上に新しいものを作り上げればいい。

その研究というか、作業というか、それを行なう場は、聖域である。
音楽をやる僕にとっては、だから、本番だけでなく、リハーサルの場から聖域なのだ。
聖域に入るのに際して、心を決めずに入ることが許されると思うか。
一分一秒という時間が単なる自然流動だと思っているのなら、それは大きな間違いだ。
僕は場に足を踏み入れたその瞬間から、無駄にはしたくない。
もっといえば、その一日前、その数日前、その数週間前から、無駄にはしたくない。

話が最初に戻るけど、それが日と日を結ぶ僕の毎日だ。



僕には神様はいない。
でも、楽器には、場には神様がいると思っている。
どんな気持ちであれ、そういう神聖な気持ちがなければ見えてこない領域があるものだ。

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2013年10月 2日 (水)

oceanographers

言葉を探しているとその迷路に迷い込んでしまって、一度迷うと迷ってしまうことになれてしまうから、ものを発せなくなる。


理解とまではいかなくとも、せめて何らかの受け答えがあるならばそれでいい。


そういう気になれた、自分のラジオ番組の初回が無事に終わってほっとした。

世間話や自己紹介などは僕にとってはどうでもよく、ひたすら”音楽”であり続けたいという僕の妄想企画が通った事自体もはや奇跡なのだが、それでもたくさんの人に興味を持っていただいて、ほんとに嬉しく思う。

感謝します、みんなに。



話は前後するのだけど、9月末。
僕は親友と久しぶりにあって、よく喋りよく飲んだ。

不思議なもので、一緒に活動してる時は意識もしなかったが、長い時間はなれていていざあえると思うと、なんだか緊張なのか嬉しさなのか、よく眠れなかった。

彼はいつもと変わらない。

聞き上手で話し上手で、僕らの会話は音楽のようだと、僕は勝手に彼とのことは何でも美談にしてしまう。


秋葉原、お茶の水と、ドラムやその周辺機材を見ながら一緒に試奏をして、音大に入りたての頃を思い出した。

”どうやったら音が聞こえてくるのか”という僕らの議論は今でも全く変わってはいなかった。

僕らは耳に入ってくるものを”聞こえている”と誤解している。
当たり前のように習慣化されたものは、実のところ、知覚していないに等しい。
その話だ。

演奏者は演奏をするという身体的行為にあまりにも偏り過ぎていて、”聴く”ということを忘れがちだ。
僕も彼も同じお師匠の元で鍛えられて、同じように厳しくいわれた。
”音楽が聞こえるまで手を出すな”と。
やっぱりその話で盛り上がる。



彼は海と魚が大好きだ。
僕は海洋学を自己流で一人勉強して来た。

自然に水産の料理屋に入って、彼の薦めるウマヅラ(カワハギ)のお造りを食べた。
くさいものだと信じてた僕には驚きのうまさだった。
そういうサプライズを、彼はいつも運んでくる。

音楽を一緒に演奏する時もそうだった。



会話というのは”聞く”からスタートする。
僕が音楽を好きな理由は、僕がおしゃべりが好きな理由と全くおなじだ。

喋ると同時に聞くことが一番楽しい。
いやな奴だと思うかもしれないが、実は口喧嘩も好きだったりする。
まぁ、なにせ喧嘩っ早いもんで。



とにかく、そんな彼が関東に戻って来たということが僕には大事件であって、ただただ嬉しいわけで、端から見ればそんなたいしたことでもないことをこうしてブログに残すということも、迷う必要もないのじゃないかと思うようになるほど、僕の心は少し快方に向かっているようである。

まだ若干の鬱は残っているが、まぁ、ゆるゆるといい方向に進んでいるということで。


案外、迷うことは僕には必要ないのかもしれない。

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